「……ギゼル様、あまり根を詰めていると疲れてしまいませんか?
今日はもう、資料を調べるのをお止めになっては如何でしょうか?」
「いや……まだだ、まだ、もうちょっと調べたいっ」
何度も何度も色々な本を漁って、資料を捲っては確認しているその手を止めることなく調べていたら、騎士から声をかけられた。
時刻を確認すれば、気付けばもう夕方を過ぎていて。
それだけで俺がこの部屋で一日費やしてしまっていたことに気付く。
「……ですが、その資料、確か前にも確認されていませんでした、か?」
俺に配慮してか、ちょっとだけ言葉を濁すようにそう言われて。
俺は手元にあるもう既に隅々まで何度も読み込んだ資料に視線を落としたあとで、自分の周囲に目をむける。
目の前の騎士の言うことは確かにその通りだった。
気付けば俺の周りには一度綺麗に片付けた筈の資料の山が積まれた状態で散乱している。
誘拐事件のことを調べれば、直ぐにアズの手がかりが見つかると思っていた。
漠然としたものながら、ある程度の確信めいたものがあったから……。
【だけど何度も何度も調べても、アズの手がかりは見つからなくて】
もしかして誘拐事件に関する記事じゃなく、他の事件に紛れているのかもしれないと思って、俺が子供の関係する事件の資料を漁り始めたのもかなり前の話で……。
それらも含めて何度も見逃しがあるのかもしれないと読み込んだけど。
例え自分の息子が赤を持つ者だとしても、自分たちの息子のことを可愛いと思っているのなら。
誘拐されて届けを出すときに、事細かにその特徴は伝えている筈だから、本に記されていないなんてことはない。
だとしたら……。
【もしかしてアズは、赤を持っているが故に家族から失踪届けを出されなかったんじゃないか……】
嫌な予感が頭の中を過ったあとで、アズが自分のことを
家族から疎まれて生活していたのなら、誘拐されても何らかの事件に巻き込まれても探すことさえされなかったのだろうか。
だけど仮に家族がそうだったのだとしても、生活していた人間が突如失踪などをしてしまったなら、誰かしらに不審に思われるだろう。
貴族であるなら、生まれた時に教会に出生届が出されている筈だし。
それよりも、子供が産まれるかもしれないという情報はどんなに頑張っても隠すことなど出来ない。
貴族の夫人が子供を産むことになれば、今まで参加していた社交界などにも必然、顔は出せなくなるし。
そのことで、どうして夫人が出てこなくなったのかと、周囲の貴族にもその家の情報などは知られてしまう。
【あの家には子供が産まれる、と……】
情報が物を言う貴族社会では、当たり前のように行われていることだし。
生まれたことを隠すことなど、不可能に近いのではないだろうか。
それでも、もしもそんなことが出来るのなら、可能性として考えられるのは。
――出生届そのものが出されなかった、ということだ
妊娠していた事実はあるが、
一応、その家に子供が産まれなかったことに、出来るかもしれない。
あり得ない話じゃなくて、思わず深く考えてしまう
勿論、その家で働いている使用人を騙すことは出来ないから、使用人も含めて全員が協力者になるような状況じゃないと無理だろうけど。
【だけど、これで完全に振り出しに戻ってしまった】
そもそも、失踪してしまった自分の子供を家族が探していないのだとしたら……。
ここに情報が載っている訳もない。
他にも色々と考える限り、関連性の高い記事は片っ端から読んだけど。
どう考えても、手詰まりだった。
【それでも諦めたくないという気持ちに突き動かされてる、けど】
冷静に考えれば、目の前の騎士の言うことは尤もで、これ以上、ここにいても僅かな手がかりさえも掴むことは出来ないだろう。
それに、もうすぐ夕食の時間だ。
俺は一度、溜息を吐いたあとで……。
自分の周囲に散らばった本を棚に入れ直し、全て元に戻していく。
父上に何の成果も得られなかったことの報告はしなければいけないなと思いながら。
【やっぱり、アズのことを諦めなければいけないのか】
という気持ちに苛まれて苦い気持ちばかりが湧いてくる。
絶対にアズは貴族の子供なんだって言う確信に近いものがあっただけに、空振りに終わったことがショックだった。
全ての本を戻し終えて、俺が意気消沈していることに対して『大丈夫なのか』と心配そうな表情を浮かべてくる目の前の騎士に、問題ないことを告げて。
俺はこの部屋を鍵できっちりと施錠したあと、父上の仕事部屋へと向かうことにした。
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「父上、鍵を返還しに来ました」
「あぁ、ギゼルか。随分遅くまで熱心に調べていたのだな? それで、どうだったのだ?」
「いえ。……申し訳ありません。
それが、調べてみたものの、俺の出会った子供の特徴に該当するような人間はいませんでした」
「そうか。
……まぁ、お前のいう手がかりに関しても、あまりにも少なそうだったからな。そういうこともあるだろう」
父上の仕事部屋に入って、鍵を返したついでに報告すれば、父上は俺にそう言いながら、声をかけてくれた。
兄上と一緒で、最近の父上は、やっぱり以前に比べたらどこか柔らかい雰囲気になっているような気がするのは俺の気のせいではないだろう。
内心でそう思いながら……。
「ええ、まぁ……そのっ、手がかりは今日話した、髪が赤いってことと、あと病弱なことだけで……。
多分、貧血の症状だと思うのですが、それだとアイツの病気を絞るのも一苦労で」
アズのことを諦めきれずに、俺がぽつりと声を出せば、父上は俺の発言を聞いて少しだけ眉を動かしたあとで……。
「髪が赤くて、貧血の症状、だと……?
ギゼル、それは本当に“少年”だったのか?」
と俺に聞いてくる。
その言葉の意味が、今一よく分からなくて首を傾げ。
「どういう意味でしょうか……っ?」
と、父上に問いかければ……。
「髪が赤いということと、“貧血”という症状で直ぐに思いつくのは
能力者は力を使ったあと、血を吐くことで知られているし、当然、それによる貧血症状も起こりうる。
もしかして、その少年が仮面で顔を隠していたのだとしたら、性別を偽っていた可能性はないのか……?」
はっきりと父上からそう言われて、俺は目を瞬かせた。
「アズが、女……?」
その可能性は全く考慮すらしていなかったけど……。
確かにそう考えれば、父上の言う通り、アズの声は女みたいに高くて……。
俺はそれを、声変わりがまだなのだろうと、すっかり思いこんでいたけど。
まさか、アズはテオドールの弟じゃなくて、妹だったんだろうか……?
「あぁ、有り得ない話ではないと思うぞ。……スラムのような場所は、女性や子供が生きて行くには厳しい場所だからな」
父上の言葉を聞きながら、そういえば、子供がナイフを持っていたことをアズが誰よりもいち早く気付いていたことを思い出した。
あの時、子供はナイフをポケットに入れていて、表面上からは誰からも見えなかった筈だ。
アイツがそのことに気付いたときに凄く不思議だったけど……。
【もしかして、あの時は俺を助けるために、魔女の能力を使ったとかだったのか?】
そう考えれば考える程に、父上の言うことが正しいような気がしてきた。
……アズが倒れそうになったあの時、テオドールも、アズも、元々アズが身体が弱くて体調が悪いって言っていたけど。
【いや、違う、……俺の失態だ。
ここに来るって決めてからも、本来なら、そういう事をさせるつもりなんて無かったし。
こういう事が起こらないように先手を打って俺がもっと気にかけて色々と対処するべきだったのに、無駄に負担をかけさせちまった】
って言っていた、テオドールのあの言葉が、アズが能力を使ったからなのだとしたら、そっちの方がどう考えても辻褄が合う。
そこまで考えてから……。
俺自身、何と言えばいいのか分からないような感情が込み上げてくるのを抑えることが出来なかった
もしも……。
もしも、そうだったのだとしたら……。
――アイツは
「ち、父上っ。
……そうかもしれません、アイツは、アズは、魔女なのかもっ!
そのっ、報告することでもないと思っていたので、報告していませんでしたが……。
子供を捕まえていた奴らに脅されて一人、ナイフをポケットの中に隠し持っていた子供がいたんですっ!
結局、アズがいち早くそれに気付いてその子供を説得してくれたお蔭で大事にはならなかったのですが、もしもアズがその子供を説得しなかったら、もしかしたら俺は刺されていたかもしれませんっ」
『それに、アズの体調が悪くなったのは、その後なんですっ!』
一息に、捲し立てるように声を上げる俺に、父上は俺の言葉を聞いて、少しだけ考え込むような素振りを見せたあとで。
「その子供がナイフを隠し持っていることに気付いたということは透視能力か、?
もしくは、ほんの少し先の未来が見通せる能力……」
俺に聞かせるというよりは、自分で声に出してあれこれと頭の中を整理しているような声を出してから。
「いずれにせよ、もしも“魔女”なのだとしたら、その少女に関しては大規模な捜索をした方が良いだろうな。……他国にでも捕まってしまえば、危険だ」
と、結論づけたようにそう言われてしまった。
その言葉に一瞬で、頭の中が沸騰しそうになった。
「……ち、父上っ!
それは、自国でアズを囲うということでしょうかっ!?」
「……あぁ、何処の国も大なり小なり、魔女を抱えてはいるものだ。
奴隷制度の撤廃をしている我が国でもな……。
私自身は魔女の人権も守られるべきものだとは思っているが、まだまだ兵器にもなり得る魔女を、その人権を考慮して国から手放すことなど言語道断だと反対してくる貴族も多い」
「そんなっ!
能力を使ったら否応なしに命が削られるんですよねっ!?
俺は反対ですっ!」
そうして続けられた言葉に、俺は大きい声を出して、それを反対する。
俺が迂闊なことを口走ったばっかりに、アイツの……。
アズの力を国の為に使うだなんて、そんなこと、許せる訳がない。
【もしも、そんなことされたら、アズの命が削られていってしまう】
あの時、息も絶え絶えに、あんなにも苦しそうにしていた姿が頭を過った。
アイツが男だろうが、女だろうが関係ない。
俺にとってアイツは俺の心を癒やしてくれた
もしもアイツが魔女なのだとしたら、どうしても、アイツにはそんなことはさせられないと思ってしまう。
「……お前がその子供に助けられたというのならば、肩入れする気持ちは分かる。
私自身、非人道的なことも強制するようなことも、なるべくするつもりはない。
だが、透視や、未来を見通せる能力であるならば尚更、他国に流れることになるのだけは絶対に阻止せねばならん。
……そういう意味でその少女を国で保護すると思ってくれ」
「……保護、ですか……?」
けれど、父上は何処までも冷静だった。
確かにシュタインベルクでは父上の号令の元、今までにも奴隷制度を撤廃したりそういうことを率先としてやってきているけれど。
父上だけでこの国が回っている訳ではない。
まだまだ発言権や、声の大きい重鎮のような、貴族は沢山いる。
父上だけが先を進んでいても、それに賛同してくれるような人間が少なければどうにもならないということも、俺にも分かっている。
少しずつ、未来に向けて彼らにそういう施策をすることを説得して、納得して貰わなければいけないのだということも。
それでも、こんな形でアズを探すことになるとは予想もつかなかったし、そうして欲しいともどうしても思えなかった。
だけど、父上から……。
「今日、お前の話を聞いた限りでは、一人は優秀な剣の使い手だったということだった筈だ。
そしてもう一人が、魔女の可能性もあるのならば、どちらも我が国にとっては有益で重要な存在になるかもしれない。
……可能な限り、彼らには配慮すると約束しよう」
『私がお前に譲歩できるのはここまでだ』
と、何も言われなくてもそう言われていることに気付いて、俺は渋々黙ってこくりと頷いた。
複雑な気持ちになりながらも、父上がこう言っている以上は、俺に拒否する権利などもうどこにもない。
父上が探してくれると言ってくれた以上は、アズに再び会える可能性は俺一人で探していた時に比べて高くなるだろう。
だけど、もしも再び、アイツに会った時……。
アイツは俺の事をどう思うだろう……?
【魔女として国に囲われる】
父上は保護という言葉を使っているし、父上が色々と気にかけてくれている以上。
アズが、他国のように魔女としてあまりにも酷い扱いをされたりするようなことにはならないだろうというのは俺にも分かってる。
スラムで暮らすよりはちゃんとした生活は出来るかもしれないっていうのは確かだけど。
それでも何かあった時、国のために、その命を差し出すようなことをしなければいけない状況になるのは間違いない。
俺は今日、アズの手がかりを探すために張り切っていた気持ちとは真反対の、暗い気持ちになりながら父上の仕事部屋を後にした。
すっかり夕食を食べに行くような気分でも無くなってしまったが、これから夕食を食べに行かないといけないだろう。
父上以外は既に揃っているだろうか、と思いながら歩いていれば……。
廊下でバッタリと、丁度、母上に出くわした……。
「あっ……、母上」
思わず、びっくりしながらも声を出せば。
母上は俺を見たあとで……。
「ギゼルか」
と、口角を少し吊り上げて、声を出してくる。
「珍しいですね、いつもなら既に席に着いている頃なのに。
……母上もこれから夕食に?」
「あぁ、珍しく
だがそのお蔭で有意義な情報も手に入って今日は
「……そうですか」
俺は母上に質問したあとで。
どうせ、行き先は同じだからと、その隣に並んで歩き始めた。
ちらりと、その表情を窺う様に確認すれば、相も変わらず母上は俺の方を見ることは一切せずに……。
「そう言えば、そなた。
……この間はスラムで大活躍だったそうだな?」
と、声をかけてくる。
「はい、ありがとうございます」
一言で、その質問に答えれば。
「ふむ、ウィリアムの役に立てるよう精進しているようだな。
まぁ、ウィリアムがそなたと同じ歳になる頃には既に陛下の役に立って、様々なことをこなしてきていたから、そなたも兄にもっと追いつかねばならぬがな」
と、言葉が返ってきた。
俺はその言葉に、こくりと頷いていつものように……。
「はい、兄上のお役に立てるようにもっと頑張ります」
と、今までにも何度も答えてきた言葉を殆ど意識することもなく、すらすらと口に出す。
母上は俺のその回答に満足そうに笑みを溢したあとで……。
「ならば
そなたも将来皇帝になるウィリアムの為に、全力を注ぐのだぞ?」
と、此方を見ることもなく、その口元を、持っていた扇で隠したあとでそう言ってきたので、俺はその言葉に、母上が此方を見ることはないと分かっていながら頷いて……。
「勿論です」
と、声に出す。
母上が俺のことをあまり見ないということも別に今に始まったことじゃない。
本人は恐らく意識すらしておらず、無意識のことだろう。
……昔からこうなので、俺も、既にその状況には慣れきっている。
だからといって、母上から蔑ろにされただとか、俺のことを気にかけて貰えない訳でもない。
兄上と同様、誕生日などには母上からプレゼントを貰うこともあったし、別にそこで明確に区別されたりしている訳でもない。
【……だけど昔から、母上の心の比重が兄上に偏っていることは事実だ】
ただ、俺と兄上では出来ることも大きく違うし、兄上が凄い人だということは変わりないから……。
母上の期待が兄上に向かっているというのも理解出来る。
幼い頃の兄上が自分の瞳の関係で生死を彷徨うような熱を出してしまったことがあって。
それ以降、過剰に母上が兄上のことを気にかけ、心配しているという事実も俺は知っているし。
第一子ということもあって、母上が我が子を失うかも知れないという恐怖を経験したことから……。
未だに母上が兄上至上主義であり、守らなければいけないと、その瞳が常に兄上を追っているということも。
母上から今まで兄上のことを思って。
早くそなたも、兄に追いつくようにと、口を酸っぱくして言われてきたことも……。
将来皇帝になるべき兄上のことを思えば、それは当然、俺がしなければいけない努力だと思って常に兄上に追いつけるようにと向上心を持って取り組んできたし。
兄上の役に立つ為に……。
兄上のような素晴らしい人の隣に立つのに相応しくなれるように。
【
ずっとそう思って、頑張ってきた。
今も兄上を尊敬していることは事実だし、兄上の役に立つのに努力することは惜しまないつもりだ。
……でも、何も兄上そのものにならなくても、兄上の隣に立つことは出来る。
向き不向きもあるし、自分の出来ることを伸ばして頑張っていけばいい。
――そのことを、
【だから、そういう意味でも俺はアイツに凄く感謝してる……】
俺は隣を歩く母上が、最近の兄上の活躍について喋っているのを聞きながら、ダイニングルームへと足を向けた。