「あのっ、皇女様はいつもあのような感じなのでしょうか?」
アリス様の泊まる予定になっているお部屋から私達が退室すると、此方を窺うようにしながら、ウィリアム殿下の侍女であるミラさんからそう問いかけられて私はこくりと頷いた。
「はい、そうなんです。
アリス様はいつも、私達にもとってもお優しいんですよ。
それに、アリス様は殆ど育児放棄にも近い様な状況で育ってしまわれたので、自分の出来ることは何でも自分でしてしまいがちなんです」
そうして、私は彼女たちにもハッキリと、今までアリス様が置かれていた状況を説明する。
私の一言に、そんな言葉が降ってくるとは夢にも思っていなかったのだろう。
侍女である、ミラさんも、ハンナさんも、驚いたように目を見開いているのが見えて。
私はここぞとばかりに、このタイミングでもっとアリス様のことを2人に分かって貰えるよう、説明のために口を開いた。
皇宮で働く侍女でも、今までアリス様に仕えていた侍女はアリス様の悪口ばっかり言っていて、碌に働きもしないような状態だった。
【彼女たちの言葉を借りるなら、必要最低限のこともせず、“待機”している状態ばかりが長く続いていたと言えばいいだろうか】
本来、侍女の中での“待機”という言葉は、文字通り、仕える主人が必要な時に呼ぶためのものであり、普段の侍女の仕事とは別の……。
――主人から頼まれた仕事をこなす時に使われるものだ。
当然、それまでの間に自分の出来る全ての仕事は終わらせた上で、何もない時に待機しておいて、主人から何か言いつけられた仕事が出来た時に初めて“
でも、アリス様の場合は……。
彼女たちの待機という言葉は、仕事をサボる為の口実に使われ。
お世話をするという当たり前のことですら、碌に出来ていないまま、なおざりで。
私自身、アリス様のお側にお仕えし始めた時、周囲はベテランの侍女ばかりで。
16歳でまだ右も左も分かっていないような、一番下の新人の侍女だったこともあり……。
彼女たちに対して『もう少しきちんとアリス様のお世話をした方が良いんじゃないか』と何度も打診してみたけれど、状況は全然良くならなかった。
【今でも凄く悔しいことだけど。
あの頃は自分が一番下の立場だったから、アリス様のことを思って、先輩である侍女達にそれとなく働きかけるのが精一杯で……】
そうこうしているうちに、アリス様にお仕えする侍女も騎士も、取っ替え引っ替え色々と代わってはいたものの。
アリス様が皇后様と誘拐されてしまう、あの事件が起きてしまうまでは……。
侍女長の指示で新たに送ってこられた侍女達も、結局、私より、下の立場の侍女が来るようなことはなく。
ベテランとも思われるような侍女達が仕事を放棄しているような状況を見て、新しく来た人間が働いてくれるはずもなく。
連鎖的に誰も彼もが碌に仕事をしないという状況下で、アリス様のことを殆ど育児放棄に近い状況で放置しているような状態は本当に長く続いてしまっていた。
【アリス様自身はやってくる人間、全てが信じられなくて、突っぱねていただけのことでも。
周りからすれば、それはアリス様の我が儘で……。
全然些細なことではないのに、
そのことも、私からすると凄くもどかしいことではあった。
私はそのことを二人に説明したあとで、口を開き
「だから、アリス様は、お洋服を着替えるのもご自分でされたり……。
お風呂にも、湯を張り、夜に着替える予定のネグリジェの用意など必要最低限のことさえしていれば大丈夫と、お一人で入られるんです。
髪の毛もご自分で、洗われるし……」
と、声を出した。
【本来なら、何人か侍女が付いて、アリス様の衣食住の食の部分は皇宮で働くシェフに任せるとしても、
――その全てが、ままならない状態になっているなんて
私自身にも出来ることは限界がある、今の状況に。
小さく歯噛みして、内心で悔しい思いをしながら、普段のアリス様のことをなるべく分かりやすく伝えれば。
私の説明を聞いて、ミラさんとハンナさんは、更に驚いた様子だった。
「……そんなっ! 私が今まで聞いていた話とは全く違いますっ!」
ハンナさんが、悲痛にも近い様な感じでそう声を出したあと……。
「皇女様の側で働いていた侍女のことは、同期も含めて私も数名知っていますが。
彼女たちは皇女様の癇癪が酷いと訴えるばかりで、自分たちが仕事をしていないとは一言も……。
そればかりか、私や他の侍女達にも、
と、ミラさんが今までアリス様の側に付いていた侍女から言われていた事を口にするのが見えた。
その表情はどこまでも曇っている。
「……いえっ、実情は全く違いますっ。
アリス様が彼女たちに懐かなかったのは髪色のことで、日常的に隠れた所で暴言なども吐かれてしまっていた所為ですし、周囲にいる人が誰も味方じゃなくて周りの人のことを信じられなかったはずで……。
周りに味方がいなかったから、誰に対しても与えられる言葉をそのまま返して、自分の事をただ守っていただけのことなんですっ!」
私が否定するように力をこめて声を出したことで、アリス様が置かれていた現状を正しく認識してくれたのだろう。
ミラさんが……。
「アリス様に付いていた侍女はベテランの侍女が揃っていましたし。
まさか彼女たちの言葉の方に嘘があるだなんて今まで思いもせずにっ、私もずっとその言葉を鵜呑みにしていました」
と、言葉を出してくれる。
彼女の言っていることは私にもよく分かる。
実際、私自身、私よりも年上の侍女達が揃っていて。
“アリス様にお仕えする人達が、あまりまともに働いてくれない”と、何度か彼女たちよりも地位が上の侍女長へと直接訴えかけたこともあったけれど……。
その実情を信じて貰えたことも、まともに取り合って貰えたようなことも無かったから。
【それに、彼女たちの数が多すぎて……。
私一人が訴えたところで、事実確認が行われても口裏を合わされてしまって、私が嘘つき扱いを受けて終わってしまうだけだった】
だからこそ、アリス様の現状を知ってくれて、こうして心を痛めてくれる人が増えてくれるだけでも嬉しいことではあるし。
逆を言うのなら、今までアリス様の髪色を見て、毛嫌いをしてくるような人たちばかりだったから……。
ウィリアム殿下にお付きの侍女達はミラさんもハンナさんも含めて、そういった差別的なことを思うような人ではないのだと内心でホッと安堵する。
彼女たちが皇宮に帰った時に他の侍女や執事達にこの話を広めてくれるだけでも……。
アリス様の味方を増やすことが出来るかもしれない。
一生懸命、アリス様のお優しい所をアピールする私の後ろから……。
「……あんたらが前に姫さんに仕えていた侍女たちからどんな話を聞いていたのかは知らねぇが。
さっき、俺たちに休んで欲しいって言ってくれたことも含めて、姫さんは本当に優しいし、自分の事よりも他人のことを思いやれるような人だ。
年齢が10歳の子供だろうが、俺は人として姫さんのことを本当に尊敬している」
と、セオドアさんがフォローするように声を出してくれた。
「……っ、! そっ、そうだったんですねっ……!
私達も少ししか皇女様とお話していませんが、今まで長いこと宮廷内で噂されていたような方とは全く違う方なんだということは伝わりましたし。
この旅の間、出来る限りのことはお手伝いさせて頂きたいと思っていますっ!」
「えぇ、ローラさん。
皇女様に何か私達でお力になれることがありましたら、可能な限りお仕えさせて頂くつもりですので、何なりとお申し付け下さい」
セオドアさんの言葉を聞いて、ハンナさんが意を決したように力強く声をかけてくれて。
ミラさんも、そう言ってくれて、私は安心しながらセオドアさんと顔を見合わせた。
なかなか表情に出なくて分かりにくいけれど、セオドアさんも私の顔を見て、無言で一瞬だけこくりと頷いてくれるのが見えて。
ウィリアム殿下がアリス様に付けて下さった、このお二人のことは
【どうしてもこういう時に疑いの目を向けて、信頼出来るか、出来ないかという点から入らざるを得ないことに、申し訳なく思ってしまうけれど……】
それでも今までのアリス様が置かれていた状況を考えたら、慎重になってしまうのも仕方のないことだ。
アリス様にとって、少しでも悪い影響をもたらすような方が来てしまって、取り返しが付かなくなってしまってからでは遅いから……。
そういう意味では、最初の頃、テレーゼ様のお付きだったエリスも。
『何となく動きが怪しい気がする』と、セオドアさんの言葉で、私も気をつけていたけれど……。
今ではアリス様の人柄を知って、心から仕えてくれていることは分かっているし、どうなることかと思っていたけれど、取り越し苦労で本当に良かったと思う。
ちょっとずつ、こんな感じで味方を増やすことが出来れば、それに越したことはないだろう。
私はこの旅の間、お二人にもっとアリス様の人柄を知って貰えるように頑張ろうと、心に決めて……。
「俺はこれから少し用事があるから、侍女さん達は姫さんの言葉通り、先にそれぞれの部屋で休んでくれていい」
というセオドアさんの言葉に、こくりと頷き返した。
珍しくアリス様のお部屋の方には戻らずに、エレベーターのある方へと向かっていこうとするセオドアさんに
【……ウィリアム殿下か、アルフレッド様に用事があったのかな?】
と、思いながらも……。
改めて高級なホテルの内装に、私はここでも少し悔しい思いをしてしまう。
今日、どこかに一泊するということ自体は。
事前に通達があり、聞いていたことではあったけれど……。
普段、アリス様に割り振られるべき、ちゃんとした皇族が受ける待遇が。
今まで全く
こんなにも、きっちりとしたようなホテルに泊まることになるとは思ってもいなくて。
使用人にも個人でそれぞれに一部屋ずつ与えられていることに驚きつつ。
アリス様が受けるべき待遇はいつも……。
他の皇族の方達が当たり前のものとして受け取っているものよりもかなり低いことが、今日、少しウィリアム殿下と過ごしただけでも、浮き彫りになっているように思う。
そう思うと
【一概に今までアリス様が皇宮のお金を使って、宝石などを皇帝陛下にお願いしていた額はそこまで大きなものではないんじゃないか】
と、感じてしまう。
私は内心で、アリス様が本来受けるべき待遇に関してモヤモヤを抱えつつも。
普段ウィリアム殿下が利用しているような、折角良いホテルに泊まることになったんだし、と気持ちを切り替えて。
少しでも楽しんで過ごして貰うため、アリス様にお風呂にリラックスしてゆったりと浸かって頂こうと、事前に今日この日のためだけに持ってきた幾つかのオイルを夕食までの間に調合しておいて……。
夕食を食べ終わったら直ぐに、温かいお風呂に入って今日一日の疲れを癒やして貰うために、アリス様のお好きな匂いのする特別な香りのフレグランスをお風呂に入れられるように準備しておこうと、はりきりながら……。
各部屋へとそれぞれ入っていくミラさんとハンナさんと、それからエレベーターの方へと向かって行くセオドアさんに別れを告げ、自分用にと