お兄様が帝国の騎士を呼びに行っている間。
ふぅっ、と張り詰めていた緊張を少しだけ解いた私を見て。
セオドアがクッと、小さく笑うのが聞こえてきた。
「……“アズ”、中々、様になってたな?」
「要所要所で的確に、“お兄ちゃん”が助けてくれたお陰だよ」
目の前には本物のお兄様がいるのに、セオドアのことをお兄ちゃんって呼ぶのもなんだか変な感じだし。
今日一日、ずっとこんなことが続くのだと思うと、ほんの少し気は重いけど。
それでも、お兄様から普段向けられる敵意とかを考えれば、“別人”を装って話している方が楽な部分はあるかもしれない。
【私じゃなければ、あんな風に普通に話してくれるんだな……】
……考えてみれば、それは当然なことなんだけど。
私の前ではいつも怒って眉を顰めてばかりな姿しか見ていないから、お兄様が普通に喋ってくれているのが、何て言うか凄く新鮮だった。
「そういえばお兄ちゃん、もうすぐ帝国の騎士が来ると思うけど大丈夫?」
「あぁ……、多分心配はないと思う。来るとしたら多分、第二王子側の騎士だろうしな。
それより、アズの方こそ大丈夫か?」
「うん。
普段と違って、今日の自分が“僕”である以上は大丈夫かな。
心配してくれてありがとう」
今はセオドアと二人きりとはいえ、どこで誰が何を聞いているのか分からないため。
お互いに警戒しながら、今日の自分たちの設定を忠実に守りつつ。
帝国の騎士が来ること、大丈夫かな?
と、セオドアに聞きたいことを聞けば、セオドアは私の問いかけに頷いて、逆に心配してくれた。
私がギゼルお兄様と一緒に今日一日過ごすことを、心配してくれているのだということは直ぐに読み取れて、私もセオドアのその言葉に頷き返す。
――ギゼルお兄様が騎士を連れて戻ってきたのは、それから暫く経ってからだった。
やってきた、騎士2人は初め、私たち2人の出で立ちを見て、私たちがギゼルお兄様に同行することに、もの凄く難色を示していた。
【多分、怪しいって、思われてるんだろうな……】
「ギゼル様、本当にこのお二人は信用出来る方達なのですか?」
「あぁ……。俺が一度信用するって決めたんだから、大丈夫な筈だ」
「そんなっ、簡単に仰りますがっ、素性も知れぬスラムの人間ですよっ?」
「それが条件だったんだから、仕方がないだろっ。
屋敷内部の見取り図を見せて貰えるのは俺たちにとってもかなり有益な情報だ。
第一、アズは俺より年下だ。そのアズがスラムの仲間を助けたいって言ってるんだぞ。
お前達、この二人に、他に、裏があるように見てとれるか……?」
「いやっ、それはその……」
お兄様の言葉にちらりと私たちの方を見て、眉を顰める二人の騎士に。
【この感じだと、私たちのことを信じてくれたのは、とりあえずお兄様だけで。
2人にはもの凄く裏があると疑われてそうだな……】
と、内心で思いながらも、私は3人の方へと視線を向けた。
「とりあえず、今ここで僕達が同行することを話し合っていても仕方がありません。
今、この瞬間にも捕まえられている子供たちは大変な思いをしている筈です」
「弟の言う通りだ。
アンタ達がこうして話している間にも、時間だけは決して止まることがないからな。
こっちはさっさとアンタ達に、屋敷内部の見取り図を確認して貰って作戦が立てたい」
今ここで、長々と話し合っても仕方が無いと思いながら声をかければ。
私の言葉をフォローするようにセオドアが援護してくれる。
私はセオドアの言葉を聞いた後で、改めて、目の前の3人の方へと紙を広げてみせた。
「……これが、噂の屋敷の内部ですか……?
まさか、地下まであるんですか?」
「あぁ。……んで、この星マークがついてんのは子供が捕らえられている可能性の高い場所だ。
あくまで可能性が高いってだけで、本当にここに捕らえられているかは分からないけどな」
私が、見取り図をみんなにも分かるように見せれば、一気に、目の前の騎士2人にも緊張感のようなものが走るのが見てとれた。
お兄様と一緒に、顔つきがキリッとしたものに変わって真剣に見取り図を確認してくれる。
「可能性が高いのは二階か、地下ですか……。
一階部分に捕らえられている子供がいないと予想しているのは?」
そうして、1人の騎士から質問が飛んで、私がその質問にどう答えればいいのかと、内心であわあわと、している間に。
「……逆に聞くが、アンタがもし奴隷商の立場だったなら。
直ぐに踏み込まれる可能性のある一階部分に、大事な商品、置いておくか?
玄関口の近くなんて、論外だ。
もしかしたら、捕まえてる子供に逃げられるかもしれないって恐れもある」
と、セオドアが答えてくれた。
その言葉に、真剣な表情のまま、2人の騎士が考え込むような仕草で黙り込んでしまった。
「……えぇ、そうですね」
「で。……多分だけど、屋敷の外、玄関口辺りに見張りがいるだろう。
俺たちは、敵の数が多く見積もっても二桁にいくか、いかないかくらいで見てる。
気付かれて仲間を呼ばれても、逃げられても厄介だ。
1人か2人か分からねぇが、なるべく見つからないように背後からすみやかに外にいる見張りを全員ぶっ倒したあとで、一階部分にアンタ達と共同で入る。
……ここまでの説明で、何か質問があるか?」
見取り図を一度見て、ゼックスさんから話を聞いてくれただけで、もう色々と、頭の中でシミュレーションして、具体的に敵の陣地へとどうやって入るかまで考えてくれていたのか。
セオドアの説明は澱みも無く、すらすらとしていて、とても、私と一緒にさっき初めて話を聞いただけの人とは思えないような凄みがあった。
【まるで、ずっと前から計画を綿密に練っていたみたい】
「いえ。……異論はありません。
緻密に計画が練ってあるように感じますし、可笑しな部分も何一つないように思います。
ただ、敵に気付かれないように見張りを倒す、とは……」
「あぁ、アンタ等は汚いことなんて、何一つしてないようなちゃんとした騎士だもんな?
外の見張りは全員、俺がやる。背後から、気配を消して近づくのも、まぁ、得意分野だ」
「一階部分に入ったあとは、どうするつもりですか?」
「一階部分は、俺等全員で探索だ。
人がいた場合は、その都度倒していく。
何事もなく、一階にいる人間を全員倒し終われば、そこで二手に分かれる。
それから、一階にいる人間に万が一にもバレて大声で誰かを叫ばれたりしたら、緊急時として、その時も二手に分かれて行動しよう」
「オイ、テオドール。
二手に分かれるって、具体的にどうするつもりなんだ?」
「一組は、二階へそのまま直行だ。んで、もう一組は地下へ行く。
人質を取られたりして子供が万が一にも殺されたりしないとも限らねぇからな。
何より、人命を最優先で、動くことにする」
はっきりとしたセオドアの、その具体的な作戦の提案に、ほんの少しでも私たちの怪しさが和らいだのだろうか。
先ほどまで懐疑的な視線を私たちに向けていた騎士の2人も、納得したように頷いてくれた。
「俺等は一番怪しそうな地下に行くから。
アンタ達は、二階の方に行って貰えると助かるんだが」
「ちょ、ちょっと待ってくれっ!」
セオドアのその一言に、待ったをかけたのは意外にもお兄様だった。
「なんだ? 今の説明で分からないことでもあったか?」
『できるだけ分かりやすく説明したつもりなんだが……?』と、声を出すセオドアに……。
「いや、そうじゃなくて……。
お前たち2人で、一番怪しいと思われる地下の方に行くって危ないだろっ!
テオドールはいいかもしれないが、アズは戦闘が不得意なんだって言ってただろ?
……その、なんだ、俺もそっちに行ってやるよ!」
と、お兄様から、突然そんな言葉が返ってきて、私はびっくりして、目を見開いた……。
仮面の下だからびっくりしても誰にもバレないのが救いだったけど……。
「……ギゼル様っ、?」
「あー……、アンタ、正気か?」
1人の騎士が驚いたようにお兄様の名前を呼んだあとで、セオドアが珍しく、“どうしたらいいのか困ったように”その言葉に返事をすれば、お兄様が自信満々にこくりと頷いたのが見えた。
「あぁ。こう見えても、帝国の騎士2人は普段から俺の護衛にもついてくれてる奴らだし、腕も立つ。
俺だって、兄上に比べればまだまだだが、剣の腕がない訳じゃない。
アズの戦力が不足しているのなら、戦力になる奴が2対2で別れた方が効率がいいだろう?」
そうして、お兄様の善意しかないだろうその言葉に、セオドアが……。
「……アンタ達は、それで異存は無いのか?」
と、騎士2人に視線を向ければ。
「……ギゼル様は一度、言い出したら聞かぬ御方です。
それにギゼル様の腕が立つのは事実ですし、私たちが御守りしなくても並大抵のことでは大丈夫でしょう。
あなた方の戦力が1人分、不足しているのだとあれば……、まぁ、その、お任せします」
多分セオドアはこの2人の騎士が断るだろうと思って話を振ったのだということが、私には分かったけれど。
予想に反して騎士の2人は、ギゼルお兄様の言い分を丸々と通してしまった。
「……っ、」
思ってもいなかった言葉が返ってきて、言葉に詰まるセオドアを見ながら、お兄様の剣の腕が立つことは16歳に私がなったときの未来のことでは把握していたけれど。
この頃から、剣士としての腕前も騎士の2人に褒められるくらいは、しっかりとしていたんだなぁ、と、私は、そのことに驚いてしまった。
結果だけを見てみれば、お兄様2人が色々な分野で人から褒められるほどに、優秀な成績をおさめてきたことは私にも分かっているけれど。
思えば、お兄様がどういう風に宮で過ごしてきたのかは、私もよく知らない。
多分、本人の素質も勿論あるだろうけど、ウィリアムお兄様がそうだったように……。
【ギゼルお兄様も色々と努力してきたのかな……?】
漠然と頭の中で、私がそう思っていれば。
「よし、決まりだなっ!」
と、お兄様がにかっと、此方に向かって笑みを溢すのが見えた。
【……お兄様も、普段、こんな風に笑うんだ】
お兄様の怒った表情しか見たことがないから、こんな風に明るい表情を見せてくれることに、驚きながら。
「えっと、僕のせいで申し訳ありません」
と、声を出せば。
「気にするなって、こういう時は助け合いだろ?」
と、何の邪気もない混じりけのない純粋な笑顔が返ってきて、普段とあまりにも違うその対応に未だ慣れず、私は仮面の下で戸惑うばかりだ。
それに、私はお兄様が一緒に来ても構わないけど……。
セオドアはお兄様が一緒に来ることになって、動きにくくないだろうか?
と思いながら、心配して、セオドアの方へと視線を向ければ。
セオドアが肩を竦めながら……。
「ま、じゃぁ、決まりだな。
とりあえず、いつまでここで話し合っても埒が明かねぇから、移動しよう。
一先ず、屋敷の周辺に何人、見張りが立っているのか調べるところからだ」
と、声をかけてくれた。