第40話 弟

 ――さてこの日、俺は久しぶりに大学へと向かった。ライターのバイトのネタ探しとして、民俗学の本を読む事にしたのである。図書館へ向かおうと階段を下りていると、不意に腕の袖を引かれた。振り返ると、そこには遠藤梓が立っていた。

「ちょっと占わせてくれないかな」

「う、うん? 今?」

「そう、この場で良いから」

 事故は大丈夫だったのか、いつ退院したのかと聞こうとして、俺は止めた。

 あまり立ち入った事を聞いては悪いだろうと判断したのだ。

「――何か黒い影、いや白いのかな、丸い物に体を包み込まれているように見える。苦しいとか最近無い? なんだろう、息苦しいとかかな。とにかく苦しんでいるはずだね」

 体の事だとすれば……体の熱が辛い事だとすれば、遠藤の占いは当たっている。包み込まれているのかは、ちょっと分からないが。

「その苦しみから解放されたいような、解放されたくないような、答えは一つのはずなのに、何故なのか迷っていない?」

 勿論体の熱からは解放されたい。答えは一つだ。

 だがもうすっかり俺の体はおかしかったから、今更快楽を忘れられるのかという不安は確かにある。今は痛みよりも快感が恐ろしい。けれどこちらは、気が狂うほどの悦楽をもたらしてくれるのだ。甘くて、思い出すだけでも体が熱くなる。

「だけど結果的に無事に解放されるよ。近い内に、庵を結んでいる賢者と会うのが視える。その人が鍵になってくれる。なんだか事故に遭ってから、霊感占いも出来るようになっちゃって、近い未来の場面がたまに視えるんだよね。じゃあ、また」

 遠藤はそう言うと歩き出した。俺は何も言わないままでそれを聞き、彼の後ろ姿を見た時になってやっと、「また」と返した。

 その日の午後、弟が東京に出てきた。高校が休みだったらしい。俺と弟は違う高校なので、何故平日なのに休みなのかは知らない。

 泊めて欲しいとの事だったので、時島の了解を得た。薬作りが落ち着き、再び時島の家に頻繁に訪れるようになっていた紫野も、会うのが楽しみだと言っていた。結果、駅前のファミレスで合流した。

「初めまして、左鳥の弟の、霧生右京です」

 右京が礼儀正しくお辞儀をすると、時島も紫野も笑っていた。

 和やかな空気に、俺は一時だけ、二人との肉体関係を忘れられる気がした。そう言う事とは無縁の右京がそばにいてくれるからなのかもしれない。右京がそばにいると、全てが洗われていく気がした。

 その場で、右京と二人が連絡先を交換していた。

 弟が、自分もオカルト話に興味があると言ったからだと思う。俺が二人について、オカルト話をする友人だと紹介したからだ。二人はそんな俺を、笑いながら見ていた。ただ少しだけ、二人の眼差しがきつくなったように思う。睨まれても困る。勿論、事前に体の関係については、口止めをしておいた。

 その後、二人きりにしてくれるという配慮だったのか、時島と紫野は飲みに行くからと言って、出て行った。弟は高校生だから飲めないので、何の不信感もなく俺とそのまま、ファミレスに残った。

 それから暫く雑談をしていた時、不意に右京が真面目な顔になった。

「サトさ、なんか疲れてる?」

「――え?」

「自覚の有無は知らないけど、疲れているように見える。休んだ方が良いような気がする。大丈夫?」

 実際俺は、肉体的にも精神的にも疲れていた。

 何せ、未だにほぼ毎日誰かと体を重ねている。相手は時島の場合が大半だが、紫野とも何度も体を重ねているし、あの後も二度ほど高階さんにも会った。

「サト、何かあったの?」

「……別に。大丈夫だけど……」

 右京は鋭い。何も言わなくても伝わるようで、普段はそれが心地良いのだが……この時ばかりは、同性と肉体関係にある事が露見するのを、何よりも恐れてしまった。

「今度、椚原のお祖父ちゃん家に行くんだけど、一緒に行かない? あそこでゆっくり山でも見てみたら?」

 その言葉に、緑を見るのも悪くはないなと純粋に考える。

 夜、時島と紫野と、家で合流した。そこで翌日右京と共に、実家――正確には祖父の家へと帰省すると告げた。二人は何も言わなかった。