27話 夏の終わり

「ねえ健斗、今週末河川敷で花火大会あるでしょ?」


「ああ、そうでしたね。もうそんな時期なんですね」


納涼花火大会は、お盆を過ぎた頃に毎年行われる、この街の一大イベントだ。

花火の規模はそんなに大きくはないが、屋台を見て回るだけでも楽しいし、面白いジンクスもある。


「一緒に行きますか?」


俺が誘うと、叶さんは「いいの?」と驚いた顔をした。


実は、この祭りに参加したカップルは近いうちに結婚すると、まことしやかに言い伝えられているのだ。

確かうちの両親も祭りがきっかけで縁を結んだと聞いたことがある。


「じゃあ、湯井沢くんも誘おうよ。だってフェアじゃないもん」


妙なところで真面目だな?


「じゃあ誘ってみますね」


「うん、僕浴衣着よっと。でも湯井沢くんは一緒に連れてってあげる代わりに浴衣は着ちゃダメって言っといて」


「はいはい、分かりました」


何とも可愛いらしい意地悪に笑いが漏れる。


やる気を取り戻した俺は後十件だけと決めて再び電話を手に取った。







そうやって忙しくしているうちに、あっという間に花火大会の当日になった。


叶さんの家に集合と決めたので俺と湯井沢は駅前のロータリで待ち合わせる。


陽は沈みかけているがまだ気温は高く、俺はバス停横のミストシャワーの下でぼんやりと人いきれを見ていた。

くだんのレンタルスペースの件は電話ではまるで進展がないので、そろそろ実際の訪問に切り替えないといけないかもしれない。


それに叶さんの自宅最寄りで探しているが、例えば知り合いの家の近くとか、よく行く思い出の場所とか、こことはかけ離れた所にある倉庫だったとしたらもうお手上げだ。


萎えるとはこの事だろう。

俺は降り注ぐミストシャワーの霧と一体化して下水道に流れていきそうな気持ちになった。



「健斗!」


「おー湯井沢、おそかった……」


視線を上げると湯井沢が立っている。

けれどそれはいつも見ている彼ではなかった。



「なんだよ、変か?」


「いや、変じゃない」


変じゃない。むしろ……



湯井沢は叶の言葉をしっかりと無視して浴衣を着ていた。


白地に紺のモダンな不揃い七宝柄で、合わせた紺の帯がいいアクセントだ。

その帯には小さな鈴が付いていて、動くたびにシャランと小さく涼やかな音を立てている。


「なんだよ。黙るなよ、変なら変って言え」


少し拗ねながらはにかむその仕草も和服によく似合っていて、俺はその姿から目が離せなかった。


「よく似合ってる」


俺はそれだけ言うのが精一杯で、赤くなった顔を見られる前に湯井沢に背を向けて歩きだした。






「浴衣は着てこないでって言ったのに」


叶は湯井沢を見るなり眉間に皺を寄せた。


「そうでしたっけ?」


しれっと、とぼけてそっぽを向く湯井沢。

こいつ……わざとだ。


「健斗!ちゃんと伝えた?」


「え?あ、はい。えーっと……」


確かに伝えたが、そうなると更に湯井沢が責められる事になる。じゃあ俺が伝え忘れたことにすれば……


そんな俺の顔を見て叶がむっと口を尖らせる。


「今、湯井沢くんを庇うために自分が伝え忘れたって言おうとしたでしょ」


「あうう」


お見通しだった。


「すごく似合ってるよね。こうなるのが分かってたから着て来ないでって言ったのに。……まあ、いいや!とりあえず入って」


「お邪魔します」



あれ?お祭りに行くんじゃないのかな?

そう思いながらいつものようにリビングに足を踏み入れると、テーブルには既にたくさんの料理が並んでいる。


「すご……」


湯井沢も目を丸くしている。


「これ作ったんですか?」


「そうだよ。僕も浴衣に着替えてくるからちょっとだけ待っててね」


そう言うと叶はリビングの奥の和室に消えてしまった。


それにしてもこの量はすごい。

そしてメニューが……


「屋台だね」


「ああ」


お好み焼きにたこ焼き、フランクフルトもあれば、りんご飴やイチゴ飴まで並んでいる。


普段の食卓ではありえないラインナップだ。


軽く食べて来たはずなのにジャンキーな匂いにつられて、喉がなった。

耐えきれずこっそりつまみ喰いしようとしたところで、浴衣に着替えた叶が戻って来た。



「ふふっどう?」


得意そうにくるりと一周まわって見せる。


「まあ、どうって言ったって若い湯井沢くんの可愛さには敵わないんだけどね」


叶はそう言うが、湯井沢とは系統が別物の美しい装いに、思わず二人して感嘆の声を上げる。


「それ女性ものですよね?」


「そう。知り合いの和服屋さんに男性ものに形を変えてあつらえて貰った。機会がなくて結局一度も着なかったんだけどね」


身八つ口は塞がれ、おはしょりも無いけれど、襟のくりこしはちゃんと残されていて、それがまた、叶の細い首によく似合っている。

それに柄は極限まで濃くしたオレンジに落ち着いた茶色の濃淡がある大ぶりの花。

それに合わせたかんざしが結われた髪によく似合い、まるで一つの作品のように完成されていた。


「すごく綺麗です!すごく似合ってる!」


興奮気味に湯井沢が賞賛すると「ほんとに?」と、叶も満更ではない顔で笑った。


「じゃあ夏祭りを始めよう!」


「……行こうじゃなくて?」


「そう!この料理を裏庭に運んでください!」


「裏庭???」


訳がわからないが、それでも叶に促されるまま大きなトレーに料理を載せて、俺たちは後をついてゆく。


「健斗、裏庭って?」


「さあ」


毎日のようにここに来ているのに裏庭の話なんて聞いたことがない。


叶はアトリエを通り越して短い廊下をどんどん進んでいく。

そして年季の入った木の雨戸をカラカラと開けた。


その瞬間



ヒューという登り笛の音に導かれた光の球がパン!と一気に弾けた。

それは大輪の花となり、大量の小花と共に煌めきながら夜空を彩る。


まるで間近で見ているかのような迫力と美しさに俺たちは思わず息を呑んだ。



「すごい」


河川敷からそれほど近くもない平屋の家の庭でこんなにも綺麗な花火が見られるなんて奇跡だ。


「ここすごい穴場ですね」


湯井沢がうっとりと空を見上げる。


「人混みの中で見るよりずっといいでしょ?それに屋台ご飯美味しいよ?」


いつのまにか先に縁側に座って料理を食べ始めていた叶が、ニヤと笑う。


それを見て空腹を思い出した俺たちは、空を飾る花火を見ながら目と口の両方でご馳走を味わった。



夢のような時間はあっという間に過ぎて、庭では交代とばかりに秋の虫が騒ぎ出す。


庭で育てていると言ったハーブは裏庭でも猛威を振るってるようで爽やかなミントの香りが気持ちを落ち着かせた。


「こんな夏祭り初めてです。ありがとうございます」


湯井沢がりんご飴のりんごをしゃりしゃり言わせながらお礼を言う。

叶は、いいよと言いながら湯井沢の伸びた髪を編み込もうと必死だ。



ああ平和だな。


こんな毎日がずっと続けばいいのに。