第二章 第6話「地底アイドル、再び!」

 大ハンマーを豪快に振り回したおかげて、3日たっても肘の痛みと腕の筋肉痛が引かなかった。振り下ろしたハンマーを無理やり外したのが悪かったのだ。でもあれが直撃していたら、あいつは頭蓋骨粉砕で即死だっただろう。

 13西に残してきたカートの回収は腕が治ってからにして、俺は残り少なくなったスライム粉で追加注文のスライムガラスを作っていた。

 輝沢りりんがあの後どうなったのかが気がかりだったが、ネットの芸能ニュースを見てもりりんの記事は見あたらなかった。次の日の収録は無事にこなせたのだろうか。

 工房の窓が小さな音を立てた。振り返ると、ガラスの向こうで御崎エリカが手を振っていた。ずいぶん顔を見ていなかったような気がしたけど、ダンジョン博士の会議録画を見てからまだ5日しか経っていなかった。

「あら、まだスライムガラス作ってるの?」

「追加になった、500枚」

「おー! それは良かったじゃない!」

「でも材料がなくなってきた」

「もしかして西3丁目公園ダンジョン、枯れた?」

 そう言ってエリカは断りもなく工房の椅子に腰を下ろして脚を組む、ミニスカに黒い網ストッキングがエロい。りりんは、可愛いけれどエロさは1ミリもなかった。

「枯れるって? モンスター出なくなるの?」

「東大阪の、枚岡ってところにあったダンジョンがね。4年くらいで何も出なくなったって記録があるよ。あと福岡の油山ってところ」

「何でエリカはそんなこと詳しいの?」

「悪いか?」

「悪いとは言ってないけど」

 エリカはぐいっと腰をひねって作業台に肘を載せた。それでスカートがさらに5センチ以上ずり上がって、腿が3分の2くらい露出した。いや、4分の3くらいかも知れない。

 俺は網ストッキングの太腿をチラ見しながら、エリカをりりんみたいに肩に担ぐのは無理だろうと思った。

「あたしは全国主要都市のダンジョンコンディションを把握して、異常な動向を見逃さないようにしているの」

「異常な動向って……どんな?」

「このあいだオンラインの会議を見せたでしょ? 最後の方に『マナ』って謎エネルギーの話しをしなかった?」

「ああ……」

 俺は頭の中から輝沢りりんのことを押し出して、そっちを掘り出さなくてはいけなかった。

「日本じゃ、人間がダンジョンに入っていくからマナが消費されるっての?」

「そうそう。よくできましたー」

 エリカが両手の指先だけで拍手しながら言う。

「あの会議では話に出なかったけど、マナを測定する方法はあるのよ」

 頼みもしないのに佳子が紅茶を淹れて運んで来た。

「ありがとー」

 エリカが小さな紙袋を佳子に渡した。佳子はエリカのことをあまり良く思っていない雰囲気なのだが、エリカは来るたびに佳子に高そうなお菓子を持ってきてくれるのだ。

「どんな?」

 俺は革の耐熱手袋を外してエリカの向かいに座った。視界からエリカの脚をはずさないと、つい視線が向いてしまうのだ。

「説明すると凄く長いけど、マナの増減は地磁気の脈動に関係しているの」

 いきなり難解な話しだった。

「衛星からの観測で地磁気の脈動は測定できるから、ダンジョンの位置がわかっていればそこで地磁気の脈動がスポット的に減少する現象が観測できるの。地磁気に穴が空くのがわかるのね。それがマナの異常な減衰」

 さっぱりわからない。

「地磁気の穴がいつまでも戻らない状態。それがマナの枯れた状態で、ダンジョンが枯れたって呼ばれる」

「枯れて、何も出なくなったあと……ダンジョンはどうなる?」

「どうなるのかしらね? ただの洞窟になって、そのうち風化して崩れるんじゃない?」

 だったらスライムガラスの材料も無限ではないということだ。

「それで……」

 俺は、何でこんな難解な話しになったのか思い出しながら言った。思い出した『異常な動向』だ。

「異常な、動向が……エリカの仕事に関係してる?」

「そうよ。してるの」

 エリカは厚生労働省を辞めて、フリーターのようなことをしていると聞いたのだが。この話しがどう関係あるのだろう。

「こないだ……13のショートカットであたしをはり付けにしてた奴ら。覚えてる?」

「うん……」

 それが俺とエリカの出会いだ。とんでもない出会いだったけど。

「あいつらがやたらにマナを消費してるのよ」

「スキル、じゃなく?」

「じゃなく……」

 エリカの瞳が強い光を帯びていた。ちょっと恐い。

「やつらはマナを利用して、何かを作ってるのよ」

 ふいに俺は、輝沢りりんと一緒に入った13西のホールを思い出した。びっしり並んだ何かの棚、ダンジョンに似合わないプレハブ。あれがエリカの言う『何か』を作っている場所じゃないのか。でもあそこにあった棚は全部空っぽだった。

「お兄ちゃん」

 佳子が工房をのぞいて声をかけてきた。

「輝沢さんって、女の人来てるけど……」

「えっ?」

 俺は思わず立ち上がってしまった。それから俺を見つめるエリカの視線に気がついた。

「誰?」

「こないだ、ダンジョンで会って……」

「ナンパしたの?」

「いや、そうじゃなくて……」

 りりんとのことをエリカにどう説明したらいいのか、一瞬激しく悩んだ。でもどうせ全部話すことになるのだと悟った。

「ちょっと……」

 頭の中を整理するために、エリカに曖昧なことを言って工房を出た。

 玄関に短パンのジーンズに大きめのスタジアムジャンパーを着た女の子がいて、俺にちょこんと頭を下げた。キャップを目深にかぶっているけど、ファンが見たら輝沢りりんだとわかってしまうだろう。

「あのとき、お礼も言えなかったから……迷惑かけて、ごめんなさい」

「あ、いや。そんな……あの、あと……大丈夫、だったの?」

「次の日の収録、ちゃんと出ましたよ。そのあとずっと引きこもってましたけど……」

 りりんが弱々しく微笑んだ。いつまでも玄関に立たせておくわけにも行かないので、りりんも工房に入ってもらった。

「えーと、仕事の……」

 りりんに、エリカのことをどう説明したらいいのか迷った。

「ダンジョンのことで、お世話になってる御崎エリカさん。この人、さっき言った。ダンジョンで会った、輝沢りりんさん」

 エリカが、りりんの顔をマジ見していた。

「輝沢りりんって……元、楡坂46の?」

「はい、よろしくお願いいたします」

 りりんがキャップを取って、ぺこんと頭を下げた。

「そんな……なんで、ダンジョンに?」

 全部話すと長いしややこしいので、重要なところだけエリカに説明した。途中で佳子が紅茶を持って来て、輝沢りりんだと気がついたのか固まってしまった。

「そんな大事なこと、何で早く言わないのよ!」

「話す前に輝沢さんが来たんだ」

「本当に。13西には、何もなかったの?」

「棚はあった。でも、全部何も入っていなかった……見えた範囲では」

「でも、そこに人はいたんだ?」

「4人と、たぶんゴブリン一匹」

「ふーん……」

 エリカは難しい顔で何か考え込んで、それから気がついたように言った。

「あっ、そっちの話し……遠慮しなくて良いから。それとも私、外した方がいい?」

「いや。大丈夫だから……」

「あの……」

 りりんが遠慮がちに言った。

「あっ、いけない……」

 リュックをごそごそ探って、何かを取り出して俺に渡した。

「すみません……おみやげ、こんなで……」

 『高尾山天狗焼き』と、箱絵にカラス天狗の顔が印刷してある。彼女の実家は高尾山口のそば屋だと言っていた。

「あの……空吹さんにお礼言いたかったのと、お願いがあって来たんです」

 りりんに見つめられて、俺は胸がちょっとが苦しくなった。

「……なに?」

「あそこで撮影した動画……スタッフさんにケガまでさせちゃって、どうしたら良いのかすごく悩んだんですけど。やっぱり公開しようって思うんです」

「それは、そうだね……あんな苦労して、お金もかかってるだろうし……」

「ダンジョン入るなんて危ないこと、よく事務所が許可出したわね」

 エリカが口を挟んだ。確かに、アイドルがやるにしては無茶すぎる企画だ。ヘタすれば本当に死んだかも知れない。

「あっ……あたし、楡坂を卒業したときに事務所も離れたんです。なのでいま、どこにも所属しないで活動してるんです」

「うえっ? ってことは、マネージャーも付き人もなし?」

 エリカがちょっと体をのけ反らせて言った。

「はい。お金のことだけは会計事務所さんにお願いしてますけど」

「いい度胸してるわねー。その勢いでダンジョン飛び込んだのね」

「あ……それで。お願いなんですけど」

 りりんが、思い出したように俺に顔を向けた。

「エリア13で起こったこと、なるべく隠さないで公開したいんです。なので、空吹さんがかなり映ってしまうんです。その許可をお願いしたくて……」

「え? あそこの……あれ、全部?」

「はい。私が攫われそうになって、空吹さんが助けてくれるところ。ちょっと遠いですけど、映ってました」

 りりんは小さなリュックからタブレットを取り出して、動画を再生した。

『こんにちわー! りりん、ザ、チャレーンジ! 略してチャ、りーんジ! なんと今日は、ダンジョンでーす!』

 画面の下に時間カウンターが入っているので、まだ編集途中のだろう。大げさなアクションでりりんが西3丁目公園ダンジョンの入口を指す。このときはもう、俺たちは中に入っていたはずだ。

「最初は私がキャーキャー言ってるだけなんで……」

 りりんが動画を早送りした。

『いよいよ……13の西って、ここで一番危険だって言われるエリアに入ります。ここでは、ダンジョンでしか手に入らない『スキル』って言う特殊能力が……何ていうか、身につくそうです』

 画面はダンジョンのマップになって、13西の入口でりりんのデフォルメキャラクターがガクブルしている。

『もしこれで死んだら。世界でただ一人、ダンジョンで死んだ馬鹿なアイドルって名前が残るかも知れませんねー!』

 そう言ってりりんが一人でズカズカ歩き出す。エリカが両手で口を覆ってそれを見ていた。今見ても狂気の沙汰だ。

 そして大立ち回りが始まる、緑のヤツが襲ってきて画面がメチャクチャに揺れて手前で乱闘。その向こうでりりんを引きずって行くヤツを俺が走って追う。棚の陰になって、最後のヤツを追い詰めるところは見えなかった。

 ぐったりしたりりんを俺が肩に担いで戻ってきて、りりんが救急車に乗せられるところで『スタッフはじめ、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。本当にごめんなさい。恐かったけどケガはしていません りりん』とテロップが出て終わった。

「これ……本当に、こんな、だったの?」

 エリカが擦れた声で言った。

「うん。ぜんぶ……映ってたとおり」

「こんなの。公開しちゃって、いいの? 輝沢さん」

 エリカに先に言われてしまった。これはヘタをすればタレント人生に傷がつく。

「いいんです。どうせそんなに長くタレント続ける気はありませんから」

 そう言い切ったりりんに、俺もエリカも返す言葉がなかった。りりんは可愛いけど、やっぱり普通の女の子じゃない。

「どうするの? ケイタ」

 エリカが聞いた。でも俺には判断できない。

「輝沢さんが、どうしても公開したいなら。いいと思う」

 そう言うと、エリカがため息をつきながら言う。

「まあ炎上ネタってわけじゃないけど……でも無茶すぎるって責められるかも知れないけどね……それより、ヤラセだって言われるかも知れないね。相手が、あいつらが変すぎた」

「モンスター……が、ですか?」

 りりんが聞いたので、俺は頷いた。

「モンスターって言うか……」

「ねえ、輝沢さん」

 エリカが俺の言葉を遮って言う。

「その動画、公開するのちょっと待ってもらえる? あたしもケイタも13西に用事があって、先にそっちの動画が公開されるとちょっと困るの。あまり待たせないから」

「え?」

 タブレットをリュックにしまい込もうとしていたりりんが手を止めた。

「何を……するんですか?」

「俺は荷物を積んだカートを置いてきたから取りに行く。エリカの用事は何だかわからない」

 りりんが一瞬エリカに視線を向けて、すぐ俺に向けてきた。

「だったら、私も……一緒に行っていいですか?」

「はあ?」

 エリカが変な声を出した。

「ちょっと……あんな目に遭って。また、行く?」

「スキル。手に入ったか、試したいんです」

 やっぱり、りりんは普通じゃない。ダメだと言ってもこっそりついてきそうな気がする。

「だったらひとつ……約束しろ。それなら連れて行ってやる」

 俺はつい、格好付けの無愛想な声が出てしまった。

「……なんですか?」

 りりんが怯えたような声で言う。

「ダンジョンの中でやたらに悲鳴上げるな。音もなく行動するのが基本なんだ」

「了解ですっ!」

 りりんが右手を挙げてちょこんと敬礼のポーズを取った。でもその横では、エリカが頭を抱えていた。