夕方、デザイナーさんが帰り。
いつものように、ローラの作ってくれた食事をみんなで食べたあと。
まったりとした時間を過ごしながら、アルと自室で、いつ頃古の森に行くのかの日程を話し合う。
私のマナーの勉強と一般の勉強の都合もあるから、直ぐには動けないだろう。
行く日を決めてお父様に伝えたあとで、ルーカスさんや家庭教師の先生に話を通して貰うことになるだろうから、一番最短だとしても行く事が出来る日は来週になるだろうか。
頭の中で今後の予定も組み立てながら、アルと会話の遣り取りをしていたら
「うむ。
……そうなってくると、とんぼ返りみたいな感じにはなるであろうな」
と、アルから言葉が返ってきた。
「うん、そうだね。私のデビュタントが終わったあとの方がゆっくりと行けるとは思う」
「あぁ、そう、だな……。
だが、どちらにせよ何回かに分けて行かねばならないとは思っていたし、お前の負担にならぬのであれば、一度行って子供たちの様子を確認して。
……また後日、デビュタントが終わったあとにも、今度はじっくりと時間を取って行くことにしてもいいか?」
「うん、大丈夫だよ」
そうして、アルからそう提案されて私はこくりと頷き返した。
どっちみち、私自身も能力のことがあって、練習するのに何回も古の森に足を運ばなければいけないと思っていたし。
アルが精霊の子供たちと定期的にコンタクトは取り合っているけれど、久しく自分の目で見ることが出来ていないからと凄く心配していたのは分かっているから。
出来るなら、近いうちに一回行っておいて、様子を見ておきたいと思うその気持ちを尊重したい。
「今日決まったドレスのことで、明日、ハーロックと会って話す機会があるから。
来週、4日ほど古の森に行くために私の予定を空けてもらえるよう、お父様に伝えることをお願いしておくね」
「うむ。
お前も忙しい時期なのに、僕の我が儘ですまないな」
「ううん、私もどこかのタイミングでは行きたいと思っていたから。
提案してくれて丁度よかったよ」
精霊さんたちに会うのも久しぶりだし、森の中で新鮮な空気を吸うのは、私自身の息抜きにも繋がることだから、アルの提案は、私にとっても有り難いものだった。
気分的にも、こっちで感じるような人の多さや慌ただしさとはかけ離れ。
ゆっくりと時間の流れる森の中でハーロックの用意してくれた書類に目を通した方が、なんとなく自分の記憶力も上がるような気もするし。
あくまでも、気がする、っていうだけだけど……。
私とアルの会話が一段落したあたりで、不意にセオドアが扉の方へと視線を向けたかと思ったら。
もの凄く嫌そうな表情を浮かべて、溜息を一つ溢したのが見えた。
【もう夜だけど、こんな時間に誰か来たのかな……?】
セオドアの普段なら絶対に出すことのない珍しい表情を不思議に思いながら、セオドアに誰か来たのかと、声をかけようとした所で、私の自室のドアがコンコンと、ノックされるのが聞こえて来た。
「アリス。……今、いいか?」
「あ、はい……、大丈夫ですっ」
聞き慣れた突然の来訪者の声に驚きながら、私は椅子から立ち上がり、椅子の背もたれにかかっていた自分のストールを肩にふわっとかけたあと、慌てて扉に駆け寄って、開けようとしたところで。
「いい。姫さん、俺がやる」
と、セオドアが私よりも先に扉をパッと開いてくれた。
「……っ、こんな夜の時間に、主人の部屋に入って何をしているんだ、お前達は」
私の部屋の扉が開いて、私に視線を向けたウィリアムお兄さまの表情がほんの少し柔らかいものになったあとで。
部屋の中にアルとセオドアがいることに気付き、少し不機嫌にも思えるような感じで、お兄さまから眉を寄せながらそう言われて。
「……? あの、晩ご飯を食べ終わったあと、私が2人を引き留めて歓談していただけなんですけど、何か
と、問いかけた私に。
お兄さまの瞳が此方を向きながら……。
「いや……、それなら別に問題ない」
と声を出してくる。
お兄さまが何を言いたかったのか把握出来なくて、不思議に思って首を傾げていると。
「で、? アンタはわざわざ姫さんの部屋にやってきて、何か用事でもあったのか?」
と、セオドアがお兄さまに問いかけてくれた。
その言葉を聞きながら、セオドアに向かって溜息を吐き出したあとで。
「まるで、用事がなかったら来るなとでも言わんばかりの言い草だな?」
お兄さまがほんの少し鋭い視線を向けながら、セオドアに声を出せば。
「あぁ、そう聞こえたか?
アンタがそう聞こえたんならそうかもしれねぇな」
と、セオドアもお兄さまの勘違いの言葉を否定することはせず、何故か、お兄さまを煽るような声を出すのが見えて。
急に2人が殺伐とし始めたことに、止めた方がいいだろう、と思いながらもそのタイミングが上手く計れず、私は1人でおろおろしてしまう。
「うむ、お前達、
いい加減にしておかないと、2人ともこの部屋から追い出すぞ」
そうして、私の代わりに声を出してくれたアルの言葉に、此方に視線を向けてくれた2人は、揃って今まで遣り取りしていた会話を取りやめてくれた。
【この間、通じ合っている感じがして、凄く仲よさそうだったのに。
どうして今、ちょっと喧嘩っぽくなってるんだろう?】
お兄さまにもセオドアが凄く優しいことを知って貰えたらいいなぁと頭の中で思いながら2人の成り行きを見ていた私の顔を見て。
「あぁ、姫さん。
そんな、不安そうな顔しなくても、大丈夫だよ。別に喧嘩がしたい訳じゃねぇからな」
「あぁ、安心しろ、アリス。
これは、ただの挨拶みたいなものだ。……この男を見ると条件反射で嫌味の一つでも言いたくなる」
と、セオドアとお兄さまから心配しなくてもいいというような言葉が返ってきて内心でホッとする。
【よく分からないけど、男の人同士の友情ってこんな感じなの、かな……?】
そういえば、喧嘩するほど仲が良いっていうし。
お兄さまとルーカスさんも、色々とお互いに遠慮することなく会話をしているイメージがあるから、もしかしたらそういう関係性も友情に繋がるのかもしれない。
巻き戻し前の軸も、友達付き合いをきちんとしてきた訳じゃないし、人とちゃんとした関係性を築いていない私からしたら、一瞬、2人が喧嘩をしてしまっているのかと思ったけれど。
これは、仲が少し深まったが故の、お互いフランクな遣り取りなのかも。
頭の中で、そんなことを考えながら2人を見つめていたら……。
「オイ、俺は別に必要以上にアンタと仲良くするつもりはねぇからな?
姫さんが不安そうな顔するから、アンタとも適度に付き合うつもりはあるが」
「それは、お互い様だろう、犬っころ」
と、やっぱり、仲がいいのか、悪いのかよく分からない遣り取りが私の目の前で繰り広げられていた。
「あのっ、それでわざわざ、どうしてお兄さまが私の部屋に来て下さったのでしょうか?」
2人の遣り取りを耳にいれつつも……。
お兄さまが私の部屋に来てくれることって滅多にないことだから
【もしかして何か急ぎの用事でもあったのかな?】
と問いかける私に。
お兄さまの目が此方を向いて……。
「あぁ。
……お前のデビュタントが1ヶ月後に決まっただろう?
既に父上から聞いて、ハーロックから書類を渡されてはいるだろうが当日来る予定だった演奏者の1人が変わって、流れる曲順のリストに一部変更があったらしくてな」
と、教えてくれた。
その言葉に驚いて、私は思わず目をぱちくりと見開いてしまう。
「それで、私にわざわざ、知らせに来て下さったんですか?」
お兄さまが私のために教えに来てくれなくても、明日になればハーロックと会う予定にはなっていたし。
巻き戻し前の軸とは違って、多分、その時に教えて貰えただろうと思うのだけど。
「あぁ。
……丁度、父上と話をしているときに変更があってな。
自分の部屋に帰るついでにお前には俺から伝えに行くって言っただけで、別にわざわざじゃない」
「あの、でも……お兄さまのお部屋って私の部屋よりも手前にありますし。
私の部屋に来ること自体、一手間ですよね? 本当にありがとうございます」
ついでにといっても、部屋の位置関係を考えればお兄さまが、自分の部屋に帰る前に、わざわざ一手間かけて、私の部屋に寄ってくれたことは一目瞭然で。
そのことに、感謝しながらお礼を伝えれば……。
お兄さまは
「別にそれくらいのこと、手間でも何でもない」
と、声をかけてくれた。
そうして、自分の手に持っていた新しい書類を一式、私に渡してくれる。
「こっちが、新しいものだ。
……間違えてもいけないし、古い方は俺の方で破棄しておいてやる」
お兄さまからそう提案してもらって、私はこくりと頷いたあとで、自分の机に載っていた書類をお兄さまに手渡した。
「ありがとうございます。……では、お願いしますね?」
「あぁ」
「……ちなみにその、書類の曲順のリストって、どの辺りが変更になったんでしょうか?」
お兄さまから渡された新しい書類の方をパラパラと捲って、その日一日の曲が流れるリストが載っている箇所を見れば、確かに、順番に流れる曲の中で2、3曲元の曲から変更になっているのが私にも確認できた。
「あれ……、? この曲……」
その中の1曲に目線がいって、思わず声を出すと、傍にいたアルもセオドアも、私の方に寄ってきてくれた。
「あぁ、それか。
代打で来てくれる演奏者が東の方の出身らしくてな。
普段はシュタインベルクではあまり流れることのない曲だから、珍しく感じるだろう?」
お兄さまがこの曲を珍しいと言ったことに違和感を感じて、どういう意味なのか聞こうと思ったら。
「あぁ、そうだな。これなら俺も聴いたことがある」
と、セオドアがお兄さまの言葉を肯定するように頷いて返事を返すのが聞こえて来た。
そのことに、セオドアがダンスの曲を知っているのなんて珍しいなぁ、と思いながら。
「セオドアも?」
と、私が問いかければ。
「あぁ、前に無理やり、……仕事終わりの断り切れなかった酒の席でな。
成人になったばかりで、下品などんちゃん騒ぎに嫌になりながら、美味くもねぇ安酒飲まされて。
滅茶苦茶億劫な中、仕方なく聴いて、仕方なく見る羽目になったが、この曲だけは普段あまり聞き馴染みのない曲だったからかなり印象に残ってるな」
次いで、セオドアから降ってきたその言葉にびっくりした。
「お前、本当に意味の分からない経歴、辿って来ているな? どうやったらそんな状況に出くわすことがある?」
「まぁ、良くも悪くも人生経験が豊富だってことにしておいてくれ」
お兄さまの呆れたようなその言葉に、セオドアが苦笑しながら声を出すのが聞こえてくる。
その言葉だけでも色々とあったことが私にも分かるくらいなのに。
【セオドアは、いつもどんな話も、本当に何でもないことのように、話すんだよね……】
そのことが気にかかりながらも、自分の手の中にあるそのリストに視線を向けたあとで
「……私もこの曲、凄い練習したなぁ……」
と、ぽつりと声を溢したら、お兄さまも、セオドアも驚いたような視線を私の方へと向けてきた。
「お前が、この曲を……?」
「姫さん、それ本当かっ!?」
2人とも、全く違う言葉ながらも同じことを私に向かって問いかけてくるから。
また、何か可笑しなことでも言ってしまっただろうか、と思いながらも私はこくり、と頷いた。
「はい。……異国の曲だけど、
これをマスター出来なければ、ダンスの成績に関しては、到底合格点を出すことは出来ないって言われて……」
マナー講師が初めて自分にダンスを教えてくれることになった日に、せめてこの曲はマスターしておかなければ、到底、合格点を出すことは出来ないと教えてくれたから。
巻き戻し前の軸も含めて、一生懸命、練習した記憶はある。
でも、結局どのダンスをとっても一応一通り振り付けに関しては覚えることは出来たけど。
ルーカスさんに言われたようにワンテンポずれてしまってて、結局、失格の烙印を押されてしまったんだけど。
過去の記憶を懐かしみながら出した私の返答に、目の前で、お兄さまとセオドアの表情が一気に強ばって恐い顔になったことに気付いて、私は首を傾げた。
「あの、っ……私、何か変なこと、?」
「いや、違うぜ、姫さん。
……姫さんが変なんじゃねぇよ。
この曲は普通の、
それを10歳以下のダンス初心者の子供に教えること自体がっ、そもそも可笑しい話なんだよ」
「……え、?」
「あぁ、どうやらっ、俺の締め上げが足りていなかったようだ。
まだ、アリスに関してやらかしていた部分があったとはな。……このことは一つとして漏らすことなく父上に報告しておかねばならないだろう」
セオドアとお兄さまの言葉に思わずびっくりしていると、お兄さまから物騒な言葉が降ってきて、私は、おろおろとしてしまう。
【締め上げって、お兄さま……、マナー講師に一体、何をしたのだろう?】
「あのっ、この曲はみんなが一度は通る曲で、絶対にマスターしなければいけない曲だったのでは、ないんです、か……?」
私の言葉に、セオドアもお兄さまも、難しい表情を浮かべたままで。
その表情が全てを物語っていて、私は色々とそこで悟った。
【そっかぁ、それでお兄さま、さっきこの曲自体が珍しいって言ってたんだ……】
私はてっきり、みんながこの曲を踊れると思っていたから、特別珍しいとも思わなかったけれど。
2人を見ると、なんだか色々と腑に落ちて、自分でも納得してしまった。
「あぁ……そう、だったんですね。……私、てっきり」
「アリス、他にマナー講師から無理難題を押しつけられたり、言われたことは無いのか? もう、それで最後か?」
「あ、はい……。たぶん、……」
段々と、自信が無くなってきて、尻すぼみになりながらそう答える私に。
そこまで黙っていたアルが唇を尖らせながら、お兄さまの方を向くのが見えた。