第61話 こっち側



「……自分で、政治を行おうだなんて欠片も思ってない?

 お姫様は本気で殿下が君主になるのが相応しいって思ってるんだ?」


「はい」


 真っ直ぐな私の言葉を聞いて、ルーカスさんが、その場で、はぁっ、と深いため息を溢すのが聞こえてくる。


 ……どこか、安堵したようなその姿に、びっくりしていると……。


「……そっかァ、参ったなァ!

 そこまで、きっぱりと、君主になるかもしれない未来について否定されるとは思わなかった」


 と、さっきまでの、誰の味方なのか全く分からないような雰囲気は鳴りをひそめ、苦笑交じりに声を出して、彼は私の方を、真面目な表情を浮かべながら、真っ直ぐに見つめてくる。


「……お姫様が、ちゃんと自分の意見を持っているのなら、たとえ、この先、何が起ころうとも大丈夫かな。試すような言い方をしたことについては謝るよ、本当にごめんね」


 その上で、がばりと頭を下げて、潔く謝られたことに、目を瞬かせた私は……。


「……もしかして、お兄様のことを思って、私に……?」


 と、ルーカスさんが『そんな話』を私にしてきた理由について、それしか考えられなくて、問いかけるように声を出した。


「……まさかっ! 全然っ!

 俺が殿下のことを思ってとか、気持ち悪いだけじゃんっ?

 柄じゃないことを、するつもりなんて全くないよ。……どうせなら、男につくより、可愛い女の子につく方が、楽しいじゃんっ?

 それに、ほらっ、お姫様が君主になる未来を見てみたいと一瞬でも思ったのは事実だよ。そうなったら、それこそ、色んな人が救われる未来が訪れるかもしれないからねぇ……っ」


 ふわふわと、雲のように掴ませない言い方をしながらも、私の問いかけに、ルーカスさんは、またさっきのように、色々なことを煙に巻いてくるような感じで、本気なのか、からかっているのか、どっちつかずのよく分からない状態に戻ってしまった。


 その姿に、ルーカスさんの本心がどこにあるのか、掴めそうで掴めないという絶妙な距離感を取られていることには気づきながらも、一瞬だけ私に見せてきた、は、きっと偽物なんかじゃなかったと思う。


「……それは、お兄様では、叶わない未来なんでしょうか……?」


 だからこそ、私が女帝になることで、色々な人が救われる未来が訪れるかもしれないと、本音交じりに、ぽつりと言われた言葉に『本当にそうなのかな?』とは、思いつつも、質問してみれば。


「……殿下では、多分、叶わない、だろうなァ」


 と、どこを見ているのか、私から視線を外したルーカスさんは、孤児院の部屋の中で無邪気に遊んでいる子供達に目を向けて、少しだけ、遠い目をしながらそう言って、次いで、視線を戻したあと、くすり、と、私に向かって笑顔を向けてきた。


「……お姫様なら分かってると思うけど、うちの国は、ここ数十年の間に、急速に、奴隷制度を撤廃してたり、差別的なものをなくそうと動き始めてはいるものの……。

 根本的なところで、差別がなくなってる訳じゃないでしょ?

 寧ろ、そういうのは、まだまだ、色濃く残っているのが当たり前の世の中だ」


 その上で、かけられた言葉には、私自身も納得して頷くことが出来た。


 私が今まで、皇宮で冷遇されてきてしまったこともそうだし……。


 この間、アルとセオドアの三人で出かけた王都の街で、セオドアが『ノクスの民』であることで、心ない言葉に晒されてしまったのだって、そうだから……。


 制度としては、そういうのが良くないという状況になってきているとはいえ、一般の人達の心情を変えられるところまでは、どうやったって至っていない。


「……はい、そうですね」


「殿下が、この国で以上、殿下はには絶対に来ないだろうね?」


「……こっちがわ、ですか……?」


「うん、ここの教会みたいに、赤色を持つものを保護したり、積極的に助けたりね。そういう施策は多分、表立って打ち出すことはしないんじゃないかなっ?

 周囲からの反発も凄そうだしねぇ……」


 そうして、穏やかな口調ながらも、私達に対して真剣な表情を向けてくれながら、そう言ってきたルーカスさんに、私は「確かに、そうかもしれない」と、こくりと頷き返した。


 巻き戻し前の軸でも、一番上の兄が、赤色を持つ者を積極的に助けたりするようなことはなかったような気がする。


 そもそも、ウィリアムお兄様が、赤色を持っている人間に対して『どういうふうな思いを持っているのか』ということは、未だに、私にもいまいち、よく分からないことだし。


 二番目の兄であるギゼルお兄様は、世間一般の人達と同じように、赤を持つ者に対して、割と差別的な雰囲気も持っているというか。


 紅色の髪を持っていることを引き合いに出して、私に、敵意とか、憎悪を向けてくる分だけ、分かりやすいんだけど……。


 巻き戻し前の軸も含めて、一番上の兄は、私の『行動』を咎めることはあっても、私自身【・・・】を……。


 赤を持っていることを責めるような言動をしたことは、一度もなかったと思う。


 それでも、きっと……。


 将来、一番上の兄が戴冠式を行い、お父様の跡を継ぎ、皇帝という座に就いた時、仮に『赤を持つ者』を保護するように何らかの施策をしようと思ったとしても、周囲からの反発により難しいだろうというのは簡単に想像がつく。


 ……だからこそ『そこに積極的に取り組むだろうか』と言われたら、やっぱりそうは思えなくて、ルーカスさんのその言葉には、力強い説得力があった。


「……あァ、でも一個だけ。将来、殿下がそういう施策をするかもしれない可能性の芽は、残されていないことも、ないか」


「……?」


「……多分、あり得るとしたら……」


 そうして、私と今、話してくれているその言葉を、一度、そこで句切り……。


(お兄様が将来、赤を持つ者を保護するような可能性がある……?)


 と、ルーカスさんの言葉を不思議に思って首を傾げた私の方を、ジッと見つめてきたルーカスさんは、にぱっと、無邪気にも見えるような明るい笑顔を向けてきたあとで。


「……まァ、どっちにせよ、不確定なことだから。まだ、殿下が、陛下の跡を継いで、絶対に君主になるとも決まっていない訳だし、俺からはなんとも言えないかな」


 と、誤魔化すようにそう言って、その話を、一方的に打ち切ってしまった。


 ……なんだか、色々と煙に巻かれたような気がしてならないんだけど、ルーカスさんは、それっきり、パッと切り替えたのか……。


「……そもそも、一応、うちの家が支援して関わっている教会の中だとはいえ。

 誰に聞かれるかも分からない状況下でする話じゃなかったよな?

 お姫様自身、体調が悪くて教会に来たって言ってたのに、長々と、俺の話に付き合わせちゃって、ごめんね」


 と、私に向かって、謝罪をしてくる。


 その言葉に、私のためを思ってくれて『じゃあ、そんな話を、わざわざしてこなければ良かったのに』と言わんばかりにローラとセオドアが、変わらずにルーカスさんに向かって、非難するような冷たくて厳しい表情を向けてくれるのを、ルーカスさん自身も分かっているだろうに。


 そういった視線について、全く何も感じないくらいに強い心臓を持っているのか、どこ吹く風で、あまり気にしていない雰囲気のルーカスさんに、この間、一緒に、ジェルメールに行った際にも感じたことだったけど。


 ルーカスさんって、本当に読めない感じで『マイペースな人だなぁ』と、実感する。


 それとも、敢えて、人のペースを乱すようなことをして、反応を見てくるようなタイプの人なんだろうか?


 何となく、この感じだと、周りの人の感情を分かっていなくて、不器用に行動しているようなタイプとは思えず、確信犯の気がするんだけど、そこにどんな意味が隠されているのか分からなくて私は戸惑ってしまう。


 そのタイミングで、ルーカスさんに書類を手渡されて『神父様に確認を取ってきます』と言って、この場を離れていたシスターが戻ってきてくれて、大丈夫だった旨を伝えてくれると。


 『じゃあ、俺は帰るね。後のことは宜しく頼んだよ』と、シスターに声をかけたあと、ルーカスさんの方から、私に向かって……。


「もし良ければなんだけど、通り道だし、お姫様さえ問題なければ、皇宮に帰る前に、これからウチにでも寄る?

 飲み物とお菓子くらいしか用意出来ないけど、付き合わせちゃったお詫びくらいはするよ」


 と、一応、今の遣り取りで、自分が悪いことをしたという自覚は持ってくれているのか。


 そんなふうに声をかけてくれたルーカスさんのその言葉に、私はふるりと首を横に振って、遠慮することにした。


「ありがとうございます。

 ……でも、もうそろそろ帰らないといけないので、私はこれで失礼させていただきますね」


「そっか。

……普段、中々、皇宮から出ることが出来ないお姫様に、こんなことを誘って、お願いするのもあれなんだけどさ。

 もしも、お姫様が自由に外に出られるようになったら、また、この教会にでも遊びにおいでよ。

 今回は俺の話にばかり付き合わせちゃったからねぇ。

 ……普段から、自分が持っている変えようがない身体的な特徴で、どうしても、周囲からの理解が得られず、忌避されてしまうことが多いこの教会の子供達にとっても、皇族でありながら、彼等と同じ立場に立って接することが出来るレディーがここに来てくれるってだけで、意味があるってこと。

 頭の片隅にでもいい、入れておいて欲しい」


 そうして、今、お願いするように言われた言葉に弾けるように顔を上げれば、ルーカスさんの表情はいつも通り、その真意がどこにあるのか掴ませないようなものではあったものの。


 ……それでも、私をここに誘ってくれた意味が、今なら、ほんの少しでも理解出来たような気がして。


 エヴァンズ家が、『赤を持っている者』に対してどういうふうに思っているのかまでは分からないけど。


 ルーカスさんの口ぶりから、子供達のことを大事に思っているというのは本当のことなのだろうというのは、しっかりと読み取れたから、何だか、少しだけ、ルーカスさんの人となりを知れたような気がしながらも、こんな私でも役に立つことがあるのなら、可能な限り、赤を持つ人達のために出来ることはしたいと感じて。


「……はい。その時は、またお邪魔させてもらいますね」


 と、私はこくり、とルーカスさんに向かって頷き返した