コンシェルジュさんがいる間じゅう、ずーっと緊張して固まってた伊緒里ちゃんが、彼女が出ていった途端、ようやく口を開いた。
「ね、ねぇ……威くん、ここここんなすごいお部屋……いいのかな? いいのかな?」
普段教室で見せている、クールな君はどこへやら。
スイートルームの豪華さに圧倒された伊緒里ちゃんが僕の腕にしがみついている。
うん、そーだよね。こんな部屋、僕もテレビでしか見たことなかったよ。
「僕は、国のお願いでこの島に来たんだ。このくらい福利厚生の一部だよ」
「ふぅん、イクサガミ様ってやっぱすごいのねー……」
と、あれこれ感心しっぱなしの伊緒里ちゃんだった。
ルームサービスの食事をたらふく食って、やっとひと心地ついた僕は、隣でスイーツをついばんでいる伊緒里ちゃんになんとなく訊いてみた。
「ね、『見晴らしのいいホテルで――』ってヤツ、こんな所で良かったのかな。あ、でも今は夜だから夜景しか――」
「ひぁっ、な、いきなり何言うの、威くん! えっと……それは、思ってたよりずっと……その……素敵なお部屋で……びっくりした」
伊緒里ちゃんは、膝の上に敷いたナプキンを胸元にきゅっと抱いている。
「そっか。気に入ってくれたんならよかった。ごめんね、なんか自由に外歩けなくて。でもここはこうやって食事も出来るし、DVD借りればあっちの大画面テレビで映画も観られるし、他のフロアには屋内プールもジムもある。
総合保養施設みたいなもんで、いつでも好きな時に使えるからさ、今度は明るい時にまた来ようよ。……ん? どうかした?」
伊緒里ちゃんがもじもじし始めた。ん? ポケットから何か取り出したぞ。
「あの……」
例の生徒手帳だ。
伊緒里ちゃんは手帳をぴらりと開いて、ある一点を指さした。
「はあ……」
僕は一つ嘆息すると、伊緒里ちゃんの手帳にそっと手を置いてこう言った。
「別に急ぐこと、ないでしょう? 僕、そんなつもりで連れて来たわけじゃない」
すると伊緒里ちゃんはイヤイヤをして、弱々しい声で言った。
「陸が……こわい。私、いつか、そう遠くないうちにあの子に……。だから……」
僕は息を飲んだ。
伊緒里ちゃんは別に夢みたいなことを言ってたわけじゃない。望まない初体験をしたくない、それが伊緒里ちゃんの願いなんだ。
「あの子乱暴だから、すごくヤなの。今までも何度か、こないだみたいに力づくでキスしようとしたり、体触ってきたり、痛いことばっかりするの。
今までなんとか避けてきたけど、陸なんかに乱暴に犯されたら、私もう、一生男の人と付き合えなくなっちゃう……」
そう言って、伊緒里ちゃんは僕の腕にしがみつき、体を預けてきた。
伊緒里ちゃんにとっての安全地帯は、僕の傍らしかない。そういうことなんだね。
確かに、僕と付き合いだしたことで、かえって陸くんの乱暴もエスカレートしそうな気がする。現に僕に対しても暴力を振るっている。
今夜はそれとして、早急にどうにかしないと伊緒里ちゃんも安心出来ない。
しかし彼を追い出すのは三人の本意でない。
なら、どうしたらいいんだろう……
「…………わかった。僕で、いいなら……」
伊緒里ちゃんはコクリとうなづいた。
「大丈夫。絶対やさしくする。これでも多少は心得てるつもりだから。あっ……ごめん」
安心させるつもりが、ついうっかり、みなもとの関係を暗に口走ってしまった。
「ううん、別に何とも思ってないし、今は……私の彼氏だから」
彼氏……。
なんていい響なんだろう……。彼氏。
みなもにも言われたことのない言葉。
ずっとみなもに言われたかった言葉。
そしてもう、みなもに言われることのない言葉。
僕は、ホントに伊緒里ちゃんの彼氏なのか? 今でも信じられない。
伊緒里ちゃんの口からはっきり言われると、たまらなくうれしい。でも――
成り行きでこんな関係になっちゃったけど、伊緒里ちゃんは本当にそれでいいのかな。
正直、こんな曰く付きの男を彼氏にしてくれたってだけで、僕は幸せもんだと思っている。ただでさえ本土では人外は嫌われるんだ。それが神族だったとしても。
伊緒里ちゃんに言わせれば、自分の方こそ曰く付きだって言うだろうけど……。
『どうして僕ら、こんな悲しい出会い方をしたんだろう?』
それは何度も考えていたことだ。
なんで、関わった全員が悲しい想いをしなきゃならないんだろう。
でも、少なくとも、僕がこの島に来たことで伊緒里ちゃんが救われたのなら、多分それで良かったんだ。そう思わなけりゃ、やってられないじゃないか。腹はくくったはずだった。なのに、何度も考えてしまう。
とにかく、これからどうやって伊緒里ちゃんを幸せにするかを考えなくちゃ。
正直、どうすればいいのかなんて今はわからない。
だから、出来るところから始めるしかない。
とにかく今は、目の前の『お願い』を叶えることに集中しよう――。
◇◇◇
……で、『お願い』を叶えたばかりの伊緒里ちゃんは、いま僕の腕の中で、うにゅうにゅしてるところだ。
無論、一糸まとわぬ姿に決まってる。
途中経過はどうだったんだって? んな恥ずかしいこと言えるか。
とにかく、なんとか無事終了したとだけ報告しておこう。
普段クールな伊緒里ちゃんだけど、実はとっても乙女なのが、ギャップ萌えというか、なんというか……。
僕の前では素顔を見せてくれるのが、すごくうれしい。ギャップが、という話じゃなくて、僕のそばでは、安心してくれているってことがね。