第17話

「それでは駄目だと言っているんだ、ベロニカ。まったくもって政治というものが分かっていない!」

 叔父のサルセド公爵と衝突する。

 これは過去でもあった。

 そして、ベロニカを呼び捨てにするサルセド公爵へ、セベリノが飛びかかろうとするのも知っている。

 今のベロニカに、それを止めるつもりはない。

 過去では悪の女王とまで呼ばれたベロニカだ。

 何を遠慮することがあろうか。

「叔父さま、不敬ですよ。私の立場をまだ理解していないようですね? 次に私を呼び捨てにしたら、セベリノが切り捨てますからね」

「っぐぅ……!」

 サルセド公爵は、変な声を出して、変な顔をした。

 まさか、ベロニカに言い返されるとは、思っていなかったのだろう。

 過去でも最終手段として、女王の権利を振りかざして、決裁の強行突破をしていたが、二度目のベロニカは甘くない。

 殺される前に殺す。

 その腹積もりでいる。

「次の交付金は、叔父さまの意見を取り入れましょう。新参貴族も含め、全ての貴族を交付対象とします。それでいいですね?」

「うむ、それでいい。これで新参貴族からの支持も、上がるはずだ」

 しかし、続くベロニカの譲歩案に、サルセド公爵は機嫌を取り戻した。

 ホクホク顔で執務室からサルセド公爵が出て行った後、エンリケがベロニカを労う。

「お疲れ様でした。……ずいぶんと妥協しましたが、良かったのですか? 新参貴族が、まともに民のために交付金を使うとは思えませんが」

「次の交付金は目的を絞ります。街道の補修工事以外に使用した場合は、倍額を国庫へ返金させましょう」

「それは良い考えですね。ですが、どうやって監査をしますか? 自己申告させるだけだと、中抜きをしてきますよ」

「新参貴族と古参貴族で、お互いを監査するように組み合わせましょう。新参貴族たちが古参貴族の領地を実際に見て、その広大さを実感すれば、どうして古参貴族たちが税を優遇されるのか、少しは理解するでしょう」

 五年間の執務経験が活きている。

 過去では、慣れない政務に右往左往し、決裁するにも時間がかかった。

 しかし今なら、新参貴族も古参貴族も、だいたいの力関係が頭に入っている。

 そして過去に行った政策の反省点も、ベロニカは知っているのだ。

 そうしたことを踏まえて、新参貴族と古参貴族の、根強い対立にも手を打つ。

 もうすぐエンリケが帰省を申請してくる時期だが、既にベロニカだけでもかなり滞りなく政務をこなせる。

 そうして空いた時間に、ベロニカはどうしてもしたいことがあった。

 それは、サルセド公爵よりも先にラミロを見つけ、母ごと囲い込むことだった。

 放っておけば過去のように、ラミロは工作員としてやってくるだろう。

 だが、それでは遅い。

 ベロニカはエンリケが領地へ発つとすぐ、セベリノを通じて、セベリノの兄にラミロを探してもらった。

 幅広い人脈を持つセベリノの兄は、貴族にも平民にも知り合いが多い。

 少年のような見た目で、諜報員として働く、病気の母を抱えるラミロは、すぐに見つかった。

 今日が母との面会日だと、斡旋屋の親方に教えてもらえたのも、セベリノの兄の伝手があったからだ。

 ベロニカはセベリノを連れて、病院の視察だと嘘をつき、母を見舞いに来るラミロを待ち伏せた。

 日の当たらない病院のベンチは、少し湿っぽくて冷たい。

 そこにベロニカが腰かけていると、懐かしい顔が病院を目がけて、走って来るのが見えた。

 間違いない、ラミロだ。

 牢へ謝罪に来たときと違って、まだ溌溂とした明るさがある。

 無事に会えた喜びに、じわりと眼裏が熱くなり、ベロニカの瞳を涙膜が覆う。

 セベリノに合図をすると、さっと動いてラミロを捕獲してきた。

「ラミロに声をかけて」という合図だったのに、羽交い絞めにして連れてくるとは、どういうことだ。

 やっぱりセベリノにとって、ベロニカ以外は有象無象だった。

「セベリノ、駄目じゃない、乱暴をしては。私はラミロに依頼をする側なのよ。すぐに離してちょうだい」

 飼い主に叱られた番犬のように、そっとラミロの拘束を解いたセベリノ。

 急に騎士から連行されて、目を白黒させているラミロに、ベロニカは謝罪する。

「ごめんなさいね、驚かせてしまって。セベリノは私の騎士なの。顔は怖いけど、そんなに怖くないのよ」

 弁解になるのか、ならないのか、微妙な表現だが仕方がない。

 母に会いに来ているラミロに、ここで長々と時間を取らせるつもりはない。

 ベロニカは用意していた封筒を差し出す。

「優秀なラミロに、仕事の依頼をしたいわ。条件は中に書いてあるから、ぜひ検討してもらいたいの。待っているわね」

 そうして、微笑むベロニカに見とれて顔を赤くしているラミロを残し、ベンチから立ち去った。

 すでに病院の中は視察したし、その過程でラミロの母の現状についても把握している。

 ラミロの母は、常に医師の管理下にあれば、命には別条のない病気だった。

 ただし、入院費を稼ぐために、ラミロは絶え間なく仕事をしていて、なかなか母とは会えないようだった。

 そんなラミロの抱える問題を、全て解決する提案をしたつもりだ。

(ラミロ、必ず来てくれると信じているわ)

 そのベロニカの期待通り、次の日にラミロは執務室を訪問する。

「あなたが女王さまだって知らなくて、ごめんなさい。この封筒を門番の人に見せたら、すぐにここへ連れてきてくれて、助かりました」

 いきなり、王城の中でも最奥に案内されて、驚きを隠せないラミロ。

 そんなラミロに、ベロニカは歓待の意味も込めて微笑むと、着席を促し交渉を始めた。

「来てくれて、ありがとう。仕事を引き受けてくれると思って、いいのよね?」

「こんな好条件、断るはずがありません。でも、本当は秘書官になるには、難しい試験を受けないといけないのでしょう? それでなくても、僕は平民だし……」

「ラミロの記憶力が明らかになれば、誰も文句を言わないと思うわ。でも……そうね、難しい試験の代わりに、諜報能力を試してもいいかしら?」

 ベロニカは、すでに知っているラミロの記憶力を確かめるのではなく、諜報員としての腕前を見せてもらうことにした。

 ラミロに提示した条件の中には、毎月高額の給金を支払う秘書官の仕事だけでなく、臨時の手当てを支払う諜報活動も含まれていたからだ。

「もちろんです。何を調べますか?」

 自信があるのだろう。

 ラミロの顔が活き活きした。

「宰相のシルベストレ公爵家について、調べてもらえる? 領地で抱えている、問題があるようなの」

 これから数年後、エンリケは領地への帰省が頻繁になり、その不在時にベロニカは隙を突かれる。

 それとなくベロニカも相談に乗ろうとしたが、エンリケにやんわりとはぐらかされた。

 今はまだ仕事仲間でしかないベロニカに、立ち入ってもらいたくない案件なのだろう。

 過去では、これから数か月かけて苦楽を乗り越えた先、エンリケとは信頼関係を結び、戦友になる。

 しかしベロニカは少しでも早く、サルセド公爵に先手を打ちたいのだ。

「分かりました。宰相さまの領地にも出向くので、調査報告には数週間かかると思います」

「よろしくね。私に解決できる問題であれば、エンリケの助けになりたいの」

 ベロニカの言葉を聞いて、ラミロはちょっと驚いたようだった。

「僕に依頼をする方は、たいてい相手の弱みを探るんです。だから、女王さまの純粋な思いにビックリしてしまって」

 わたわたと慌てるラミロに、ベロニカは可笑しくなる。

「私の依頼にも、裏があるかもしれないわよ。なにしろ私は、悪の女王かもしれないんだから」

「悪の女王? とんでもないです。女王さまは、美しくて気高くて、なんだか夜の女神さまみたいです」

 真っ赤な顔のラミロが、俯きながらベロニカを褒め称える。

 セベリノが、ベロニカの背後で、うんうんと頷いていたが、ベロニカには見えていなかった。

 諜報員としてのラミロは、ベロニカが思っていたよりも優秀で、この後、早々に成果を上げて戻ってくるのだった。