第191話 ワイングラスの解析

「うむ、見解というのは……?」


「えぇ、使用された毒についてですが、どんな人間にも比較的、手に入りやすい物なのでしょうか?」


 アルが首を傾げたあとに、お父様に問いかけると。


 お父様は座っていたソファーから少しだけ前のめりになってアルに質問をしてきた。


「あぁ、そうだな。

 クルル草は僕達が住んでいた古の森にも生えていたし、この国でも自生している物の筈だ。

 当然、知っている人間ならば誰にでも手に入れることは出来るだろう」


「なるほど。

 だが、それならば、そこから使用出来る人間を絞ることは難しいか……」


 そうしてお父様が、説明してくれたアルの言葉に納得したように頷いたあとで、深く考え込むような素振りを見せるのが対面に座っている私にも確認出来た。


「うむ。

 しかし、クルル草は蜜ではなく茎の方に、解熱作用があるのでな。

 医者ならば特にクルル草を入手しやすいかもしれぬな」


「医者か……。

 入手しやすいというだけで、疑う訳にはいかないが。確かに、一考の余地はある」


 二人の遣り取りを聞いていると、最近私の周りで毒を使ったような事件がかなり頻発して起こっているなぁと内心で思う。


 そういえば、お兄さまが調べてくれていた検閲係が死んでしまったあの事件も。


【……多分、毒が使われていたんだよね?】


 お兄さまがお父様から任された件でアルに毒の種類について聞いていたから。


 多分あの時のお兄さまは、検閲係が死んでしまった事件のことを調べていたんだと思う。


 アルはあの時、テングタケモドキっていう植物が使われていたんじゃないかって判断していたし。


 その時の毒と今回使われた毒とでは種類が違うけど。


 共通しているのは、どちらも、医療にも使われることがある植物を使っているっていうことだろうか……。


 テングタケモドキは鎮痛作用のある植物。


 クルル草は解熱作用のある植物。


 あぁ、でもミュラトール伯爵が贈ってきたクッキーに入っていた毒はそれには該当しないな。


【たまたま……? 偶然、のことなのかな?】


 巻き戻し前の軸から私には敵が多いと分かっていることだし、それだけじゃ判別は出来ないけれど……。


「しかし、目的が本当にアリスのデビュタントを台無しにしようとしたということなら許せぬな」


「ええ。

 ……精霊王様、人間の力だけで解決出来ればそれに越したことはないと思いますが。

 もし可能でしたら、精霊王様のお力で何か犯人が特定出来るような魔法などを使って頂けないでしょうか?」


「僕の力か……。

 過去のことを見ることが出来るようなものがあれば一発なのだが、魔法も万能な訳ではないのでな。

 だが、犯人特定に繋がるかどうかは分からぬが、毒のついたワイングラスに近づいた人間がいるとしたらそこから痕跡を辿ることは可能だぞ」


 私が頭の中で色々と考えている間に、アルがお父様から魔法の使用について聞かれたあとで、自分の魔法を使用して痕跡を辿ることが可能だと提案してくれていた。


【アルの魔法で、そんなことも出来るんだ……】


 私がその言葉に、そう思った瞬間、お父様もアルの言葉に同じように感じたみたいで。


「そのような事が出来るのですかっ!?」


 と、アルに向かって、滅多に出さないような大きい声を向けて来たのが見えた。


 確かにそれで犯人候補が絞れるのなら、使って貰えたら大きくこの事件が前進するということは間違いないだろう。


「あぁ、だが……。

 辿れたとしても、僕が一度会った人間じゃないとそれがどこの誰なのかまでは分からぬという致命的な欠点はあるし。

 そもそも、飲食スペースに置かれていたワイングラスだから、近づいた人間も多くいるだろう。

 何人かまでには絞れるかもしれぬが、一人に絞るのは難しいと思うぞ?」


『それでも良いのなら、協力は惜しまぬが……』


 はっきりと声に出し、メリットもデメリットも伝えてくれるアルに対して。


 お父様が表情を少しだけ緩めたあとで。


「それでも、何人かに絞れる可能性があるのなら是非お願いしたい。

 今、残っている人間だけでも、あとで、精霊王様に直接視認して頂ければ、より正確な犯人候補に絞ることも可能でしょうし」


 と、声を上げるのが聞こえてきた。


 お父様のその言葉に、アルが……。


「うむ、分かった、それならば協力しよう」


 と、頷いてくれて、私達は応接室のような場所から出て、全ての食器やカトラリーが片づけられた別室へと徒歩で移動する。


 パーティー会場からも近いこの部屋では、本来はパーティーに来てくれた人の休憩スペースとして使われていた部屋のうちの一つだった。


 だから、ソファとかの家具もしっかりと置いてあるんだけど、この部屋がかなり広い部屋だということもあって……。


 毒物などが混入していたら危険だし、一先ずは近くにあるこの部屋には関係者以外誰も入れないようにと封鎖して、飲食物も食器類も、ここに全部運び出したんだよね。


 騎士達が慌ただしそうに部屋の中を動き回っていて。


 特に倒れた貴族の人が使っていた飲食スペースに置かれていたものを重点的に、何かの痕跡が残っていないかを探してくれているみたいだった。


「あ、陛下っ!」


 私達を見つけた騎士の一人が、お父様に敬礼したあとで。


「頑張っているところ悪いが、少しの間ここから全員出て、ウィリアムの方を手伝ってやってくれ。

 それから、何人かは医療室の方に行って、バートンも含め、医療関係者があの飲食スペースに出入りしたかどうかなど詳しく聞きこみをしてきてくれ。

 今の段階では、確実に一人、マルティスという医者が飲食スペースに立ち寄ったことは分かっているからその男も含めて念入りにな」


 お父様がそう言うと、全員が驚いたような顔をしていたけれど。


 直ぐさま40代くらいの厳つい顔をした風格のある男の人の口から……。


「医療関係者の件について畏まりました。オイ、お前達、行ってきてくれるか?」


 と、テキパキと周りにいた若い騎士に指示を出したのが聞こえてきた。


「は、はい。承知しました」


「お任せ下さいっ!」


「それと、陛下……、その、っ、此方に関してはまだ痕跡らしい痕跡は見つかっておらず。

 もっと、調べる必要があると思うのですが……」


 そうして、目の前の厳つい顔の騎士がお父様に向き直ったあとで、正直にあまり捜査が進んでいないことを説明してきてくれて、その上でもっと色々と調べる必要性があるのだと……。


 彼のその力強い瞳から、この事件に関しても誠実に向き合っているのが私にも確認出来た。


 だけどそれに関してはあとからまた再開して調べて貰うことにしても、今、この場においては一先ず彼らにはこの場所から出て行って貰った方がいいだろう。


「勿論、そのことは分かっているが。

 これから少しの間、使われた毒について更に詳しく専門的に調べるためにこの部屋を使用する」


 騎士の言葉を受けて、お父様がちらっとアルに視線を向けたあとで、そう答えれば、それで、彼らも納得してくれたのだと思う。


 アルが毒について詳しいというのは、さっきのパーティー会場で披露した事ですっかりと広まってしまっていたみたいで……。


 お父様の言葉を聞いて、直ぐさま敬礼したあとで、騎士達は統率のとれた動きで迅速に部屋から出て行ってくれた。


【アルがどんな魔法を使うのか分からないから、お父様もこの部屋を無人にしておきたかったのだろう、ということは私にも分かったけど……】


 あっという間に誰もいなくなってしまった空間で……。


 お父様が、部屋に鍵をかけてくれたあとで、アルが防音魔法といって、この部屋から一切話し声が聞こえないような魔法を部屋全体にかけてくれる。


 そこまでしてくれて、やっと割れたワイングラスを探せば、目的のものは直ぐに見つけることが出来た。


 箒でちりとりに入れられたその破片は、全てなるべくそのままの状態でこの部屋に保存してあるのが目視でも確認出来る。


「ふむ、ところで、何か書くものとペンは持っていないか?」


 割れたワイングラスの方に近寄って、アルがお父様に向かって声をかけたあと。


「私が普段から愛用している物で構わないのでしたらペンはここに。

 紙は確かこの部屋に置いてあった筈です。……少々お待ちください」


 お父様が自分の持っていたペンと、元々休憩室に置かれていたメモ帳をアルに手渡してくれるのが見えた。


「うむ、助かる。

 流石に人の部屋を汚すわけにはいかぬのでな」


 私が、一体、どうやって犯人候補を特定することが出来るのだろうと思っていたら……。


 アルがスッと取り出したのは、以前、魔女の痕跡を辿るのに使用していた片眼鏡モノクルだった。


【……っていうか、今、アル、何もない空間からいきなり片眼鏡を取り出さなかった?】


 私が内心で、びっくりしていたら、それ以上にびっくりしているお父様から……。


「せ、精霊王様……!

 今のは一体、どこからそのような物をっ!?」


 と、混乱したような声がかかる。


「うん? あぁ、これか。

 なかなか、便利であろう?

 空間魔法でな。物量保存の法則を無視して制限なしに色々と物をこの中に収納しておけるのだ。

 それに入れたときの状態のまま取り出せるのでな。

 例えば魚なども生きたままこの中にいれておけば、そのままの状態が保たれるという優れものだぞ」


「オイ、アルフレッド……。

 そんなのがあったんなら、お前の片眼鏡もずっとそこに入れておけば問題無かったじゃねぇか。

 なんで、前は泉の近くに放置して置いてたんだよっ」


「ううむ、だって僕は、今まで泉から基本的に出ない引きこもり生活を送ってきていたんだぞっ?

 僕だって使用出来るものなら使用したかったが、こんな空間魔法なんてっ!

 あっても使える機会が今までに無かったのだっ!」


 そうして、セオドアの呆れたような突っ込みに、アルが唇を尖らせたあとで、むぅっと、声を出すのが聞こえてきた。


 確かに使い道がないのなら、宝の持ち腐れでしかなかったのだろう。


 アルの言葉には長いことずっと泉で生活してきたことの実感がこもっていた。


「……こんなのがあったら、商人は幾らでも鮮度を保ったまま物を運び出せてしまうし。

 兵器なども気付かれないうちに、その身ひとつで、何処にでも運び出せてしまうっ」


 お父様が、アルの力の一端を垣間見て……。


「絶対に世に出してはいけない物が増えていく……」


 と、少し遠い目をしながら、困惑したように小さく呟くのが聞こえてきた。


 その気持ちは凄く分かるので、私にも何とも言えないのだけど。


「ねぇ、アル……。

 その、モノクルって確か、魔力を追うための物だったよね?

 それで、どうやって、ワイングラスから人の痕跡を辿ることが出来るの?」


 と、私がアルに問いかければ、ぐるんとお父様が驚いたような表情を浮かべて私の方を向くのが見えて。


『そんなこと、私は聞いていないぞっ!』


 と、表情だけで言われているのは分かったけど。


 ここ最近、自分のデビュタントの準備に忙しすぎて、すっかりお父様にそのことを伝えるのを忘れていたから……。


 また、きちんとしたことは伝えておかなきゃな、と思いながら私はお父様に『また今度伝えますね』という視線を送ってみせた。


「ふむ、人というのは、多かれ少なかれ全員が全員、体内に魔力を宿しているものなのだ。

 それが強い人間はアリスみたいに魔女だったり、セオドアみたいにノクスの民という特別に力が強い種族が生まれてくることもあるが」


 そうして、アルの説明に、お父様が混乱したように……。


「私達にも、魔力が……?」


 と、声を出すのが聞こえてきた。


 私もその説明に関しては初めて聞いた内容だったのでびっくりしていると。


 それに対して、アルがこくりと頷いてから……。


「うむ、だが。

 大半の人間は魔力を持っているといっても本当に何の役にも立たぬほど、微々たるものでしかないし。

 魔女のように能力を使えたりするようなことはあり得ないから、お前達人間にとっては在っても無くてもあまり関係のないことだがな。

 それでもほんの些細な魔力ですら、魔力の痕跡であれば、どんな小さなものでも、この片眼鏡モノクルを使えば辿ることが出来る。

 僕にとってそれは、個人情報を教えてくれているようなものだ」


 と、教えてくれる。


 魔法を使ってなくても、このワイングラスに近づいたという人間だけでも、その小さな痕跡から誰が傍に近寄ったかなどの魔力を追うことが出来るとは知らなくて、私はそのことにも驚いたのだけど。


 アルが早速、片眼鏡を装着し、割れたワイングラスを見てくれれば、古の森の泉で魔力の痕跡を辿ってくれていたように、青色の画面がその場に出てきて、文字の列が下から上にバーッと流れていくのが見えた。


 その光景にお父様は更に驚いた様子だったけど、集中しているアルは、絨毯の敷かれた床にそのまましゃがみこみ、お父様から渡されたペンを使って、紙に計算式を書いていく。


「な、なんなんだこの画面はっ、?

 精霊王様、これは一体……?」


「あっ、あの、お父様っ。

 これは、アルが魔力を調べてくれている時の、解析装置みたいなもので。

 あと、今のアルは凄く集中しているので、周囲の音は多分聞こえてないと思います」


 私にも漠然としか説明出来ないけれどアルのことを説明したあとで、この状態になったアルには私達の声は届かないということを、この間実際に見て私も知ったから……。


 やんわりとお父様に暫く待った方がいいことを伝えれば、お父様も頷いてくれる。


 こうなると、私達は、本当に暫く何も出来ることが無い。


【ウィリアムお兄さまの方は調査が進んでいるだろうか】


 一度も飲食スペースを利用していない人達については、もう既に関係のない人であると判断し帰って貰っているけれど。


 一度でも飲食スペースを利用した人に関しては、パーティー会場にある別の休憩スペースに使われていた部屋を利用して、その場に待機して貰っていて、長いこと拘束してしまっているのは間違いない。


 お兄さまや騎士達の質問などで、関係ないと判断されれば恐らく帰ることは出来ている筈だから、今、皇宮に残っている人の数も、大分その人数は絞られていると思うけど。


【仕方のないこととはいえ、自分が疑われているかもしれないと思われると気分もあまり良いものではないだろう……】


 それに貴族の人が入れたとは限らず、グラスに毒を入れたのは皇宮で働く使用人の可能性だってある。


 寧ろ、そういった仕事をしていた人間の方が、グラスに毒を入れやすいだろうし。


 私達が暫くその場でアルの解析を待っていると、さっきまで魔力を調べてくれていたアルが顔を上げ。


「うむ、いくつかの候補は絞ることが出来た。

 これで、人に会えば大体どの人間がこのワイングラスに近寄ったのか、判別は可能な筈だぞ」


 と、私達に向かって声を出してくれた。