第265話 久しぶりの再会



 あれから、数日間は特に何ごともなく、自室でのんびりと過ごさせて貰って。


 今日は久しぶりにルーカスさんと会う日だった。


 デビュタントでのダンスレッスンはもう終わっているし、私自身のマナーに関しては殆ど問題が無いとは思うんだけど。


 一応、今も私のマナー講師として、ルーカスさんは定期的に私に会いにやってきてくれることになっている。


 これから先も、私自身が色々と社交界に出なければいけないことを思うと、継続して来てくれるのは有り難いなぁ、と思いながら。


 朝、起きてから……。


 寝起きで上手く動いていない、ぼんやりとした思考回路を必死に働かせ、エリスのお母さんである夫人のクッキーの件も含めて、一度ジェルメールに相談しに行きたいなぁ、とか……。


 セオドアに護身術とかを身に着けることが出来るのなら、簡単に戦う方法を教えて貰おうと思っていたんだよなぁ、とか。


 アルと一緒に、魔法の練習をしなければいけないなぁ、とか。


 ゆっくりと休ませて貰っていた数日間が特殊だっただけで、これから、私がしないといけないことは山積みで。


 今、頭の中で思いついた予定について、どういう順序でこなしていけば一番効率がいいだろう、ということを色々と考えていると。


 ローラが、お兄様とルーカスさんがやって来てくれたことを教えてくれて、私は自室の扉を開いて2人のことを出迎えた。


 先に私の部屋に来てくれていたアルとセオドアも一緒に、私がルーカスさんとお兄様にソファへと座って貰うよう促せば……。


「お姫様、久しぶりだね? 元気にしてた?」


 久しぶりに会って、直ぐ。


 にこやかな視線で此方を見てくるルーカスさんに、こくりと頷き返して。


「はい、私は元気でした。ルーカスさんも、特に何もお変わりなどはないですか?」


 と、問いかける。


 最後にルーカスさんに会ったのはデビュタントの時だったけれど……。


 いつもと何一つ変わらない様子で、ルーカスさんが私の言葉に頷いてくれながら。


「そう言えば、殿下と一緒に、お姫様は今回、どっかに旅行に行ってたんだったよね」


 と、声に出してくれたあとで。


「殿下が仕事以外のプライベートで行きそうな所なんて碌に思いつきもしないし。

 何なら行くとしても、美術館とか、そういうお堅そうな所ばっかのイメージしか湧かないんだけど、ほんの少しでも楽しめた……?」


 と、問いかけるように、私に言葉をかけてくれた。


 高い確率でアーサーも関わっているかもしれない“囚人の毒殺事件”で。


 もしかしたら『皇宮にいる人間が裏にいるかもしれない』というのは、最初からお父様とお兄様の遣り取りで、私達の間でも話題に上がっていたことだから。


 今回、私達が事件の調査に出向いたことを知っているのは、基本的にはお父様、それからウィリアムお兄様の傍で働いている側近の人達と、私の身近にいるメンバーだけで。


 表向きには、私はウィリアムお兄様と2人で、珍しくお父様が許可を出してくれたということで、旅行に行っていることになっていた。


 お父様が念には念を入れるということで、行く前には特別、誰にも伝えないでおいて……。


 私達が出発した後に、誰かに聞かれたら事後報告として『私とお兄様が旅行に行っている』ことを伝えるという状態にしていたみたいだったから……。


 元々、ルーカスさんには私自身に予定が入ってしまっていて、“暫くは会えない”ということは伝えていたけれど。


 きっと、何処かでフェイクが混じったその情報を耳にして知ってくれたのだろう。


「はい、お兄様がレストランの予約をしてくれて、ホテルも取ってくれていたんです。

 初めて、高級なホテルに泊まりましたが、綺麗な星も見ることが出来て、凄く楽しかったです」


 にこり、と笑みを溢しながら……。


 今回の旅の日程で楽しんだ部分だけをブラッシュアップして伝えれば、ルーカスさんが此方に向かって微笑みながら。


「そっか。……それなら、良かったよ」


 と、声をかけてくれる。


 私以上に、嬉しそうな顔で、どこか安堵したような表情を浮かべてくれていたルーカスさんのその表情を不思議に思って、きょとんと首を傾げれば。


「そもそも、お姫様自体“籠の中の鳥”って、世間からも言われていたように。

 今までは、深窓のご令嬢として、宮の中に閉じ込められて、外に出る機会自体が本当に限られてしまってたでしょ……?

 殿下と一緒ではあるものの、こうやって外に出て色々と体験することは、お姫様にとっても良いことだと思うからね」


 と、にこっと、私に向かって声を出してくれた。


 ――その言葉に


 そう言えば、今までも、ルーカスさんは度々、私のことを“鳥”にたとえるようなことがあったような気がするけど。


 ルーカスさんと初めて会った時に“鳥籠の中のお姫様”って言われたことがあったから、そこから来ているのかな、と、今になって何となく納得してしまった。


【でも、それだったら、この間言われた“飛べない小鳥”っていうのはどういう意味だったんだろう……?】


 私が、頭の中で、ぼんやりと。


 未だに掴めていない朧気な情報を、必死に整理させていると……。


「……それで、? こんなにも長い日程を、殿下と旅行に出かけていたんだし。

 当然、ホテルとレストランに行っただけじゃないんでしょ?

 他にはどんな所に行って、何をして過ごしてたの?」


 と、普段あまり外に出られない私に配慮してか。


 色々と詳しく聞かせて欲しいというていを装ってくれながら、しっかりと私の話を聞いてくれようとしてくれているルーカスさんに質問されて……。


 私は、まさか、みんなで“アーサーの行方”について調査に行っていた上に、ヒューゴの黄金の薔薇探しに付き合って、殆どの時間を暗い洞窟の中で過ごしましたとも言えず。


「はい、お父様が所有している別荘にお兄様と。

 近隣の村にも立ち寄らせて頂いて、ブランシュ村とか。……あと、偶然私の侍女であるエリスのお父さんの領地に行かせて貰うことがあって、そこでお祭りに参加させて貰ったり」


 と、肝心なことは極力ぼかして。


 ルーカスさんには、私達が調査とはあまり関係のないプライベートな時間に何をして過ごしたのかということを重点的に伝えることにした。


 けれど、それまで“うんうん”と相づちを打ちながら、笑顔で話を聞いてくれていたルーカスさんの表情が……。


 私の言葉に、一瞬だけ固まってしまったような気がして首を傾げる。


「ルーカスさん……?」


 私の呼びかけに、ハッとした表情を一瞬だけ見せたルーカスさんが。


「……いやっ、……珍しいね?

 ブランシュ村とかっ、わざわざそんな、森や山みたいな自然環境が多い僻地へきちにまで行ってたんだ?

 俺はてっきり、お姫様と殿下は、バカンスを目一杯楽しむことが出来るような割と都心部に近いような所に旅行していると思ってたからさ」


 と声をかけてくれて。


 その言葉に私が返事をするよりも先に、お兄様が呆れたような表情を浮かべながらも。


「……珍しいのは、お前の方だろう?

 わざわざ自分の関係する領地でもない、辺境にある村の名前を一つずつ、一々覚えているものか?

 お前、まさか、ブランシュ村について何か詳しかったりしないよな……?」


 と、ルーカスさんに向かって突っ込みを入れるように声を出しているのが見えて。


 そこまで頭が回らなかったけど、『言われて見れば、確かにそうだな……』と、私も頭の中でお兄様と同様に考えてしまった。


「……あぁ、偶然知ってたんだよ。

 ほら、お姫様にも、前に言ったことがあると思うけど、俺は基本的に“人間観察”が趣味みたいなものだからさ。

 どこの貴族が、どういう領地を持っているかについても、ある程度、把握していたりもするんだよ。

 ブランシュ村の領主は、あまり良い噂を聞かない人だし、いずれ何か問題を起こすかもしれない要注意人物としてマークしている過程でね」


 そうして、ルーカスさんが苦笑しながら、お兄様の言葉に、にこやかに答えているのを聞いて、私も“そんなものなのかな……”と納得したあとで。


 改めて、ルーカスさんが日頃からそういったことにまで気を回しているんなら、本当に凄いなぁと思ってしまう。


 1人1人、貴族の名前を覚えることですら、大変なのに。


 ルーカスさんが『どの貴族が、どこの領地を持っているのか』まで、詳細に把握しているというのは、本当に並大抵の努力では出来ないことだと思うし。


 大まかに、この人はこの辺りの領地を持っていると地図などで理解していたとしても、ピンポイントで村の名前まで覚えているとなると、その一つ一つが本当にあまりにも膨大な情報すぎてしまう……。


「それより、殿下こそ。……何かブランシュ村について気になることでもあるの?

 お姫様とは、普通に旅行に行っただけなんだよね……?」


 そうして、お兄様の言葉に反応したルーカスさんが、お兄様に逆にブランシュ村について何かあるのかと問いかければ。


 お兄様はまるで何も無かったかのように、いつも通りの無表情さで。


「あぁ、ブランシュ村に俺たちが立ち寄った時に、領主である貴族の反応が上辺だけ取り繕ったような、あまりにも良くないものだったからな。

 少し気になっただけだ。……だが、元々あまり評判が良くない人間だというのなら、納得した」


 と、それ以上のことがあるだなんて、まるで悟らせることもない言葉でルーカスさんの質問にしれっと答えていて……。


 ルーカスさんもお兄様も、お互いに、ほんの少しの違和感も見過ごさずに、こうして気になることを直ぐに質問し合えるというのは、『2人が長年、友人として一緒にいるからこそ出来る芸当なのかな』と思ってしまう。


 その分、お父様の仕事の関係もあって、どうしても言えないことが出来てしまった時、お兄様が今日のようにルーカスさんに対して上手く取り繕うということも……。


 まるで、息をするのと同じように、普通に出来てしまっている所を見ると。


 やっぱりどうやっても、一般的な友人関係を結んでいるとは言い難く。


 2人の立場のこともあって、私がよく小説とかで見るような“”な友人関係では無いように思えてしまう。


【きっと、それはお兄様だけじゃなくて、ルーカスさんの方も、なんじゃないかな……?】


 何となく、その事を寂しいように感じてしまうのは、私が誰に対しても今までにきちんとした友人関係を構築することが出来ていない証拠なのだと思う。


 お兄様とルーカスさんは、確かに親しい友人関係であることに間違いはないんだろうけど。


 それ以前に、いずれお兄様はお父様の跡を継ぐ“この国のトップに立つ”であろう存在で、ルーカスさんだってエヴァンズ家の跡取りだという、それぞれに逃れることの出来ない役目がある。


 仕事の面で関わることもある以上、お互いにどうしても言えないようなことも出てきてしまうのが当然なんだということは、私も頭の中では分かっているつもりだった。


 それでも、やっぱり、ちょっとだけその関係を心配してしまうのは……。


 いつだって、ルーカスさんが、誰とでも付かず離れずの一定の所で距離を取って、そこから誰にも入らせないということと。


 のような場所が無いんじゃないか、と感じてしまうからだろうか。


「お姫様……?」


 ルーカスさんに呼びかけられて、お兄様とルーカスさんの2人の関係について頭を巡らせていた私は、ハッとしたあとで。


 にこりと笑みを溢しながら、此方を心配そうに見てくるその視線に、咄嗟に取り繕った。


 ――それから……。


 一体、どれくらい時間が経っただろう。


 今日の私は、マナー講師として来てくれているルーカスさんに、細かいマナーについて半ばおさらいのように聞きながら……。


 子供の間は許されるようなことも、大人になってからは特に気をつけた方が良い淑女としての立ち居振る舞いについて教えて貰っていた。


 ルーカスさんは、基本的に男性でありながら、そういった女性が覚えなければいけないマナーとしての振る舞いについても、完璧にこなしていて。


 そして、何よりも教え方が1人1人に合った遣り方で、もの凄く分かりやすく、頭に入ってきやすかった。


 私だけではなくて、アルも『これから先、色々と出なければいけないのなら……』と、マナーについてもっと知っておきたいと勉強する姿勢を見せたことで。


 ルーカスさんは、私とアルとで交互に女性と男性の振るまいについて頻繁に切り替えながら、教えてくれたんだけど。


 目上の人から目下の人まで、パターン別に、淑女が取るべき振る舞いも、男性が取るべき礼節を弁えたような振る舞いに関しても……。


 まるでその動作全てが、自分の身体に染みついているかのように、一度も間違えたりするようなこともなかった。


 そのあいだ、私は、ルーカスさんからマナーを教えて貰いながらも、どことなく落ち着きが無く、1人、そわそわしてしまっていた。


 ――会ったら、絶対に話さなければいけないと思っていたことが幾つかあったんだけど


 そのどれもが、ここで話すには、お兄様やセオドア、アルの視線もあって、何となく話がし辛いもので……。


 特に、前に“私が魔女であること”について、ルーカスさんとと約束していたことが、お兄様にはバレてしまったことを伝えるべきだとは思ってて……。


【出来れば、2人になれるタイミングがあればベストなんだけどな……】


 と……。


 機会を窺っていたら、結局言い出せないまま、時間ばかりが過ぎてしまっていた。


 一応、マナーに関しては。


 巻き戻し前の軸で勉強済みの範囲だったものだから、度々、ルーカスさんから話を振られても、その度に、そつなくこなすことは出来てたんだけど。


 『こんな状態のまま、どこか上の空で質問に答えていたら、申し訳なさ過ぎるよね……』と思いながら。


 教えて貰っていたマナーの勉強が一段落したタイミングで、、と。


 ルーカスさんの服の裾をぎゅっと握って……。


「あの、ルーカスさん……っ、私、っ……、!」


 と、私は意を決して、声をかけた。


「うんっ……!? えっ……!? ちょっ、お姫様っ、……!?

 そんな、深刻そうな顔して、急にどうしたのっ!?

 っていうか、ちょっと待って。……お姫様、俺の背後から冷たい視線が2人分来てて、後ろ、振り返られないくらい、滅茶苦茶恐いことになってるんだけど……っ!」


 私の言葉に、ルーカスさんが驚いたような表情を浮かべながらも、どこか慌てたような仕草で『後ろに恐ろしい人達が……』とげんなりとしたような声を出してくるのが聞こえてきて。


 私は自分がぎゅっと握っていたルーカスさんの服の裾を瞬間的に、ぱっと離す。


 セオドアもお兄様も突然の私の奇行にびっくりした様子ながら、直ぐに険しい表情を浮かべているのが見えて……。


 前に、お兄様がルーカスさんについて『自分の伴侶を愛せるような奴じゃない』って言いながら。


 私のことを心配して『お前にはそんな偽りの結婚生活を送って欲しくない』って伝えてくれたから。


 もしかして、2人とも、私のことを心配してくれているのかも、と申し訳なさが込み上げてきた私は。


「あ、えっと……、ご、ごめんなさい。……婚約のお話もあって、その……っ。

 出来れば、今日、ルーカスさんに時間があるのなら、以前のように、デートみたいな形で2人でお話、したいんですけど……」


 と、ルーカスさんに向かって、今回の自分の目的をしっかりと声に出して伝える。


 私の言葉に、お兄様が目を見開いて此方を見たのと……。


 苦笑した様子のルーカスさんが声を出してくれたのは、ほぼ同時だった。


「……珍しいね? お姫様の方から俺に声をかけてきてくれたのは初めてなんじゃない?」


 そうして、笑顔を浮かべながら、ルーカスさんがそう言ってくれたことで、私はこくりと頷きながら……。


「あの、ずっと先延ばしにしてしまってましたし、きちんと向き合わなければいけないな、っていうのは感じてて……」


 と、声を出す。


 実際、このことについても、まるっきり嘘だという訳ではなくて。


 頭の中では、ルーカスさんが私に持ってきてくれた婚約の話を、いつまでも先延ばしにしてしまっていて、答えを出さないままでいるのは良く無いというのは感じていたから。


 丘の上のレストランでお兄様と話した時も思ったことだけど、自分が皇女であるということも一度取り払ったときに、自分がどうしていきたいか……。


 まだ、しっかりとした答えが出ている訳ではないけれど、それでも、もやもやとしたような自分の気持ちのことも、ルーカスさんには一度しっかりと伝えておいた方がいいとは思っていた。


「そっか。

 俺からも、お姫様に対して話したいことがあったし、そういう風に言ってくれるのは凄く嬉しいよ。

 ……じゃぁ、これからどこか行こっか?

 っていっても、今からだと、また前回のように皇宮にある庭を一緒に歩くことになるくらいだけど。

 それとも、別の日に時間を取って、ちゃんとしたデートとして一日、俺と過ごしてみる?

 エスコートなら、俺に任せてくれれば、その全てを完璧にこなしてみせる自信はあるよ、皇女様レディ


 そうして、ルーカスさんが、どこか茶目っ気たっぷりに声を出してくれるのを見ながら。


 一先ず、これで二人っきりになることは出来そう、と、私は心の中で、ホッと安堵していた。


「あの、ありがとうございます。……皇宮内の庭を歩くので、充分です……っ」


「うん、じゃぁ、一先ず“今日は”そうしよっか?

 また、次回は次回で、デートコースについても考えたらいいしね」


 それからルーカスさんにそう言って貰えて、私はこくりと、頷き返す。


 そうして、立ち上がってくれたルーカスさんと。


 私の反応を見て、セオドアが、私の腕を握ってくれてから。


「……っ、なぁ、姫さん、本気でコイツとの婚約のこと、考えてるのか……?

 俺は、正直、反対だっ……!

 もし、ここで婚約しちまったら、一生、自分の将来を“縛るようなこと”になっちまうんだぞ?

 婚約する必要がないのなら、しない方がいいと思ってるっ」


 と、心配そうな声色で言葉を出してくれたのを聞いて。


 私がルーカスさんと、今此処で婚約関係を結んでしまったら……。


 将来、私の結婚相手がほぼほぼ“ルーカスさんに決定してしまう”ということを心配してくれているんだろうな、と思いながら。


 私はセオドアのことを真っ直ぐに見返して。


「うん。……セオドア、私のこと、心配してくれて、ありがとう。

 どうするのかまでは、まだ自分でも考えが纏まってなくて、きちんと決めることが出来ていないんだけど。

 でも、私自身が向き合って、ちゃんとしないといけないな、って思ってたことだから……。

 ルーカスさんと、しっかりとお話してくるね。

 ……あの、だから、今日は、なるべく、二人っきりにして欲しい、んだけど」


 と、声に出した。


 私の言葉に少しだけ、険しい表情のまま、考え込んだ素振りを見せたものの。


 セオドアは最終的に、私の言葉に『分かった……』と頷いて、私の腕を握っていたその手を離してくれた。