第243話 3日目の朝



 あれから、お兄さまとセオドアに『休んでいい』と言ってもらえて。


 体調もまだ完全に回復するまでには戻らず、気付いたら私はまた、ほんの少し眠ってしまっていたみたいだった。


 再度、目が覚めた時には、最初に目が覚めた時にはいなかったアルもこの部屋に戻ってきてくれていて。


「アリス、身体の調子はどうだ?

 何か副次的な作用として、記憶が混濁こんだくしていたり、身体に問題などは出ていないか?」


 と、声をかけてくれた。


「うん、ありがとう、アル。大丈夫だよ」


 まだ、能力を使った反動で、どうしても、身体全体が鉛のように重くて気怠い感じというのは残ってしまっているけれど。


 それでもきっと、アルが私のことを癒やしてくれていたお蔭もあって。


 今は、決して、そこまで酷い状態ではない。


 一番最初に目が覚めた時、お兄さまとセオドアが私の事を凄く心配してくれていたのは……。


 もしかしたら、記憶が混濁していたり、能力を使った反動として、副反応で何か問題が起きてしまう可能性があった、ということを心配してくれてのことだったらしい。


【……それで、あんなにも、険しい表情で心配させちゃってたんだな……】


 と言うことに、凄く申し訳ない気持ちになりがらも、私はみんなに向かって、自分の身体に何も問題がなく、元気であることはしっかりと伝えておく。


 アルは私の事を癒やしてくれた後、熊さん達がいたフロアに1人、戻り。


 フロアを明るくしていた、松明にかけた自分の魔法の痕跡を消しに行ってくれていたりしていたらしい。


 私が一番最初に起きた時は、既に深夜を回っていたらしく。


 バリケードを作っていたり、事後処理として皆が慌ただしく動き回っていた状態が大分緩和され、ヒューゴも含めて、冒険者の人や、ギルドの職員さんなども。


 ――後はその場の片付けをするくらいで。


 やっと、仮眠なども取ったりすることができるような状況にまでは、落ち着いていたみたい。


 もしかして、お兄さまも、セオドアも、アルも。


 私が起きるまで、殆どこの部屋にいてくれて、全く休めていないんじゃないかと、心配して声をかけたら。


 みんな、私のいる“この部屋に集まって”仮眠を取ってくれたみたいで、2重の意味で申し訳なさが募ってきた。


「……あのっ、お兄さまは身体は大丈夫ですか? 怪我の具合は……?」


 それから、ハッとして、私がお兄さまの腕の怪我について問いかけると。


 包帯を巻いていたお兄さまは、それを外し、自分の怪我の状態を見せてくれた。


 昨日よりも、腕の傷は確実に塞がっていて。


 殆ど、治りかけていると言ってもいいその状態に、私がホッと安堵していれば。


 アルが、お兄さまは、という、特殊な存在であるということを改めて私にも詳しく説明してくれる。


 金と赤のオッドアイで生まれてくる“太陽の子”は、ノクスの民のように血筋などが関係しているのか、その辺りの因果関係については詳しく分からないそうなのだけど。


 ――まれに、この世に生まれてくるようなことがあるらしい。


 お兄さまの瞳が、幼い頃にテレーゼ様から心配されて、取り除かれてしまっているということで、普通の太陽の子に比べると、その能力は半減してしまっているそうで。


 だからこそ、アルも、お兄さまに対して多少の違和感を感じてはいたものの。


 実際にお兄さまが私達のような魔女や、ノクスの民などと同様に名前が付くような存在であることは、お兄さまから金と赤のオッドアイであると聞くまでは、直ぐに判別出来なかったみたいだった。


【巻き戻し前の軸で、古の森の砦は、お父様から譲り受けたお兄さまの物だったけれど。

 その時に、妖精さん達と、お兄さまが出会うことが無かったのは、お兄さまが瞳を取っていることが関係していたのかもしれない……】


 内心でそう思いながらも……。


「そう言えば、ヒューゴは、まだお休み中なのかな?」


 と、この場にヒューゴがいないことを不思議に思いながら、問いかければ。


「あぁ、アイツなら、まだ寝てる。……昨日、殆ど寝ずに表で色んな連中の手伝いに駆り出されていたみたいだからな」


 という言葉が、セオドアから返ってきた。


 その言葉に、みんながこうして動いてくれている中、私だけずっと、ベッドで休ませて貰っていたことに、申し訳ない気持ちになりながらも。


 ヒューゴも少しも休まずという状況ではなく、仮眠を取れているということを聞いて、ホッと、一安心して胸を撫で下ろす。


 ――昨日は、本当に色々なことが起きすぎて。


 まだ、起きがけで、頭の中が完全には覚醒しておらず、どこか、ぽわぽわとしているような状況ではあったものの、段々と私にも今の状況整理がついてくる。


 私達が元々洞窟で動ける時間は、本当に少なくて。


 本来なら、初日に5つ目の洞窟小屋まで進んだ私達が、2日目に黄金の薔薇探しをして、3日目である今日は朝早くに出立して、1日、洞窟内を歩いて外に向かうという予定を立てて動いていた。


 ちらり、とお兄さまが付けている腕時計に視線を向ければ、今は朝の7時を回った所で。


 そろそろ、帰り支度として準備などもしなければいけないだろうし。


 昨日、熊さん達が襲ってきたことで、外がどんな風になっているのかも気になるし、私にも何か出来ることはあるかもしれないと。


 上半身だけ起こして、みんなと会話をしていた今の状態から立ち上がろうとした所で、ふらっと、目眩がしてきて、私は思わず、ぺたん、と……。


 ベッドの上に、尻餅をついてしまった。


「……っ、」


 その瞬間、ガタリと、みんなが慌てたように椅子から立ち上がったような音がして。


 その場の空気が一気に重苦しいような物になり、私を見る瞳が険しくなった3人の方へと、そろり、と窺うように視線を向ければ。


「……っ、姫さん、今、何をするつもりだったんだ? ……まさかっ、その状態で無理して動こうなんざ、思ってねぇよな?」


 と、セオドアから鋭い言葉が飛んで来て、私は、何も言葉を出せずに『……うぅ』と小さく声を溢した後で。


「あのっ……、でも……。

 今日中に出ないと行けないのなら、もう、準備とかはしておかないと間に合わなくなってしまうんじゃ……?」


 と、しょぼんと、落ち込みながらも、声を出す。


 自分の身体が能力を使った反動によって重たいとは言え、急に立ったことで、立ち眩みがしただけで……。


 無理をすれば、決して動かせないような訳ではないと思う。


 何とかして、みんなに心配をかけないように、今度こそ気合いを入れて立てないものかと、頭の中で思いながら、自分の身体に一生懸命力を込める練習をしていたら……。


「あぁ、それなんだがな。

 今日の昼頃に出ても、少し帰ってくるのは遅くなるだろうが、問題はないと思う」


 と、お兄さまから声がかかって、私は目を瞬かせた。


「……今日の、お昼頃、ですか……?」


 初日に、洞窟入り口から、5つ目の洞窟小屋まで行くのに。


 朝の9時頃から出発して、着いたのが夕方の17時頃だったと思う。


 5つ目の洞窟小屋から、6つ目の洞窟小屋までの距離が大体、1時間ほどで。


 それから更に、迎えに来てくれる予定だった馬車に乗って、皇族の所有する別荘にまで帰らなければいけないし。


 本来なら、1時間ほど、多く見積もって、余裕を持って、今日の朝、9時頃には出発して、18時頃に洞窟入り口には到着する予定だったはず。


 だけど、私の身体の事も考えると、行きと同じようには、どう考えても早く動けない。


 だから、本来の予定通り9時頃出立しても、予定よりも大幅に時間が過ぎてしまう可能性の方が高く。


 余裕を持ってではなく、それくらいには出なければいけないだろうと考えながら。


 『なるべく早めに準備して、動けるようにはしておかないと』と、思っていたのだけど。


 お兄さまから、更に時間を遅らす提案をされて、思わず驚いてしまった。


【一体、どういう計算で動いてくれているのだろう】


 と、その意図が分からず。


 私が、どう言っていいのかと、困惑していると。


「能力の反動で、体調の悪い姫さんを無理に歩かそうなんざ、誰も思ってねぇよ。

 ……姫さんくらいなら、俺が抱きかかえて洞窟内を移動した方が早いからな。

 だから、それまでの間にも、しっかり休んでくれ」


 と、セオドアから言葉が返ってきて、私は『……そうだった、の……?』と、目を瞬かせて驚いたあとで……。


「……ごめんね、ありがとう」


 と、声を出す。


 今、この場で、動かなければいけないと思っていたのは私だけで。


 セオドアもお兄さまもアルも、今日一日、洞窟内で私を歩かせるつもりは全く無かったのだということを知って……。


 みんなから甘やかされていることに申し訳なさを感じながらも、その提案は本当に有り難いもので、感謝するような気持ちがわき上がってきた。


 一日、動きっぱなしだと、身体がついていかず。


 洞窟内のどこかで、あまり、動けないような状況になってしまった時、どうしても皆に迷惑をかけてしまうだろう。


 それなら、同じお荷物になってしまって、迷惑をかけてしまうようなことになっても。


 セオドアに抱きかかえてもらって移動した方が、迷惑の度合いを考えたら、そっちの方が皆にかけてしまう負担も、圧倒的に減るのは確かだった。


 お昼頃から動き始めるというのも、私がギリギリまで休めるようにとみんなが配慮してくれたのだと思う。


「あの、でも、セオドア。……もしも、重くて、大変だったら、いつでも言ってね?

 私も、少しは、自力で歩けると思うから。……あと、みんなも休めていないようだったら、お昼にここを出るまでは、ほんの少しでも休息の時間をとって欲しい」


 みんなの優しさが嬉しくて、口元を緩めながら、ふわ、っと笑みを溢したあとで。


 私を心配してくれていたせいで、碌に休めていないんじゃないかと、改めて私がみんなに対してそう声をかけていると。


 コンコン、と部屋の扉を控えめに、叩くような音がして、私は其方へと視線を向けた。


「あー、皆さん、おはようございますっ。……起きてますかい?」


 そうして、扉の先からヒューゴの声がして。


「あ、っ……ヒューゴ、起きてますっ……! おはようございます」


 と、声を出せば、遠慮がちにヒューゴが扉を開けて、みんながいるこの部屋へと入ってきた。


「……っ、皇女様っ! 無事で本当に良かったっ!」


 そうして、私の姿を見つけた後で、開口一番に心配して声を出してくれるヒューゴに微笑み返したあとで。


「心配をかけてしまって、本当にごめんなさい。……もう、この通り、大丈夫です」


 と、声をかける。


「昨日、深夜まで働いてたせいで。

 いつの間にか、俺一人だけ、ぐーすか、眠っちまってて本当に申し訳ねぇ……っ!」


 そうして、申し訳無さそうに此方を見ながら、そう言ってくるヒューゴに、それを否定するように私は首を横に振った。


「ヒューゴが、ずっと、周囲の手助けをしてくれていたのだと、セオドアから聞きました。

 事後処理も含めて、色々と動いてくれて、本当にありがとうございます。

 あ、そういえば、みんなは、朝ご飯は、食べました……? もしかして、まだ、何も食べてないんじゃ……」


 ヒューゴがこの部屋に来てくれて、全員がこの場所に集まってくれるようになったことで。


 私自身、今起きたばっかりだから、何も思わなかったけれど。


 みんなはちゃんと、昨日の夜食べたかどうかも含めて……。


 今日の朝、ちゃんとごはんを食べてくれているのだろうか、と心配になって声を出せば。


「うむ、そう言えば、僕もお腹が減ったな。

 怪我をしていた冒険者以外は、丁度、全員、起きてきたことだし、みんなで朝ごはんを食べることにしよう」


 と、アルが明るく声をかけてくれる。


 食料の殆どは熊たちにあげてしまったけれど、熊たちでは食べられないようなものや。


 洞窟を出るまでに、人間が食べるだけの、少量の食料に関してはしっかりと残していた。


 アルの言葉を聞きながら、お兄さまやセオドア、ヒューゴが準備をしてくれようとしているのを有り難く思いながらも……。


 どうして、が話に出てきたのだろう、と不思議に思いながら、アルに対して首を傾げれば。


「アルフレッドから聞いたが。……姫さんが、あの男に部屋を譲ったんだろう……?」


「あぁ、あの男は、今もお前が元々使う予定だった部屋で休んでいる」


 と、セオドアとお兄さまから、私が疑問に思って知りたかったことの答えが直ぐに返ってきて。


 そう言えば昨日、『怪我の具合を心配して、ゆっくり休んで貰えるようにと、あの冒険者の人に声をかけたんだっけ』と私は思い出した。


 どことなく遠慮がちな雰囲気だったから、もしかしたら使ってくれないかなと思っていたけれど。


 ちゃんと、あれから、自分の怪我の具合のことも考えて、私の使う予定だった部屋でじっくりと休んでくれていたのだろう。


 【あの人も、ちゃんと、無事に、回復していたらいいなぁ……】


 と、思いながら。


「そうだったんですね。……体調は、どんな感じでしょうか? きちんと、快方に向かっていますか?」


 と、声をかければ、アルがこくりと頷いてくれたあとで。


「うむ、心配することはないぞ。……あの冒険者ならば、きちんと回復している。

 それよりも、アリスはとりあえず、人の心配より自分の心配をしてくれ。

 僕が癒やしたと言っても、まだお前が本調子じゃないというのは、顔色で分かるからな」


 と、私に対して、声をかけてくれて。


「うん、ありがとう」


 と、お礼を伝えてから……。


 私は、アルの言葉通りに、今は、しっかりと自分の身体を休ませることに専念する。


 この後のことも考えたら、少しでも体力を回復するのを優先するべきだということは、自分でもちゃんと分かっているし、これ以上心配をかけてしまうわけにはいかない。


 ……それから、みんな、私のことを思ってくれてなのか。


 この部屋で朝ご飯を食べてくれるつもりらしく。


 ヒューゴが椅子を追加で持ってきてくれて、セオドアが外でお湯を沸かしてきてくれると、お兄さまが人数分のコップにティーパックを入れてくれる。


 瞬間、ふわふわとした湯気が立ち上り、香りのいい紅茶の匂いが優しく鼻をくすぐれば、あまり減っていないと思っていたお腹から……。


 その匂いにつられて、きゅぅ、っと一度、音が鳴ったのを感じて、私はお兄さまがコップを手渡してくれるのを有り難く受け取って、ゆっくりとそれに口を付けた。


 途端、ぶわっと口の中全体に広がった温かくて柔らかな紅茶の味に、ホッと一息、癒やされるような気持ちになっていると。


 コンコン、と……。


 私達がいる部屋ではなく、宿泊施設でもある、洞窟小屋の玄関の方から来客を知らせる音がして。


【こんな、朝早くに誰か来たのかな……?】


 と、私達は揃って顔を見合わせた。