第16話 構成物

 マスクの退治を終え、昼食にすることになった。

 西園寺がコンビニに三人分買いに行くというので、それに任せて梓藤と静間は公園に残っている。四阿のベンチに座して、それぞれ滑り台やブランコといった遊具で遊んでいる子供達を、どちらともなく眺める。砂場には、城を造っている小学生くらいの男子がいた。

「ねぇ、冬親ちゃん」

「そう呼ぶなと何度も言ってるだろう」

「廣瀬ちゃんのことを思い出すから?」

「違う、関係ない」

 そう梓藤が断言すると、静間が苦笑した。そして愛用している排除刀へと、何気なく視線を落とす。梓藤はそんな静間にチラリと視線を向けた。泣きぼくろを一瞥する。

 静間は二年前に配属されてきたのだが、すぐに第一係に適合し順応した。時々遅刻をしてくる癖があるが、仕事には熱心だ。見た目が嘘のように、的確に仕事をこなしている。

「伊月ちゃんはまだ配属されたばっかりだったから、正直俺は、亡くなってもそんなにダメージは受けなかったけど、廣瀬ちゃんは別じゃない? 俺はショックすぎる。時々思い出して、ああ……もういないんだなぁって思うほどだよ」

 すると梓藤が、追憶に耽るような、透き通るような瞳をした。

「人間は誰だっていつかは死ぬ」

「だからといって、遺された人間がすぐにそれを受け入れられるわけじゃないじゃん。冬親ちゃん。本当に顔色が酷いよ。寝てないんじゃないの? 上の階の医務室に行った方がいいんじゃない?」

「俺は平気だ」

 梓藤がきっぱりと断言した時、公園の入り口から、西園寺が戻ってくるのが見えた。

 すると静間が口を噤む。その後両頬を持ち上げて、口元を綻ばせた。

「おかえり、色ちゃん」

 静間がそう声をかけると、頷きながらパンや弁当を、西園寺が四阿に中央のテーブルに置いた。それを見ながら、梓藤は、確かに胸が痛むことは事実で、静間の言葉は正しいと考える。

 笑顔を浮かべ西園寺に話を振り、先程の会話など無かったかのように振るまう静間の態度が、梓藤には心地よかった。

 その日、梓藤は直帰した。

 そしてエントラスの灰色の扉と鍵を閉めた瞬間、その場に頽れた。

 平気だと、いくら職場の人間の前では取り繕っても、一人になればもう駄目だった。

 左手の指を口元に当て、右手では零れ落ちてくる涙を拭う。

 思い出すのは、当然斑目の事だ。

 未だ梓藤の中では生きているといえる。斑目の存在を、過去の思い出にする事など、決して出来ない。梓藤の中で、斑目の姿が風化することなどあり得ない。なのにどうして、今、自分は独りで泣いているのか、訳が分からない。今度は両手で顔を覆う。温水が両手の指を濡らしていく。

「なんで死んだよ。本当にバカな奴だな」

 そう言って梓藤は唇の両端を持ち上げて、嘲笑しようとした。だが失敗し、泣きながら、歪な表情でなんとか笑うだけに変わった。

 そうして、梓藤は泣きじゃくった。嗚咽がひっきりなしに響き渡る。

 息が出来ないほどだった。

 梓藤はその後なんとか立ちあがり、靴を脱いでフラフラとリビング行く。そして座りながら、斑目がいつも淹れてくれた珈琲を思い出した。勝手知ったる様子で、笑顔を向けて。脳裏をその光景が過る。しかし左を見ても、右を見ても、アイランドキッチンの向こうにも、正面にも、後ろ側にも、斑目の姿はない。当然だ、あの暗がりで、斧で切られて頭部だけになったのだから。首から緩慢に流れていた血に己の掌が濡れた事を思い出す。そうだ、斑目は頭部だけになったのだ。だから、何処にもいるはずがない。探すだけ無駄なはずなのに、それでも涙で歪んだ表情で、斑目の気配を探さずにはいられない。死んだという現実を受け止めきれない。脳裏には確かに頭部が過るというのに。

 斑目の存在は、自分を構築する一部だったらしい。それも、大切な構成物だ。己は斑目の存在に依存していたと痛感する。

「斑目。お前のせいで眠れなくなっただろ。お前の夢ばっかり見てるんだぞ」

 梓藤は泣きながら笑った。

 この夜も、梓藤は飛び起きた。笑っている斑目が、目の前で首を刎ねられる悪夢、胴体を喰われていく光景。斑目は、どんなに恐怖を感じ、辛かったのだろうか。夢の中でそう思った時、斧を持った斑目が笑って夢の中では無事な肢体で立ち上がる。そして梓藤が大好きだった柔和な笑顔で斧を持ち上げると、それを笑顔のまま自分に向かって振り下ろし――……そこで梓藤は飛び起きた。全身にはびっしりと汗をかいていた、呼吸が荒い。掛け布団を握りしめ、暫しの間、梓藤は自分が殺されかけた悪夢に震えていた。時計を一瞥すれば、十分程度しか眠っていなかったが、寝直す気分では無かった。

 朝になり、夜が明けてから、梓藤は朝食にとトーストを作った。

 それを噛んでみるが味がせず、あまりにも眠くて、それが邪魔をし食欲が出ない。

 朦朧とした思考のまま、黒いネクタイを締め、ネクタイピンを一瞥する。これだけは、いつも共に在る斑目の残り香だ。

「確かに重傷だな。静間の言う通り、俺は医務室に行くべきだろう」

 苦笑しながらも、とっくに限界だった自分のことをよく分かっている梓藤は、適切な判断を下した。仕事に行く前と、仕事中だけは、表情を保ち、思考を雑務やマスクに集中させることが可能だ。現在職務は、斑目についての感情を一時的に抑えてくれるから、非常に優しいものと変わっていた。