第271話 秘密を共有する仲間



「共犯者、ですか……?」


 きょとんと、声に出して。


 思わず、ルーカスさんを見上げたまま、問いかけてしまったのは……。


 さっき言われた、その一言が何を意味するのか、頭の中では直ぐに理解出来なかったからだった。


「うん。……あー、っていうか“共犯者”って言うと、まるでこれから悪いことをするみたいで、ちょっとだけ語弊があるかな、?

 どっちかっていうと、俺と二人“”って言った方が分かりやすい?」


 それから……。


 私の言葉に同意するように、ルーカスさんが苦笑したように一度頷いてくれたあとで、真剣な表情を浮かべたのが見えて。


 私自身、前後の文脈から考えてみても。


 今、ルーカスさんが言ってくれている提案については、朧気ながらも理解することが出来ている、と思う。


【つまり、二人で協力して、とりあえず表向きとしては、婚約関係を結ぶけど……。

 それは、あくまでも一時的なものであって、いずれは解消されるものになる】


 ということ、なんだろう、な……。


 最初にルーカスさんから“共犯者”って言われた時は……。


 確かに、そのニュアンスから何処となく悪いことをしなければいけないように感じてしまったけど。


 “秘密を共有する仲間”って言われると、そこまで悪いものではない気がする。


 それでも、どうしてもモヤモヤするような、漠然とした不安感が出てきてしまうのは。


 ルーカスさんが、どうしてそこまで必死になって、私と一時的でも婚約関係を結ぼうとしているのか、肝心の、その理由が全く分からないから、だと思う。


 何となくさっきまでの話も含めて総合して考えると、ルーカスさんが私と婚約するために動いていたのは……。


【私の安全のためと……、お兄様のためと……】


 ――後は、他に何か理由があるんだろうか……?


 その理由について、思い当たるようなことを指折り数えてみても。


 今、私にもたらされている朧気な情報だけでは、しっかりとした全体図まで掴めなくて、困惑してしまう。


 だけど、ルーカスさんの口ぶりから考えてみても。


 この婚約を結ぶということ自体。


 最後まで、私にとって“不利な状況にはならないように配慮してくれようとしている”のだけは、読み取ることが出来る。


 それと同時に。


 ルーカスさんを疑う訳じゃないけれど。


なんていうことが……】


 ――本当に出来るんだろうか?


 と、疑問に思ってしまうのは仕方がないことだと思う。


 だって、ルーカスさんと私が、婚約関係を結ぶということは……。


 一度は二人でお父様にきちんと報告を済ませて、認められるという状態を作らなければいけなくなるっていうことだし。


 そうなったら、きっと世間に向けて大々的に発表もしなければいけなくなってしまうだろう。


 それに。


 例えば、生涯の主人に仕えることを約束するような騎士の誓いとか。


 貴族間で取り交わされる契約なども含めて、この国でもそういった誓いや契約に関しては様々な物があるけれど。


 その中でも特別、最重視されていて、“一番重い”とされている契約が。


 皇帝陛下お父様関連……。


 いては国に関係する契約や、誓いだということは間違いない。


 お父様が公の場で認めるということは、国が認めた契約や誓いと同義であることはルーカスさんも知っている筈だし。


 巻き戻し前の軸でも色々と見てきた経験から。


 一度、結んでしまった契約は……。


 そんなにも簡単に破棄出来るような物ではない、ということを私自身も重々理解していた。


 だからこそ、いずれ、その婚約を簡単に破棄することが出来るような、“そんな魔法みたいな手段”をルーカスさんが持っているのかと、驚いてしまった。


【何の為に婚約を結んで、どうやってそれを解消するのか……。

 その期間は、一体いつまでで、いつになれば問題がなくなるのか】


 など、分からないことだらけの現状で……。


 ルーカスさんの言うように、もしも私達二人が“秘密を共有する仲間”なのだとしたら。


 私自身そのことについて、もっと詳しく知っておかなければならないんじゃないか、と思って。


「……あの、ルーカスさん」


 と、控えめに……。


 けれど意思のこもった強い気持ちで、私はルーカスさんの方を真っ直ぐに見つめた。


「私自身、ルーカスさんのその提案に乗ることは、別に構わないと思っています。

 でも、現状、あまりにも分からないことだらけで……。

 その、もしも、私達が秘密を共有する仲間なのだとしたら。

 ……せめて、さっき、私の安全のため、って言ってくれていたことも含めて。

 この婚約にどういう目的があって、ルーカスさんが、どういう風に動こうと思ってくれているのか。

 私にも、きちんとした、事情を教えて頂けないでしょうか……?」


 そうして、しっかりとその表情を見ながら、自分の意見をはっきりと伝える私に。


 ルーカスさんは、苦笑しながらも……。


「あぁ、うん。……そうだよね。

 お姫様からしたら、自分の将来も関わってくる大事なことだもんな。

 ……碌に、説明もしないまま、頷けるような話じゃないのは俺も重々承知してるよ」


 と、声に出してくれた。


 その姿はいつものように柔和で穏やかなものだけど、


 その瞳からは、壁を作られてしまっていて、周囲の人を寄せ付けないようなそんな雰囲気がある。


 そのことに、やっぱり上手いこと誤魔化されて、本当の理由や目的を教えてはくれないんじゃないかと、一瞬だけ身構えてしまった私の予想に反して。


「君の安全、って言ったのはさ。……本当にそのまんまの意味でしかないんだよ」


 と、ルーカスさんから言葉が返ってきた。


「そのままの、意味ですか……?」


「うん。

 元々、俺が君の婚約者候補に名乗りを上げたのは、エヴァンズ家が君の後ろ盾になるっていう目的だってことは以前、陛下の前でも話してたでしょ?」


 そうして、続けてルーカスさんからそう言われて、その言葉に同意するように私はこくりと頷き返す。


 ――確かに、最初にルーカスさんが私に“この話”を持ってきてくれた時。


 お兄様と私の対立を避ける意味でも、エヴァンズ家が私の後ろ盾になってくれる、という話だったと思う。


 あの時は、お兄様の傍に付いているからこそ。


 ルーカスさんが私の婚約者になってくれることで、対外的にお兄様と私の仲が良いと思わせられると伝えてくれて。


 私自身がお兄様が将来、お父様の跡を継ぐことを認めているアピールにもなるって言われたんだっけ……。


 私が頭の中を回転させて、過去の状況を必死で思い出そうとしていると。


「ねぇ、お姫様。……よく聞いて」


 と……。


 さっきまで、温和な表情だったルーカスさんの瞳が、急に真剣な表情になって。


 ほんの少しだけ顔を斜めに傾けて、耳元で内緒話をするみたいに、かなり近くまで距離を詰められてしまい……。


 その状況に、私自身、驚いて思わずびくっと肩が跳ねてしまった。


「あ、の……、るーかす、さん……?」


 そうして、戸惑いながらも声をかければ……。


「……君が思っている以上に、世間の目はいつだって、君に優しくない。

 どんなにお姫様が、一生懸命に今を生きていたとしても。

 どんなに殿下と対立するつもりが無いって思っても。……そんなもの関係ないんだよ」


 と……。


 あまりにも普段のルーカスさんとは違うような、低い声でそう言われて。


 私は、反射的に、そっと、ルーカスさんの方を見つめてしまう。


 此方へと向けてくれているその瞳は、まるで感情が消え失せたように無機質で。


 普段のように温かな表情すらも感じることのない冷たい目をしていて……。


 どうしてか、分からないけど、何となく手を伸ばして、自分の指先でその頬に触れたのは。


 きっと、多分、前に見た時と同じように。


 ルーカスさんから……。


 “泣きたいのに、泣くことの出来ない子供のような”そんな危うさを感じてしまったからだと思う。


 そっと、私の指先がそのほっぺたに触れた瞬間。


 ルーカスさんの手のひらが、私の手首を包みこむようにして掴んでいて。


 そのまま、引っ張られたことで、バランスを崩し……。


 私は、ルーカスさんの腕の中に収まってしまう。


「……っ、」


 咄嗟のことで、そのことに、びっくりするよりも先に。


「君は、から。

 もっと“俺も含めて”人を疑うことを覚えた方がいい。

 悪意にも、敵意にも満ちたような瞳ってのは、それこそ、そこら中に転がっている……っ。

 君のことを疎ましいと思うような存在が、身近にいるかもしれない可能性は考慮するべきだ」


 と、耳元でそう言われて。


 私は、その言葉の意味が直ぐに理解出来ずにパチパチと目を瞬かせる。


 ……違う。


 言われたことの内容自体は、私にも理解することが出来た。


 私のことを疎ましいと思うような存在が、身近にいるという可能性について、ルーカスさんが警告してくれているのだということは直ぐに分かった。


 でも、それ以上に、どうしてルーカスさんがのか。


【誰か、私のことを疎ましいと思っているような人に心当たりがあるのか、とか……】


 ――どうして、その中に、ルーカスさんも含まれているんだろう、とか……。


 そういう疑問が、いっぱい、あふれ出てきてしまって、あわあわと混乱してしまう。


「あぁ、の……、るーか、す……さ、」


「きっと、その命が狙われるような危険な状況になったなら。

 君の傍で常に目を光らせている“狂犬”が、いの一番に君のことを守るだろう。

 ……だけどね、お姫様。

 この皇宮の中で生きてると、ただ馬鹿正直に真正面から、君の命を狙ってやってくる人間ばかりじゃないよ。

 寧ろ、そんなのは極少数で、気付かれないようにと内から巣くう闇が、今この瞬間にも君の足を目がけて引きずり降ろそうと手を伸ばしてる」


 ――この庭園の中には、私とルーカスさんの二人しかいないのに。


 私が一人、その腕の中で困惑している間にも。


 ルーカスさんは私の耳元で、可能な限り声のボリュームを抑えながら、私に対して声をかけてくれる。


 そうして、私の手首を握っていない方の指先を使って。


 ルーカスさんが、私の首にそっと、その手のひらを当てたのが見えて。


 冬の寒さに冷え切ったその手のひらの冷たさを感じながら、その行動の意味が理解出来なくて。


 私は息を呑んでから、顔を上げて、ルーカスさんの方を戸惑いながら見つめることしか出来なかった。


「……ねっ? 今もこうして、純粋で無垢で、は、俺に“生殺与奪の権利”をいとも簡単に握られてしまってる。

 このまま、俺が君の首に当てている、この手に力を込めたらどうなると思う?」


「……っ、」


 ただ、その手を首に置かれているだけ。


 それだけなのに、空気が一変して、突然、緊迫感が漂ってきてしまったような状況に混乱しながらも。


 見上げたルーカスさんの表情は、私なんかよりも本当に、苦しそうで……。


 私は思わず、その表情に吸い込まれるように視線を取られてしまって。


 そのまま、ルーカスさんがそっと私の首から手を離してくれたことも、数秒ほど気づけなかった。


「……なぁんて、ねっ。

 ごめん、冗談にしては、やり過ぎだと思ったんだけど。

 でも、ほら。……こうすることで、お姫様も、ちょっとだけでも今、自分の身が危ないって危機感を覚えてくれたでしょ?

 殿下がきちんと陛下の跡を継いで、戴冠式たいかんしきを行うまでは、お姫様の身はいつだって、国内外問わず、色んな危険に晒されている。

 その安全を守るための、婚約だし。

 それが、俺が、お姫様に婚約を申し込んだ理由の一つでもあるんだよ」


 そうして、パッといつものように切り替えて、明るくそう言ってくれるルーカスさんの姿に、張り詰めていた緊張感が緩和され。


「……は、っ……ぁ……、」


 と、気付かない内に止めてしまっていた自分の息を吐き出しつつ、呼吸を整え。


 ホッと胸を撫で下ろしながら……。


 私は、ただ、自分の首にルーカスさんの大きい手を当てられていて、痛くもなかったのに、無意識にそこをさするように、自分の手を伸ばしていた。


「……あの、私の安全について、ルーカスさんが配慮してくれようとしているのは、凄く分かりました」


「うん」


「えっと、それで、その……。他の、理由とかについては……、」


「あー、後はそうだね。……勿論、殿下のためもあるよ。

 殿下が俺のことをどう思ってるかは知らないけど、俺自身、殿下のことは、本当に掛け替えのない友人だと思っているから」


 そうして、どこか呆れたようにも見えながら。


 苦笑するように私に説明をしてくれるルーカスさんの言葉は……。


 いつも、上手く誤魔化されてしまったりで、一体どの言葉が本心なのか、何を信じればいいのか、時々悩んでしまうようなこともあるけれど。


 少なくとも、その雰囲気から、今、本当にお兄様のことも考えてくれているのが伝わってきて。


 私はその言葉に、真剣な表情になりながら、ルーカスさんの方を真っ直ぐに見つめた。


「まぁ、当事者である君に対しても、まだまだ言えてないこともあるから。

 直ぐには、信じられないかもしれないけど。

 俺は、殿下のことも君のことも考えて、それが一番良い解決方法なんだって、今も思ってる。

 陛下には、君の年齢のことも考慮して、暫くは大々的には発表しない約束を取り付けておいて。

 特に、外に出ることが殆どない、今の君の敵に一番なりやすそうな身近にいる皇宮内の人間……。

 例えば、宮で働く官僚とか、陛下の側近とか。

 あー、後は、敵になるなんて事は無いかもしれないけど、婚約するなら、殿下を含めた君の家族関係とか。

 一部の人間にだけ、俺と君が婚約したことを伝えれば……。

 仮にこの先、俺と君の婚約が破棄されたとしても、そこまで大きな影響はないと思う。

 だから“遠くない未来”に、この婚約が必ず破棄されるという前提で、俺と婚約関係を結んで欲しい」


 それから……。


 続けて、ルーカスさんから、そう言われてしまって。


 直ぐに答えを返せずに、口ごもってから、頭の中で今、言われたことも含めて。


 色々なことを天秤にかけて、悩んだ結果……。


「俺自身、こんな言い方は卑怯だって、自分でも自覚はあるんだけどさ。

 お姫様が、未来で皇位を継ぐつもりが無いのなら、“殿”にも、今の間だけ俺に協力してくれないかな?」


 と、そう言われて。


 私は、戸惑いながらも、『……それなら』と、決意を固めて……。


 こくりと、頷き返した後で、ルーカスさんのその手を取った。


 ――その瞬間……。


「……オイっ! ……ルーカス、いい加減にしろよっ。

 お前、一体、アリスに何をやってるんだっ……?」


 と、本来、ここにはいない筈の、お兄様の怒ったような声が遠くから聞こてきたような感覚がしたあと……。


 直ぐ目の前に、ぶわっと風が舞い上がるようにして。


 カラスのような黒が横切ったと、思ったら……。


 気付いたら、セオドアに私の身体ごと、ルーカスさんから奪い取るようにして、引き寄せられていた。


 そうして、上をそっと見上げれば、一度も見たことが無いような、怒りに染まった表情で……。


 私を抱き寄せてくれたままのセオドアが、ルーカスさんに威嚇するように怒っているのが見えて。


 私は突然のことに困惑しながら、セオドアの腕の中で一人、おろおろとしてしまう。


「……えぇー……っ、?」


 そうして、混乱していたのはルーカスさんも同じだったみたいで。


 きょとんとしながらも、お兄様とセオドアから発せられる気で、急にまた張り詰めたようにピリピリとしたようなこの場の雰囲気に。


 咄嗟に両手を上げて、降参するようなポーズを取ったあと。


「えっと、……? なに、なに、っ? 何ごとっ!? 突然、どうしたのっ……!?

 俺、お姫様に何かしたっ? いや、心の声に聞いたら、さっきまで問題行動は確かにしてたかもしんないけどっ!」


 と、ひたすら困惑しているのが見える。


 ルーカスさんのそんな姿を見ながら、アルが……。


「むぅ、人間同士の接吻せっぷんというものは、僕も初めて見たぞ。

 この前、図書館で借りた本で読んだが、人間は、仲の良い親しい者同士がするのであろう?

 それならば、僕もアリスとセオドアとウィリアムとルーカスの全員に、接吻しても可笑しくないということか……?」


 と、どこか興味深そうにそう言ったのが聞こえて来て、私達はポカンと、してしまう。


 一瞬だけ間を置いて、アルの言っている“接吻”ってどういう意味だったっけ……?


 と、思わず、頭の中で考えて。


 少し経ってから、その答えを私が導き出したのと……。


「は、はぁぁぁっっ!? ちょっと待って、タンマっ! あり得ないんですけどっ!

 お兄さんも、殿下も1回、落ち着こっ! ……ねっ!?

 よく分かんないけど、それっ、絶対に勘違いっ! 濡れ衣だってばっ!

 俺がこんなにも、いたいけな幼い少女に手を出す変態だって言いたい訳じゃないよねっ!?」


 と、ルーカスさんが皆に向かって焦ったように声を出したのは殆ど、同時だった。