第2話

応接室を出るとお姉様が居た。

「リリー、縁談が決まったそうね、おめでとう。」

私は下を向き、お姉様とは目を合わせないようにする。

「ありがとうございます。」

小さな声でそう答えるとお姉様は声高らかに言う。

「グリンデルバルド家ですってね、すごい家門だわ。」

そして私の耳元に近付いて囁くように言う。

「グリンデルバルド家のご当主様ってブクブク太った中年だって噂よ?ご病気を患っていらっしゃるとかで余命幾ばくも無いから、本来なら聖女の私が行かなくてはいけないけれど、私はモーリス家の宝ですもの、そんな醜いと噂の方へはやれないってお父様が。」

お姉様は鼻で笑うと言う。

「貴方には可哀想だから私のお下がりをあげるわ。せいぜい破談にならないようになさいな。」


妹の縁談が決まった。やっと胸のつかえが取れる。これで私の力を脅かす者は居なくなる。グリンデルバルド家と言えば家門は立派だけれど、当主はひ弱で、しかも見るに堪えない姿だともっぱらの噂だ。忌み子で嫌われ者のリリーにはピッタリじゃない。心なしか体が軽い気がする。


用意も何も、私には持ち物など何も無い。最低限の物は持たせてやるとお父様は言った。それも私個人の物では無いけれど。一応体裁は整えておきたいのだろう。敷地内から出る事を禁じられ、この小屋と屋敷の往復しかした事が無い私に務まるだろうか。


出立の日。私一人で送り出されるものと思っていたけれど、キトリーが一緒に来る事になっていた。グリンデルバルド家の馬車が既に到着し、荷馬車に荷物を積んでいる。今日だけはお姉様のお下がりのドレスを与えられた。青い飾り気の無いドレス。それでも私にとっては高価なものだ。

「お荷物はこれだけですか?」

グリンデルバルド家の従者の方が言う。私は曖昧に微笑む。キトリーが言う。

「そうです、これだけです。」

従者の方が苦笑いする。荷馬車の半分も荷物が乗っていない。馬車は立派なものだった。青と茶色のコントラストがとても重厚で素敵だった。

「では参りましょうか、お嬢様。」

キトリーが微笑む。馬車に乗り込み、お屋敷を後にする。振り返っても誰も見送りには出ていない。もうここへは戻らないだろうと、何となくそう思った。


ガタゴトと馬車が揺れる。生まれて初めて馬車に乗った。思っていた以上に揺れるのだなと思う。

「お嬢様、お辛くなったら仰ってください。」

キトリーが微笑む。屋敷の外に出たのが初めてで、私は移り変わる景色を眺めていた。見るもの全てが想像を超えている。キトリーがそんな私を見てクスクス笑う。

「そんなに目移りしていては、お熱を出されますよ。」

私は恥ずかしくて俯く。

「そうね、控えるわ。」

そして聞こうと思っていた事を聞く。

「キトリー、何故私に付いて来たの?」

キトリーは微笑んで言う。

「私はずっとお嬢様にお仕えしたかったのです。私がモーリス家に来た時の事を覚えておいでですか?」

キトリーが来た時…。

「確か、私が十歳の時ね。」

キトリーは優しく微笑んで頷く。

「そうです、その時から私はリリー様に仕えるつもりでした。」

キトリーは窓の外に目を向ける。

「私の出身はどこかご存じですか?」

キトリーの出身…聞いた事も無い話だ。

「いいえ、知らないけれど。」

言うとキトリーは座席から下りて私の膝元に跪いて私の手を取る。

「私は東部出身です。グリンデルバルド家から派遣されて来ております。」

グリンデルバルト家?これから向かう筈の…?訳が分からない私は混乱する。

「モーリス家の方々は私の出身などご存じありません。身元の保証は王家から出されております故、身辺調査もされませんでした。」

身元の保証を王家が…?

「お嬢様、これからお話する事を良く聞いてください。」

私は混乱しながらもキトリーに言う。

「分かったから、席に座って。」

キトリーは私の手を握ったまま、私の横に座る。

「グリンデルバルト家が東部を治めている事はお嬢様もご承知ですね。グリンデルバルト家は王家との繋がりがあるお家でございます。今は国王陛下の従兄弟にあたる方が治めている事になっていますが、実情は少し違います。」

キトリーの手は温かい。

「東部は温暖な気候故、療養地として知られております。そして現在、その療養地にて療養されておりますのが、王家の方にございます。」

これから行くグリンデルバルト家の治める土地に王家の方が療養している…。

「そのお方は高貴な身分故、身分を隠されておいでです。どなたがいらっしゃるのかは、お嬢様ご自身の目でお確かめになった方が宜しいでしょう。」

つまり、グリンデルバルト家の治める土地に王家の方がいらっしゃって、失礼の無いようにしろ、という事…。キトリーは慈愛に満ちた眼差しで私を見る。

「私はモーリス家に来てからというもの、ずっとお嬢様を見て参りました。お嬢様は過酷な環境に身を置かれて、生きているだけでも奇跡でございます。貴方のようなお方に付き従って、グリンデルバルト家に戻れるのをキトリーは誇りに思っております。」


出立まで三日と行ったのは、移動に三日かかるからなのだと知る。移動最終日、グリンデルバルト領に入ると、キトリーが御者に言う。

「街で停めてください。」


街で馬車を停めて、キトリーに連れられ、一軒のお店に入る。物知らずな私でさえ、そこが何のお店なのか分かる。服飾店だ。

「今のお洋服はお嬢様には似つかわしくありません。お洋服はこちらで用意させて頂いておりますので、お召替えください。」

そういわれてあっという間に着替えを終える。深い緑に金糸の刺繍が美しいドレス。その場でキトリーに髪を結われ、髪飾りをつけられる。ドレスと揃いの緑の靴。鏡に映る私は別人のようだった。


グリンデルバルト家に到着する。出迎えてくれたのは初老の男性。領主様かしら、と思っているとその方が言う。

「グリンデルバルト家にようこそいらっしゃいました。私は執事のセバスチャンと申します。」

白髪頭に白髭を蓄えた切れ者、という印象。なのに笑みは優しい。

「グリンデルバルト家当主様がお待ちでございます。」


通された部屋。その部屋のベッドにその人は居た。部屋に入るとその人はベッドから出て来る。

「すまないね、このような状態で。」

目の前に現れたのは見目麗しい青年。こちらへ歩いて近付いて来る時にゴホゴホと咳き込む。ご病気でいらっしゃるのは噂通りだけれど、それ以外は噂とはかけ離れていた。この方が?あの醜悪と噂されているグリンデルバルト家の領主様?金色の髪色、キラキラと存在感のある金色の瞳。きっと健康ならばもっとその存在感が際立ったのだろうと思う。辛そうな状態なのを見て思わず駆け寄る。

「大丈夫ですか?」

そう言ってその方を支える。色白で今にも消えてしまいそうな程だ。その方を支えてソファーに座る。背中をさすっていると、無意識に私の手から❝光❞が漏れ出し、その方の背中に光が溶け込んで行く。

「あぁ、すごいな、楽になった。」

その方はそう言うと私を見る。

「紹介が遅れてしまったね、私はグリンデルバルト領を治める、当主フィリップだ。」

ご当主様…。ハッとして私は手を離し言う。

「すみません、私の方こそ、突然このような事…」

フィリップ様は私の手を取ると言う。

「君さえ嫌でなければ、こうしておいて貰えると助かる。」

細くてしなやかな手、優しい手。

「名前を教えてくれないか。」

言われて私はまた慌てる。顔が熱い。

「あ、あの、リリアンナと申します…」

フィリップ様は微笑むと入口に立っているキトリーに言う。

「キトリー、長い間、ご苦労だった。」

キトリーは深くお辞儀をし言う。

「勿体ないお言葉にございます、殿下。」

セバスチャンも目を細めている。…殿下?今、キトリーは殿下と言ったの?フィリップ様を見る。フィリップ様は微笑んで言う。

「私はグリンデルバルト領を治めてはいるが、これでも王太子なんだよ。」

目の前のフィリップ様のお顔が霞む。