「お前が俺に会いに来るなんて、珍しいな」
獄界の中心で遥かにそびえる巨城。
その心臓部にほど近い棟に、王への謁見の間はあった。
やたらと立派な装飾の施された、巨大な玉座。
男はそこに座して……というより、気怠げに胡座をかいていた。
「なあ。玖斬」
男は謁見に訪れた者の名を呼び、それはそれは楽しそうに口端を上げた。
呼ばれて、クザンはバリバリと頭を掻く。
ついさっき、ヒバナに丁寧に撫で付けられた髪は、途端にボサボサに戻った。
「俺は会いたかねぇんだけどな。直接聞くのが早ぇし、しょーがなく、な」
視線を合わせない息子を、男はさも愉快そうに眺める。
「そう無下にすんなよ、俺は会いたかったぜ?」
「またそういう事を……」
渋々と、どこか照れ臭そうに、ぎこちなく視線を合わせてくるクザンを見て、男は心底楽しそうに笑った。
「お前も、もう分かるだろ? 親心ってやつが」
言われて、クザンは一つ舌打ちをすると、本題に入った。
『この世界が近々崩壊する可能性がある』
その報告が、天界から入っているのかどうか。という話だ。
「……そんなのは、聞いてねぇな……」
男の纏う空気が、ずしりと圧を増す。
獄界へは『環を狙っている奴がいたが、取り戻した』という報告だけがきていた。
「あいつら、都合の悪りぃ事はてめぇらだけで片付けようとすんだよなぁ……。こっちに迷惑がかからねぇなら、それでもいいんだが。上手くいってねぇっつーのは、まずいな……」
頬杖をついて、男はぼやく。
「ま、せいぜい悩んでくれ。じゃあな」
クザンが、用は済んだとばかりに背を向けるのを、男が止めた。
「待て」
「あ?」
クザンは肩越しに顔だけで振り返る。
「お前の仕事はしばらく預かっといてやる。お前が行って来い」
さらりと言われて、クザンはじとっとした眼差しを、階段の上、玉座からこちらを見下ろす男に投げる。
男は変わらぬ余裕の表情で、クザンを見下ろすだけだった。
「……わかった」
それだけ答えると、クザンはもう一度背を向け、出口へと歩き出す。
(ま、こうなる予感はしてたけどな……)
クザンの背を惜しむように見送っていた男が、視線をクザンの足元で平伏していた白い服の男に合わせる。
「火端」
呼ばれて、白い服の男が短く返事をした。
「玖斬を頼む」
ヒバナは深く頭を下げ、もう一度短く答える。
クザンはだだっ広い謁見の間をズカズカ歩いて、もうあと数歩で部屋から出ようというところだ。
その後ろ姿に、男が言葉を投げた。
「玖斬。ヨロリの事、助かった」
男とヨロリは旧知の仲だった。
どれほどの親交があったのか、クザンは詳しく知らなかったが、じーさんの思い出話に、時々親父の名が出る事があった。
大事に思っていることは、顔を見れば分かった。
カロッサが死ねば、じーさんは凍結から戻る。
あの地下室で一人朽ち始めた身体を、弔ったのはクザンだった。
クザンは、振り返らずに手だけを上げて答える。
親父の情けない顔は、まだ見たくなかった。
----------
レイは、意識を失っていた。
もう何度目になるか分からない。
何度試しても、妹の名は取り戻せなかった。
ふわふわとした意識は、どうやら夢を見ているようだ。
街並みを一望できる小高い丘の上。
レイは、この場所が好きだった。
嬉しいことがあった時も、悲しいことがあった時も、ここが一番、天に召された両親に近いような気がしていた。
ふと足元を見れば、金色の髪をした幼い少年が蹲って泣いていた。
ああ、これは俺だ。とレイは思い出す。
背の高い細長い草が一面を埋め尽くしていて、蹲み込んだ少年は完全に草の中に埋もれていた。
丘の向こうから、レイを探しに義兄がやってくる。
「レイザーラ! どこだ、返事をしろ!」
義兄はまだ五十歳ほどだろうか。人だと二十五程の若々しい姿だった。
人だと十歳そこらの見た目をした俺が、ぴょこんと顔を上げた。
「キルトールさん……探しに来てくれたの……?」
「ああ……、そんなところにいたのか」
ホッとした様子で、義兄が駆け寄る。
幼いレイは慌てて服の袖で涙を拭った。
「あまり心配させないでくれ。街中探し回ったんだぞ」
そう告げるキルトールだが、その姿にあちこちを探し回ったような疲労はうかがえなかった。
その事に、記憶の中の幼いレイは気付かなかったが、それを見ていた今のレイには分かった。
彼は、もうこの時既に、自分の位置をマークしていたのだと。
「……ごめんなさい」
キルトールは屈んでレイに視線を合わせる。
「学校で、何かあったのか……?」
キルトールは、教師から事情を聞いてはいたのだろうが、レイに問いかけた。
「……」
レイは黙ったまま俯いていた。
両親を亡くしたレイは、義兄の父に拾われた。
そのため、レイは先週そちらの家に引っ越し、転校した。
両親の事を酷く言われる事は無くなったが、それでもレイが拾われ子だというのは、すぐ周知の事実となった。
「はあ……。まあ、どこにでも心ないことを言う奴はいるものだ。お前は何も悪くない。堂々としていればいいんだ」
幼いレイは、励まされた事が嬉しくて、涙を溜めたままの顔で「はい」と笑った。
「あと、敬語は使わなくていい。歳は離れているが、私達は兄弟だ」
「は……う、うん。キルトール……
レイが恥ずかしそうに言うと、キルトールも、また少し照れくさそうに微笑んだ。
「義兄さんか。……なかなかいいな」
嬉しそうなキルトールに、レイもなんだかとても嬉しくなった。
キルトールにくしゃくしゃと頭を撫でられると、残っていた涙が一粒転がり落ちた。
キルトールはその一粒が草の葉を伝い、地に染み入るのを黙って見つめていたが、少し何か考え込んでから、悪戯っぽい笑顔を浮かべた。
「よし、じゃあ特別に。
「とっておき……?」
「ああ、私の切り札だぞ?」
幼いレイは、よく分からないながらも、キルトールの好意に喜びを表した。
「うん! ありがとう、義兄さん!」
義兄は辺りに人がいない事を確認すると、意識を集中させる。
次の瞬間、レイの目の前、空中に大人の手のひらほどの、赤い実が現れた。
落ちると思ったレイが、慌てて小さな両手を広げる。
しかし、その赤い実は浮いたままだった。
「わぁぁ……」
その不思議な光景を、キラキラとした目で見上げるレイ。
「ふふっ」
キルトールがレイの様子に満足そうな声で答える。
「これは、物質を転移させる術だ。この広い天界でも、使える者はほとんどいない」
「すごい! 義兄さんすごいね!!」
「そうだろう?」
キルトールは、自慢げに、今度は赤い実を自在に動かして見せた。
「自由に動かせるの?」
「もちろん」
「すごいなぁ……」
うっとりと、キルトールを見上げる称賛の眼差しに、キルトールも目を細める。
「レイザーラは、素直で可愛いな」
キルトールは、義弟の金色に輝くふんわりした髪を指ですくうと、さらりと流す。
「か、可愛いって言われても……」
レイが困ったように眉をしかめるので、キルトールは苦笑する。
「ご不満のようだね?」
「かっこいい方が、嬉しい……」
キルトールからみれば、レイはまだまだ可愛らしい姿だったが、ここは義弟を尊重する事にする。
「それは失礼。以後気をつけよう」
「うんっ」
微笑む義弟を、やはり可愛いと思うキルトールが、不意に真剣な顔をした。
「この術の事は、人に話してはいけないよ? 私の切り札だからね」
「わかった!」
レイの無邪気な笑顔に、キルトールもまた微笑んだ。
『後で記憶を封じておこう』と思いながら。
ふわりと風が吹いて、足元の二人の姿が霞んで消える。
丘も街並みも、全てが消えて、レイはゆっくりと目を開いた。
冷たい床の感触。
レイは何度目かの気絶から、意識を取り戻した。
コンコン、と扉からノックの音がして、ガチャリとその戸が開けられた。
「レイザーラ……」
キルトールは、床に伏すレイの憔悴しきった様子に、憐憫の目を向けた。