切りたての 前髪に
すべりこむ 言葉が
右耳で 眠ってた
季節を 揺り起こすよ
舗道でひとり
迷子の日々は
時の彼方へ
もいちど言って
君が好きだよ
花一杯に
君が好きだよと
駆け抜けた 風のあと
砕けてく ショーウィンドー
降りそそぐ 舞い踊る
ガラスの 花びらたち
プリズムの夢
消えないように
まぶたを閉じて
もいちど言って
君を待ってる
両手一杯に
君を待ってると
もいちど言って
君が好きだよ
花一杯に
君が好きだよと
赤いれんげ草
黄色い菜の花
青いすみれ草
桃色のスウィトピー
☆遊佐未森『瞳水晶』より☆
花一杯君を待つ
プロローグ☆明暗・アルフレッド
レンズに彼の蒼い瞳が拡大されて写しだされる。その中央に黒いひとみがあった。それをまばたきが瞬時に見え隠れさせる。
どうやら機械の調子は良いようだ。
彼が器具の準備をしていた時、コンパートメント(個室)のドアが開き、地球からずっと彼と同室をあてがわれていたウィル・バートンが姿を現した。
「何をしているんだ?」
彼から見て、ウィルの顔は陰になっていてその表情が見えなかったが、おそらく見えたとしても無表情だっただろう。その質問する声には、いくぶんとげがあるようだった。
「ああ、ウィル。眼底検査の器具を用意しているところだ」
「眼底検査?なんでそんなものが必要なんだ?」
ウィルはかなりいぶかしんでいるようだった。
彼の手元で、たった今用意が整った。手っ取り早く一番近くにいるウィルから検査に協力してもらおうと彼が思っていたら、ウィルは強引に彼をコンパートメントからひっぱりだした。
「いったい何なんだい?」
「部屋に戻る途中で船長から緊急コールがかかった。隕石の一種がぶつかって、船外に小さな穴があいたらしい。放っとくと後々航行に影響の出る大きさだそうだ。俺たちの区画が一番近いから修理を要請された」
「それは大変だ。じゃあ眼底検査は後回しだな」
彼がそう言うと、
「そうだな」
ウィルは感情を殺した声で返答した。
船外活動をする基本理念で、二人以上の人間が必ず組になって互いをサポートしなけれ
ばならない、というのがあった。
ここにくるまでみてきたウィルはいいやつだと思う。その点では彼には不安はなかった。
「応急処置の用具はどこだい?」
気密服に着替えながら、彼は尋ねた。
「用具?…ああ、すぐ俺が後からもって出るから先に問題の箇所を見てきてくれないか?」
ウィルはやけにもたもたと気密服を着るのに手間取っていた。
彼はしかたなく、先にエアロックに入り、命綱一本を頼りに船外へ出た。
この宇宙船の目的地であるリゲル恒星系が、わずかだが確実に近づいてきている。その証
拠に、リゲルの青白い光がまぶしかった。
彼は勇気がある方だが、さすがに虚空を泳ぐのには不安があり、恐々船の外壁をつたって移動して行った。
ほどなくたどり着き、ウィルの話どおりならば、そこに直径二㎝の穴があるはずだったが、穴どころか小さな傷一つついていなかった。
これは…どういうことだ?
彼は眉根を寄せ、そして何かの予感に突き動かされるように大慌てで船内へ戻ろうともが
いた。
気密服内の通信機が機能していない。
命綱をたぐりよせると、その野太い、決して切れそうにないと思われるファイバーの幾重
にも通った綱の先が、ぷつりと切れているのを見るはめになった。
「…ウィル、ウィル。お前が地球から密航した殺人アンドロイドだったのか」
彼はなぜ自分が先にウィルの眼底検査をせずに相手を信用してしまったのか、と悔やんだ。
実は船長から極秘でアンドロイドを見分けて欲しいと頼まれていたのだが、彼は、よりにもよって、そのアンドロイドに一杯食わされてしまったのだ。
眼底検査をすれば、普通の人間なら見えるはずの毛細血管が、アンドロイドの場合には見
られないのですぐにわかる。そのことはアンドロイド本人が一番よく知っている事実だっ
た。
ウィルは自分の秘密を暴かれる前に先手を打ったのだ。
彼が宇宙船のコクピットの方まで船体をつたって行き、誰かに知らせるしかない、と思
ったとき、宇宙船は予定外の航行速度を出した。
無音の衝撃。
くるくると回転しながら船体から離れていく!
彼は虚空にただ一人取り残されてしまった。
それから。
ずいぶん長い時間、彼は漂っていた。
辺りには全く何もない。
真空のただ中に気密服姿でたった一人放り出されて、そのうち上下左右の感覚さえも麻痺しかけていた。
遠くに無数の星の瞬きが見えたが、どれも遠すぎて手が届かなかった。
ただ一つ、強烈な光を放つ恒星リゲルを彼は幾度も見た。
「俺の目的地はあそこだ。誰が何の権利があって俺をこんな目に合わすんだ。ウィル!次に会った時を覚えていろよ。次…?俺はまたお前に会うのか?…会えるのか?」
長い沈黙。答えは出ない。
「リゲル。リゲルよ。俺はお前の光の下で俺の夢をかなえるためにここまで来たんだ。生まれ故郷の星を捨ててまで。それなのに、俺の旅はここで終わりなのか?」
長い沈黙。やはり答えは出ない。
いろんな思いが駆け巡り、そして消えていった。
時間が経つにつれ、やがて彼の意識は遠のいてゆき、だんだんと、もうどうでもかまわ
ないとさえ思い始めていった…。
☆
そこは一面の麦畑。金色の風が渡ってゆく。
暖かい空気に包まれて、見上げる青空は雲一つなく冴えわたっていた。
いつからか彼は一人でそこに立っていた。
「俺は何をしていたんだっけな」
そして何をするつもりだったのだろう、と思っていた時、ふと何かの気配を感じた。
ちりちりちりん。
鈴の音だろうか?どこからかかすかに聞こえてきた。彼が辺りを見まわすと、いつのまに
か風がやんだ。
空を振り仰いで、どきり、とする。何かがここへ降りて来る。
それは人の形をしていた。
それは重力を感じさせず、ふわりと宙に浮かんでいた。
身にまとった赤い衣は、ちろちろと炎が燃えているかのように見えた。
左手に一本の錫杖を持っていて、鈴の音だと思ったのは、錫杖についた無数の金属の輪が
鳴る音だった。
その人物が彼の前に降り立つと、刹那、周囲の時間が止まった。草の葉一つ微動だにしな
い。
彼はほおがちりちりとするのを感じて、緊張した。
「男?女?…子ども?…老人?」
その人物はいわば全ての中庸を集結したような人物だった。年齢も性別も超越した独特の
雰囲気を漂わせている。
「あなたは先へ進む意思がありますか?」
「ああ、もちろんだ」
何か大事な事が記憶の縁でひっかかっているもどかしさがあった。
「そう。あなたは行かねばならない。先へ」
ふっ、とその人物は微笑んだ。
「先へ進むその代償にあなたは何をくれますか?」
「えっ?」
「願いを一つかなえる代わりにあなたの大切なものを一つ預かります」
「等価交換、ってわけか…」
「まぁ、そういう言い方もできますね」
今度は底冷えのするような冷酷な光をたたえた瞳で彼を見下ろす。
「少々の犠牲はいつでもつきまといます。それでも、いつかは癒される。その時、あなたは自分が『何者』であるかを同時に知ることでしょう」
「言っていることが難しすぎてわかんないんだが」
彼は苦笑した。
その人物はまっすぐに彼の目を見据えた。
その時になって初めて、その人物の瞳の虹彩が七色にきらめくのが見えた。
赤・橙・黄・緑・青・藍・紫…。
中央の黒いひとみを虹の七色が縁取っていた。
こんなこと、ありえないのにな…。
彼は軽いめまいを感じた。
目前の人物のひとみの中にいつのまにか、また別の世界・宇宙が広がっていて、彼を容赦
なく吸い込んでいったー。
☆
目を開けると、まぶしさに目がくらんだ。
「ドクター。意識が戻りました」
かたわらで聞き慣れない女性の声がした。
やっとのことで薄く目を開くと、かろうじてベッドに横になった彼の周囲を複数の人物が
囲んでいることがわかった。
消毒薬の独特の匂い。
向こうでてきぱきと器具を扱う手の甲に医療用のアンドロイドに義務づけられたロットナ
ンバーが見て取れた。
「ここは病院なのか…」
彼が息をつくようにつぶやくと、担当医が彼のそばに来た。
「意識ははっきりしていますか?…あなたは宇宙空間を一人で漂っていた時に偶然通りかかった貨物宇宙艇に発見されて保護されたのですよ。ここに収容された時には恐らくもう意識は戻らないものだと思っていましたが…。これは奇跡とでもいうのでしょうな」
ああそうか、と彼はぼんやり思った。
どこからどこまでが夢で、どこまでが現実なのだろうか?
しばしの混乱。
そう。宇宙空間で味わったあの絶望こそが現実で、あの暖かい麦畑のやすらぎは夢だった
のだ。夢にしてはリアルで鮮明すぎたが。
「!」
その時、とある違和感が彼を襲った。
「色が…」
「え?」
「色がわからない。世界がまるで光と影だけでできているように思える」
周囲の人達は顔を見合わせた。
「あんな事になって、全く後遺症がない、というほうが無理なのかもしれないが…」
担当医は眉根を寄せてしかめつらしく言った。
「非常にめずらしいケースですが、あなたの場合、なんらかの原因で色覚異常になったようですな。もちろん何かのきっかけで治ることもありえますから、あまり落胆されないことだ…」
医者の説明によると、人間の視神経には光の明暗だけを見分ける
と、色彩を区別する錐体という器官があり、彼の場合、後者の機能が働かなくなったとい
うことだった。いわゆる色盲の状態だという。
彼は、ある意味、記憶障害よりもたちが悪いことになったな、と思った。彼の周囲のもの
全てが色彩を欠き、光の明暗だけがその世界を構築していた。
「とりあえず意識があることをよしとしましょう。…こちらのIDカードの写真はあなた
で間違いないですね?」
地球発行の彼のIDカードを見せられた。唯一肌身離さず持っていたものだ。それは身分
証明にもなり、病院の費用を賄えるだけの費用さえも捻出してくれた。
『Alfred・E・V・L』それが彼の名前だった。
退屈な入院期間を経て、体力が回復すると、アルフレッドは退院して、次の身の振り方を考えなければならない段階にさしかかった。
「せっかくリゲル恒星系の宇宙コロニーに来たんですもの、街をみてきたらいかがですか
?」
親しくなった看護士の一人がそう勧めてくれたので、アルフレッドは病院の外に出てみることにした。
巨大な円筒状のコロニーは回転することによって遠心力で人工重力を造りだしている。
用途によってそれぞれいくつかの階層に分かれていて、人々が暮らす街は一番中心部に存
在していた。
行き交う人々はアルフレッドに無関心で、彼は孤独を感じずにはいられなかった。
無理もない。知り合いも身寄りも全て今は遠く離れた太陽系に残してきたのだ。
アルフレッドがわざわざそんな大切なものを捨ててまで地球を飛び出したのには、いくつ
かの深刻な理由があるのだが…(その最たる理由として、太陽系で彼が有名になりすぎたことが挙げられる。)
彼は、誰も彼のことを知らないリゲル恒星系という新天地で新しい生き方をするつもりだ
った。再出発は華々しく飾るつもりであった。
でも実際にここへたどり着いてみると狂おしいほどの孤独が彼を待ちうけていた。
それに、希望にもえていた矢先にあんな目に遭って色覚まで失ってしまった。
さんざん悩んだ末、アルフレッドは前向きに、何か仕事を捜そう、と思った。
ちゃんとした収入源を持ち、生活の基盤を確立すれば、この世界でもきっとやっていける
だろう、と考えたのだ。
しかし、彼には気がかりな事があった。特に、あの殺人アンドロイドのウィルのことだ。いつまた彼の前に姿を現すかわからない。
安全に身を隠しておける仕事はないものか?
アルフレッドは手探り状態でコロニー内の情報を仕入れた。街角のコンピュータの端末で
街の案内地図を呼び出し、コロニー内の自治を行っている中央管理局の存在にたどりつい
た。
場所を調べ、足を運んでみると、果たしてそこでは地球発行のIDカードが通用しなかっ
た。
そこで、新しくコロニーのIDカードを造る手続きをした。
身長、体重、目と毛髪の色、指紋、掌紋、血液型、DNA情報、そして最後に網膜パターンの登録を終えると、新しいIDカードができあがった。
プラスチックでコーティングされたカードは、方向を変えてみるとまじめくさった顔つきの彼の写真がホログラム状に浮き出た。
次に、管理局内の職業斡旋所でコンピュータによる職業適性検査を受けた。たいして待た
されずにいくつかの仕事を記載した用紙を受け取った。
「こいつにしよう」
用紙をぱしん、と叩いて言った。
彼が選んだ仕事。それは、小人数でチームを組んで宇宙船に乗り、第三惑星の調査に向か
う、というものだった。
即断即決で仕事の申請をすると、詳細を後で知らせてもらえるのを知り、安心して中央管
理局を後にした。
目的が定まると、自然と気分が落ち着いた。
アルフレッドは街に着替えや身の回りの品物を買い揃えに行った。
もう、孤独感など忘れてしまっていた。ただ新しく始める事で頭が一杯になったのだ。
アルフレッドは、とある店先で足を止めると、そこで売られていたサングラスを手に取った。
それをかけることで色覚異常になっていることを少しでも忘れることができそうな気がし
た。
彼は手頃なサングラスを一つ買い求めると、それ以後常にかけておくようになった。
☆
第三惑星調査のチーム乗組員は全部で七人だった。
アルフレッドの予想を裏切り、船長はうら若い女性だった。だが、男ばかりの乗組員相手
に少しも物怖じすることなく、頼り甲斐があった。彼女は自己紹介の時も威厳を見せなが
ら挨拶すると、『ファナ・ウィーナ・グリンヒル』と名乗った。
「紅一点はすごぶる美人だよな」
くうー、と力をこめて『ヒロキ・ホシノ』が言った。彼は主に宇宙船の機関部で整備ロボ
ットとともに仕事をすることになっていた。
若いのに少し昔かたぎな所があって、「機械は人間が扱うもので、機械に人間が扱われる
ものじゃない」と口ぐせのように言っていた。
ヒロキは実際に航行が始まってからは常に機械や整備ロボットの状態をチェックして、細かな異変も見逃さなかった。
それは宇宙船が最良の状態で航行するためには欠かせないことでもあった。
アルフレッドは第三惑星の地質や大気組成の調査を担当する予定だったが、航行中はヒロ
キの補佐で船内の簡単なメンテナンスを担当した。
アルフレッドとヒロキは不思議と気が合った。
コロニー育ちのせいかはたまた他の要素があったのか、一人群を抜いて背の高い男がい
た。
聞くと彼は宇宙物理考古学者ということで、皆は『ジラフ(きりんのこと)』とか『学者
先生』とかいうあだ名で呼んでいたが、見た目が鋭い銀縁眼鏡をかけた神経質そうな感じ
なので、本人の前では『ジラルド・フィリップ・ロッシーニ』という名前のファーストネ
ーム『ジラルド』で通っていた。
その道で有名な星間貿易商の『クロス・サンドル』という男は、口が達者で抜け目なく、
どこか損得勘定で動くところがあった。表面上は誰にでも愛想が良いのだが、内心何を考
えているのかわからないところがあった。
そのクロスと、貨物の整備や雑用を担当している『ホーシロー・トマス』はいつもつるん
でいた。ホーシローは無口で無愛想な男だったが、クロスとだけは気が合うらしく、自由
時間はよく二人でカードをやっている光景が見られた。
そして七人目は、年かさの医者で、生物学者である『ベラミー・ヴェイン』。彼は確か
に腕はいいのだが、酒びたりで、アル中の一歩手前だった。
さて、問題の第三惑星だが、実は数年前までその存在は確認されていなかった。
未だに第三惑星があるとされている宙域の星図には便宜上、小惑星帯を示す表示のままに
なっている。
「普通、小惑星帯というのは、もともと一個の天体だったものが、隕石の衝突などでばらばらに散ったもののことをさすの。でも、数年前、近辺を通りかかって偶然小惑星帯の奥に一個の天体を発見した船があった。その乗組員の報告によると、大気圏が存在して、しかも太陽系派生型ではない異星人がいた、というのよ」
船長のファナが皆を集めて詳しい説明をした。
「その話、どこまで信用していいのかわからんな」
とクロスが渋面をつくって言った。
「まあね。…だからこそ私たちが派遣されたのよ。本当にあるかどうかわからない未知の惑星の調査のために」
「惑星が無数の小惑星を隠れ蓑にしているのか…。もし嘘の報告に踊らされてるんなら、
俺たちかなり馬鹿をみるな」
とヒロキが笑って言った。
「…小惑星帯を抜けて第三惑星に接近したら、小型探索船で惑星上に降りてみることを提案
したい」
とジラルドが言った。
「小型探索船の操縦に長けているのはヒロキだな。それから、まず大気成分や地質を調べ
て我々が適応できる環境かどうか調査してもらうために、アルフレッド、君も同行してや
って欲しい」
とクロスが言った。
惑星調査の先兵として二人の名があがったわけだが、誰にも異存はなかった。
「俺たち一番乗りか。光栄だな」
とヒロキが嬉しそうに言った。
宇宙船はコロニーを出発してから幾度か途中の開拓中の惑星に寄って、物資や燃料を補
給したり、乗員の気分転換を図ったりした。
アルフレッドたちが計器類のチェックを行っていると、船内にツァラトゥストラが流れ
てきた。常時船内には何かしらの音楽が流れていた。古今東西、太陽系やリゲル恒星系で
ヒットした曲を流しているらしかった。
休憩時間に、
「リクエストしたら何でもかけてくれるのかな?」
とアルフレッドがファナに尋ねた。
「ええ。かなりの曲数の音楽ソフトがあるのよ。クラシックでもロックでも何でもござれ」
「俺、『STORY/WRITER』が聴きたい」
とヒロキがファナに言った。
「俺は…、十年程前に地球ではやった『Light/is/Right』って曲がいいな」
そう言うアルフレッドの横顔を、ヒロキがちょっと何かを思いついたように見た。
「わかったわ。捜しておくわね」
ファナはそう言って微笑んで立ち去った。
「いいよなぁ、彼女。…ところでさ、アル。『ライト』って言えば、一番に思いつくのは『ライト博士』だぜ。地球にいたアルなら、あのセンセーショナルなニュースを知っているだろう?新しい宇宙船の推進力の理論を唱えて、認められて有名になったのに、消息を絶った、って話」
「いや、よく知らないな」
とアルフレッドは真顔で答えた。
「惜しいよなぁ。その人がいれば、短時間で長距離の移動が可能な新型の宇宙船が実用化された筈なのに」
「そうかい?現在の航行技術も捨てたものじゃないと俺は思うけどな…。それに、強力な
推進力が得られるということは、それだけ慎重な使い方をしなければ大変なことになる。
軍事目的に利用されたらどんなことになるだろう?」
「そんなものかな?」
「そんなものさ」
アルフレッドは実際にはライト博士の事をよく知っていたが、あまりその話題には触れたくないようだった。
やがて宇宙船は問題の宙域にさしかかった。
低速航行で小惑星帯を抜けて、目的の惑星が見える位置に宇宙船は近づいた。
「本当にあった」
とヒロキがつぶやいた。
「なかったらどうするつもりだったんだ?」
アルフレッドはにやにや笑ってヒロキを茶化した。
一同はスクリーンに映る第三惑星にみとれた。
「光の加減で赤や緑や青に見えるな…。光源はどこから来ているんだろう?リゲルの青白い光は周りの小惑星に邪魔されて届いていないだろうに…」
とジラルドが見解を述べた。
「確かに大気が存在するようね。先の報告の信憑性が増したわ。ここからが、私たちの出番よ。でもどんな危険が潜んでいるかわからないわ。慎重にいきましょう」
とファナが全員を見渡して言った。
「俺たちにまかせてくれ。な。アル」
とヒロキがウィンクしてよこした。
宇宙から観察した限りでは、主な大陸が三つみえた。そしてそれらを取り囲む海らしきものも見えた。
アルフレッドとヒロキは船内に五機配備されている小型探索船のうちの一機に乗りこんだ。
「システム異常なし。調査用機材も万端。食糧その他準備よし」
「それじゃ、行ってきます」
船内モニターにヒロキとアルフレッドの二人の姿が映った。他の者は思い思いに見送った。
本船のハッチが開き、二人を乗せた小型探索船は惑星へ向けて投下された。
大気圏突入の際、操縦に忙殺されながらも、
「地上から見たらこの船は赤く燃えてみえるんだろうか?」
という思いが、ちらりとアルフレッドの頭をかすめた。
目を閉じた一瞬、紅蓮の炎が見えたような気がした。それはわずかな時間の幻だった。
その時、本船からの通信で音楽が流れてきた。
それは二人がリクエストしていた曲だった。
ファナの好意に感謝しつつ、二人は任務についた。
「You have.(コントロール)」
「I have.(コントロール)」
「五分後に自動操縦に変更」
「ラジャー」
三つの大陸のうち一番小さな大陸を目指して小型探索船は降下して行った…。
第一章☆赤・暁の少年
それは惑星上の、夜明け前の空だった。
ちりばめられた星々の間を赤い流星が流れた。
誰もがまどろみの中にいたが、ただ一人、渓谷にある秘密の隠れ家で作業をしていた少年
だけが、その流星が近くの森林地帯に落ちたのを目撃した。
この惑星上では、流星はわりと頻繁に起こる現象だ。
しかし、今回の流星は今までのそれとどこか違っていた。大きく、低速で、…そう、何ら
かの意思を持って落下してきたかのようだった。
「明るくなったら墜落現場を見に行ってみよう。…それよりそろそろ家に戻っておかない
と、また姉さんにこの隠れ家のことを勘ぐられちゃうぞ。やばいやばい」
と少年はばたばたと道具を片付けながら思った。
隠れ家の入り口を巧妙に隠してから、少年は朝焼けの中を駆け抜けた。
朝のすがすがしい風とともに、少年は家の扉を開けて部屋にとびこんだ。
「姉さん!起きて」
「う…ん。…おはよう、ア・キラ」
まだ眠い目をこすりつつ、少年の姉のア・イリスが起きあがった。
部屋をしきる若草色の布を風が揺らした。
良い朝だ。
「ちょっと森に行ってきていい?朝食までには戻るからさ」
「森?そこに何の用なの」
「今朝早く流星が落ちたんだよ。見に行かなくちゃ」
「今朝早く、って…あなたまさか昨日の夜あんまり眠ってなくてなにかやってたんじゃ…」
ア・イリスの声は、走り去る弟のア・キラには届かなかった。まったく、止める間もない
とはこういうことだ。
ア・イリスはちょっと不機嫌そうに朝の支度を始めた。
村の共同井戸へ水くみに行き、朝食の支度にとりかかった。
ア姉弟の母親は数年前に病気で他界し、父親は村から少し離れた場所にある町に出稼ぎに
行っている。他に家族はいない。だからア・イリスは二人分の朝食を用意した。
ア・キラはなかなか戻ってこなかった。
ア・イリスは冷めかけた料理を前に一人、ため息をついた。
いつもこうだ。
弟のア・キラは何にでも関心を持つ好奇心旺盛な少年で、いつもア・イリスの心配の種だ
った。
村の掟で何人も空に興味を持ってはいけないと決まっている。流星は不吉なものという通
説がまかり通っていた。
ところが何年も前にア・キラは
「空を飛んでみたい」
と言い出した。
口先だけでなく、実際に鳥をつかまえてきてどうやって飛んでいるのか考えたり、小さな
模型飛行機を造ってとばしたりしていたのだ。
ア・イリスはア・キラにやめさせようと説得を試みたことがあったが、逆に、なぜそう決
めつけるのか問い返されて答えに窮するばかりだった。
当時、村でもずいぶん問題になったものだが、最近は何も問題を起こしていないようだった。
「表向きだけとりつくろうことを覚えたんじゃないかしらあの子。…突拍子もないことを
いつかやらなきゃいいんだけど」
ア・イリスはしみじみ思った。
料理はとうに冷めてしまった。
「流星なんて迷惑な災害でしかないし、そんなに珍しいわけでもないのに。また夢中になって隕石のかけらでも拾っているんだわ」
と、幾度目かのため息をついた。
その時、
「ただいま」
ふいに野太い声がした。それはア・キラではなかった。
ア・イリスは、はじかれたように立ち上がると、久しぶりに帰宅した父親のア・イロニー
を出迎えた。
「おかえりなさい、父さん。どうしたの?突然でびっくりしたわ」
「お前たちと一緒に暮らそうと思ってな」
「じゃあ、村に帰ってきたの?」
「いいやそうじゃない。実はな、お前たちを町につれていこうと思って迎えにきたんだ」
「私たちを町に?…でもこの村には母さんのお墓があるし、思い出もいっぱいあってこの
家からは離れたくないわ」
ア・イリスは戸惑いながら言った。その父親の申し出は唐突すぎたのだ。
「なあに、ここの家はいつでも帰ってこられるようにしておくし。お前は幼い時に町に連れていったら、歌姫館を見て、自分もいつか歌姫になりたい、って言っていたじゃないか。
ちょうど俺は今歌姫館の雑用係の仕事をしているし、そこが今人手不足でな、お前が見習
いをする良いチャンスなんだぞ」
「…。ア・キラは?あの子はこの村から離れたがらないかもしれないわよ」
「そういえば、あいつの姿が見えないが、どこかに出かけているのか?」
「今朝早く、流星が森に落ちたから見に行く、ってとびだして行ったきりよ」
ア・イリスはうんざりした顔で言った。
「すぐに捜してつれてこい。俺は仕事の合間に休みをもらって抜け出してきたんだ。むこうは本当に忙しくてな。お前たちをつれてできるだけ急いで戻らなければならない。ア・キラのやつも新しい生活にはすぐに慣れるだろうさ。ここよりもずっと快適に過ごせる場所だぞ」
ア・イロニーは手近な椅子をひきよせて座った。
ア・イリスは父親のために熱いお茶をいれてから、ア・キラを捜しに森林地帯へと向かった。
☆
「どうだい、調子は?」
と、ヒロキがアルフレッドに尋ねた。
「喜べ!ヒロキ。大気成分はほぼ地球並みだ。だがな、未知の成分がわずかに存在している。
もしかすると人体に影響があるかもしれない」
「じゃあ、その成分の分析が済んで、人体に害がないとわかるまでこの気密服でいなきゃならないのかな?」
「当分はそうだな。用心にこしたことはないだろう」
アルフレッドが光学機器を持ち運ぶのを手伝いながら、ヒロキは着用している気密服が邪
魔でしかたなかった。
惑星の重力も加わって、背負っている酸素ボンベは半端じゃない重さだった。
有害光線を遮断する仕様になっているヘルメットを通して見た惑星上の景色は、コロニー
育ちのヒロキが抱いていたイメージ以上にのどかできれいだった。
木々の緑、空の青、ゆるやかに流れる小川。
「本当に異星人がいたっておかしくないよな。こんな極上の惑星だったら」
ヒロキは両手を広げて周囲を見渡した。
ところで、作業中の二人は気づいていなかったが、さっきから二人を見ている人物がい
た。
「天空からの使いの者だ」
ア・キラは興奮をなんとか押さえようと必死だった。
いにしえから伝わる言葉があった。
闇の使い
天空の使者
災いと共に舞い降りる
そは
異なる意志
異なる瞳
やがて我らを彼の地へと導かん
空は禁忌とされている。大人たちは、いつでも災いは空から来るものだと教えていた。実
際に隕石の被害は多大なものであった。
「でも、もしかしたら、空の、あの青い彼方には何か素晴らしい世界があるのかもしれない。誰も未だ確認したわけじゃない…」
いつからか、ア・キラは一人、そんな考えを持っていた。そして人知れず自分だけの隠れ
家で空を飛ぶ道具を造ろうと試みてさえいた。
「もし一歩前へ進んだら、なにかが変わるかもしれない…」
ア・キラは意を決すると、慎重に両手をあげて、悪意が無い事を示しながらアルフレッド
たちの方へ近づいて行った。
「おい、アル。あれを見てみろよ」
と、ヒロキがかすれた声で言った。かなり驚いていた。
アルフレッドは異星人の少年の姿をまじまじとみつめた。
「幻覚…じゃないな。まだ幼く見えるが…」
と彼は戸惑いながら言った。
そして、
「「自動翻訳機はどこだ!」」
とアルフレッドとヒロキはほぼ同時に叫んで、大慌てで船内へ駆け込んで行った。
ア・キラはきょとんとしてしばらくその場に突っ立っていた。
アルフレッドたちが船内で探し物をしている間、ア・キラは船の外装にそっと触れてみた
りした。木の枝などで外観はカムフラージュしてあったが、その中には、人工物の名も知
らぬ金属の外壁があった。ア・キラは興味津々だった。
「あったあった」
小型のピンバッジみたいな翻訳機のスイッチを入れ、二人は異星人の少年の前へ再び姿を
現した。
翻訳機といっても、母体となる言語は何もインプットされていない状態から使用するのだ。
これから言葉のサンプルを出来るかぎり集めて、どんな状況でどんな言葉を使うのか一つ
ずつ調べていくことになる。
二人は少年が話すのを期待をこめて聞いた。
少年は身振り手振りを交えながら何やらいろいろ話した。
空を指差し、二人を指差し、一つ一つに何かを言って、今度は自分を指差して、
「ア・キラ」
と言った。
「アルフレッド」
「ヒロキ」
二人は自己紹介をした。
「ア・ルフレッド。ヒ・ロキ」
と、ア・キラは人懐っこく笑って言った。
「どうやら友好関係が結べそうだな」
と二人はほっとした。
「アル。俺は気密服を脱ぐよ。何かあったら俺の体で検査してくれ。降りてくる前に母船でベラミー先生にウィルス感染を防ぐ幾種類かの予防接種を受けたよな。…多分大丈夫だと思うんだ」
そう言ってヒロキは重いヘルメットを外した。
「はあ…」
そよ風が彼の黒髪を揺らした。
ヒロキは気持ち良さそうに深呼吸した。
気密服を脱ぐと、下には広域でも目立つ朱色の制服を着用していた。
ア・キラはヒロキの髪と目を見て、深刻そうに何やら言った。しかし何を言ったのかは現
時点ではアルフレッドにもヒロキにもわからなかった。
「空気は上々。木や土の良い匂いがする…」
「ここは森林地帯みたいだしな」
アルフレッドはそう言うと、自分も気密服を脱いだ。
内心では、異星人との接触で未知の病原体に感染する危険性などを抱いていたが、なるべく念頭からそんな不安を追い払った。
アルフレッドは再び光学機器のデータ収集・分析に戻った。
ア・キラは黒いサングラスをかけたアルフレッドのすることに興味がわいたらしく、そばをうろついた。サングラスなんてこの少年は生まれて初めて見たのだ。
一人手持ち無沙汰なヒロキは、
「しばらくその辺を見て回ってくる」
と言い残して歩いて行った。
☆
小川沿いに森林地帯にわけ入ったア・イリスは、ア・キラを捜す途中、花畑になってい
る広場で休憩をとっていた。
切り株の上に腰を下ろし、空腹感にまだ朝食もとっていないことを思い出した。
午前の淡い光が彼女の髪や肩に降り注いだ。
「今日はまだ降ってこないのね…」
毎日今頃、光輝く細かな粒子が降る。それ浴びるのが楽しみなのだが、今日はなぜかまだ降ってこなかった。
ア・イリスの背後で低木の梢が揺れた。
小さな薄紅色の花がぱらぱらと散った。
「ア・キラなの?」
さっと振り向いた彼女は全く見知らぬ人物を目にしてぎょっとした。
その人物は朱色の奇妙なデザインの服を着て、一見、ア・イリスたちと同じような姿をしていた。
しかし決定的な違いが一つだけあった。
瞳の色が茶に近い黒なのだ。
彼女は背すじが寒くなるのを感じた。村で語り継がれている伝説に『闇の使い』というの
が出てくる。そこに今立っている青年の風貌はまさにその表現にぴったりだった。
異星人同士互いに見つめあったまま数秒が過ぎた。
何かをつぶやくと、青年はきびすを返し、もと来た道を戻って行った。
後に残されたア・イリスは、その場にへたりこんでしまった。
どのくらいそうしていただろうか?
「姉さん!」
弟のア・キラがやっと姿を現した。
「戻るのが遅くなってごめん。僕のことを捜してここまで来てくれたんだね」
「そう…なんだけど、今、私、見てはいけないものを見てしまったわ…」
ア・イリスは青ざめた顔でつぶやいた。
「それって、例えば神話に出てくるような不思議な人間…とかじゃない?」
「なんでそう思うの?ア・キラ」
「だって今しがたまで僕、その不思議な人たちと一緒だったんだもの。彼らは流星に乗って空から降りてきたんだ」
ア・イリスは本気で心配して弟を抱きしめた。
「大丈夫なの?何もされなかった?」
「何をされるっていうの?大袈裟だなぁ姉さんは。…僕、その人たちと友達になったんだ
よ」
「…あのね、よく聞いてア・キラ」
ア・イリスはア・キラの顔をまじまじとのぞきこんで語りかけた。
「父さんが家に帰ってきているの。私たちはこの村を離れて町で暮らすことになりそうなのよ」
「なんだって?…そんなの嫌だよ」
ア・キラは姉の手をふりほどいて後ずさった。
彼の心は、秘密の場所で造りかけの空を飛ぶための道具や、今しがた見てきた不思議なものの数々…未知へのあこがれでいっぱいなのだった。
しかしア・イリスは今のア・キラの様子を見て、かえって逆に町へ行く決心を固めてしま
った。
このまま村にとどまったら、何か恐ろしいものの力で弟が消えてしまいそうな不安がわき
あがったのだ。
「家で父さんが待っているわ。急いで帰りましょう」
ア・イリスはうむを言わせず弟をつれて帰った。
☆
「アル。…俺また異星人に会っちまった」
手土産のどうにか食せそうな赤い果実を手渡しながら、ヒロキは興奮を隠せずに言った。
「今度はどんな姿をしていた?」
「女の子だった。髪が長くて、ひらひらしたピンクの服を着ていた。…さっきの男の子とあんまり変わらない年頃に見えた」
「ひらひらした服の女の子ねぇ」
はたして服装の嗜好は我々と似通っているのかな?とアルフレッドは思った。
「瞳の色が違うんだ。なんかこう、見ているだけで吸い込まれそうだったよ」
とヒロキは言った。
「ところで例の未知の成分のことだけど…、俺の体には今のところ何も異常はないみたいだし、あんまり気にしていても先に進めないと思うぜ」
ヒロキのこの言葉に、アルフレッドは無言でうなずきつつ、小型探索船内へ機材を運びこ
み始めた。
「上で待っている連中に早く報告しよう」
「そうだな」
二人は船内に戻ると、ファナたちと連絡をとった。
「…了解。地上で動き回るのに特に困難はなさそうね。安心したわ。上空から地上を撮影した映像を分析してわかったんだけど、海洋と大陸が大まかに三つずつあるわ。それから小さな島が点在してる。一番大きな大陸には異星人の大きな都市がみつかったの。クロスとホーシローがそちらへ潜入してみたいと言っているわ。それで、別の小型探索船で降下できるように手配しているところよ」
「クロスたちが?異星人相手に商談でもすすめるつもりかい?」
「場合によってはね」
ファナは肩をすくめてみせた。
「それからジラルドも調査の目的で降下したいそうなんだけれど、安全面を考慮して、ク
ロスたちと同行したらどうか、って話が出てるわ」
「そうかい。でもそうしたら、上はベラミー先生と君の二人だけになっちゃうけれど大丈夫かい?」
「ええ。アンドロイドも何体かいるし、なんとかなるわ」
「俺たち二人はもうしばらくここの地点でがんばってみるよ。調査報告は定期連絡の時に
送る」
「健闘を祈るわ」
「ではまた」
「ええ。また。…次の定期連絡時間にね」
通信がぷつりと途絶えた。
アルフレッドとヒロキはなんとなく寂しげな余韻を味わった。
第二章☆橙・歌姫館
シーツ類やタオル等、数十枚あった。
「これ全部洗っといてちょうだい」
と言われ、ア・イリスはさっそく洗濯を始めた。
幸い今日は良い天気だ。
洗いあがったものから手早く干してゆく。村の家でいつも家事をやっていたため手際が良
い。
歌姫館に来てから最初の仕事だった。
ア・キラはというと、ふてくされたまま、あてがわれた部屋から出てこようとしなかった。
歌姫館の中で一番売れっ子のオ・ランジュは化粧なしの時でも一応美人の部類に入ると
思われた。ア・イリスはそのオ・ランジュの付き人兼雑用係になったのだった。
ア・イリスはしばらくして、
「干し終わりました」
とオ・ランジュに報告に行った。
「そう。…ところで、全部で何枚あった?」
「はい?」
「シーツとタオル、全部で何枚干したのかって聞いてるの」
「…すいません。数えてません」
まさかそんなことを尋ねられるとは思っていなかった。ア・イリスは身を固くして次に何
と言われるかと思いながら立っていた。
「…気のきく頭の良い子がいいのよ。でも、こんな短時間であれだけのものを処理できるのなら良い線いってるわね。まあ、いいか。あなた付き人合格よ」
と休憩中のオ・ランジュはうなずいた。
「おいオ・ランジュ。今日の昼の舞台はなかなか良かったぞ。夜もその調子でやってくれ」
と、歌姫館の館長のオ・ルゴールが通りすがりに声をかけた。
「そう?ありがとう父さん」
と、オ・ランジュはおざなりに返事をした。
歌姫たちは普通、金持ちの後ろ盾を持っているものだが、オ・ランジュは館長の娘なので
そういったものはなかった。そのうち適齢期を迎えたらどこかの富豪に嫁がされる予定だ
った。
オ・ランジュは昼間の舞台で着た衣装を片づけておくようにア・イリスに言いつけた。
ア・イリスは衣装部屋に初めて入って行き、かなりの数のすばらしい衣装を目にした。
「すごいわ…。歌姫になるのって、本当に良いなぁ」
彼女は昼間見た舞台を思いだしながら胸をときめかせ、物言わぬ衣装たちにそっと手をふ
れてみた。衣装の幾枚かに直に手で触れてみて、ほう、っとため息をついた。
「それにしても、ア・キラは大丈夫かしら?あの子、町に来てから一言もしゃべらずにふさぎこんでいるようだったけれど。無理に連れて来たせいかも…。後でちゃんと話をしなくちゃ」
忙しい中、ア・イリスは弟のことを心の隅で気にかけていた。
町での初日はあっという間に過ぎていった。
夜の舞台の準備にてんてこまいしていると、昼間はあんなに天気が良かったのに、やがて雨が降り出した。
ア・イリスは洗濯物を手早く取り込むと、休む間もなくオ・ランジュの身支度を手伝いに
行った。
「こっちとこっち、どちらの衣装が似合うと思う?」
「オレンジ色の方が青色より顔色が明るくて華やかに見えると思います」
「そう。それじゃオレンジ色の方にするわ」
髪型を整え、念入りに化粧すると、そこには絶世の美女がいた。
今の彼女に唯一の欠点があるとすれば、実際に恋をしたことがないのに舞台で恋の歌を唄
っていることくらいだろう。
オ・ランジュの出番が来ると、ア・イリスは舞台のそでから彼女の唄っている様子を見守
っていた。
「私もあんな風になれるかしら…」
ア・イリスはため息まじりに思った。
ソプラノの歌声は静かにア・イリスの中に降りて来る。彼女は一度聞いただけでオ・ラン
ジュの歌をそらで唄えるようになった。
夜の舞台が終わって、ア・イリスが後片付けを手伝っていると、
「ア・イリス!ア・キラのやつを見なかったか?あいつ仕事はいっぱいあるのにいなくなりやがって…」
と、大道具を運ぶア・イロニーが彼女に尋ねた。
「父さん。いいえ私は知らないわ」
ア・イリスはあわてて自分たち姉弟にあてがわれていた部屋に行ってみた。
すでにもぬけのからだった。
テーブルの上に置き手紙があった。
「僕は村に帰ります。一人で大丈夫だから放っておいてください」
そんなそっけない内容の手紙を手に、ア・イリスは椅子に座りこみ、ちょっと頭を抱え込
んでいた。
しかし意を決すると、立ちあがり、外出用の身支度をした。
「ア・イリスー!こんな雨の中どこへ行くの?」
歌姫館から走り出るア・イリスの背中にオ・ランジュの声がかかった。
「弟がいなくなったんです。連れ戻してすぐ帰ります!」
ア・イリスはそう言い残して走り去った。
「外は暗くなっているのに大丈夫かしら」
オ・ランジュは心配そうに見送った。
☆
「大降りになってきたな…」
外の様子をモニターでうかがいながらアルフレッドが言った。
「昼間はあんなに良い天気だったのにな」
ヒロキがため息まじりに言った。
ガタン。
小型探索船の外部昇降口で大きな物音がした。
船外モニターを切り換えると、今朝会った少年の姿が映った。
この子なら大丈夫だろうと、二人はハッチを開けてア・キラを迎え入れた。
ア・キラは全身ずぶ濡れだった。
アルフレッドがタオルを取りに行き、ヒロキが着替えのシャツを貸してやった。
ア・キラは町に行ったことや、歌姫館にいるのが嫌で戻ってきたことなどを話したが、二
人にはほとんど通じなかった。
もどかしさが漂う中、ヒロキが腕時計に目を走らせて、とりあえず腹ごしらえをしようと
アルフレッドとやりとりをした。
テーブルに味気ない携帯食が三人分置かれた。
二人はもそもそと食べ始め、ア・キラにもすすめたのだが、ア・キラは眉根を寄せてしか
めっ面をすると、首をぶんぶか振った。
ア・キラはそんな得体の知れないものを食べるくらいなら、自分の秘密の隠れ家にストッ
クしている燻製肉などの食糧を取りに行こうと立ちあがった。
「あれ。どこかへ行くつもりらしいな」
ヒロキがつられて立ちあがった。
いつのまにか外は小降りの雨に変わっていた。
「通り雨だったのかな?」
「だとしたら、じきに晴れるな」
アルフレッドとヒロキはア・キラについていってみようと考えた。
念のため麻酔銃を腰のホルダーに装備して、小型探索船の外見を木の枝などでカムフラー
ジュした。
ア・キラは興味深く二人の様子を見ながら待っていた。
「夜でもなんだか明るく感じるなぁ」
ヒロキのこの言葉に、アルフレッドも同感だった。サングラス越しでも周囲が判別できる。
「この星の生物の目ではどのくらいの明るさに見えるんだろうか?」
と、彼は思った。
ア・キラを先頭に、三人は森林地帯を小川沿いに歩いていった。
途中、土砂崩れの場所があった。
「迂回しないと先に進めないな…」
「…あれはなんだろう?」
土と異なる色の布のようなものをみつけてヒロキが指差した。
アルフレッドが危なっかしく進んで行き、果たして土砂の中にうずまっているものを発見
した。
「姉さんっ」
アルフレッドが掘り起こして助け出した少女の姿を見て、ア・キラが思わず叫んだ。
「大丈夫。気を失っているだけで、呼吸は正常だよ。でも、足に怪我しているみたいだから、早く手当てをしなきゃいかんな」
顔色を変えた少年にアルフレッドは諭すような口調で言った。
アルフレッドはア・イリスを抱えて、元来た道を戻り始めた。
「この娘だよ。昼間会ったっていう女の子は」
一緒に歩きながら顔をのぞきこんで、ヒロキが言った。
三人はア・イリスのためにできるだけ急いで小型探索船に戻った。
アルフレッドは母船と連絡をとって、医者のベラミーに指示をあおいだ。
ところが、ベラミーは手当ての方法を教えるどころか小躍りして言った。
「それは好都合だ。異星人のデータをとるのに貴重なサンプルになるぞ」
「…足の怪我を治してやりたいんだ。どうすればいい?」
苦虫を噛み潰したような表情で、アルフレッドは再度同じ質問をくりかえした。
「地球人用の再生槽に入れてみて回復するかどうかやってみるんだ」
「拒絶反応とかでたらどうするんだ?」
「その場合は我々とは身体の構造が違う証明になるだろう」
ベラミーは興奮して言った。
アルフレッドは幼い少女を間近で見て、ベラミーの言う「異星人のサンプル」という言葉に強い抵抗を感じた。しかし、一刻も早く怪我を治してやりたい一心でベラミーの指示に従った。
「地球人と同じような体の構造なら良いんだが…」
と内心、不安ではあった。
ア・キラはというと、姉のそばを片時も離れずにひとしきり考え込んでいた。少年は、自
分のせいで姉がこんなめにあったのだと思い、落ち込んでいた。
「彼女は大丈夫だよ」
と、アルフレッドは少年の肩をやさしく叩いた。
その言葉の意味はなんとなくア・キラに伝わったようだった。
「ア・イリス」
と、ア・キラは姉を指差して言った。
「アイリス…。地球では花の名前をいうのだったかな?そういえば瞳のこともそう呼ぶな」
とアルフレッドはつぶやいた。
「多分、この子とこの女の子は兄弟じゃないのかな?顔立ちがよく似ている気がするんだ」
とヒロキが言った。
「ああ、そうかもしれないな」
アルフレッドはうなずいた。
三人はア・イリスのそばで回復を待っていたが、一度ヒロキが中座してコーヒーをいれて
きた。
「泥のようなコーヒーだけど、無いよりはましかと思って」
それは圧縮コーヒーを還元したものだった。
「サンキュ。…どうやら地球人用の再生槽でも問題ないみたいだ。傷も治りつつあるし…」
受け取ったコーヒーを飲みながら、アルフレッドは一息ついた。
ア・キラもコーヒーをもらったが、初めての苦い得体の知れない味に、舌を出してしかめ
っ面をした。
それを見て、アルフレッドとヒロキは笑った。
ア・キラはいよいよ本格的にこの異星人二人の味覚を疑った。
「姉さんが元気になったら、この二人に姉さんの作る料理を食べさせてみよう。うますぎてきっとびっくりするぞ」
とア・キラは考えた。
☆
「あの二人が姉さんを助けてくれたんだよ」
とア・キラが言った。
回復したア・イリスは素直にアルフレッドたちに感謝した。足の怪我は不思議な魔法で完
治していた。
「どうやってお礼をしたらいいのかしら?」
「味覚オンチみたいだから、なにかおいしいもの食べさせてみたら?」
「ア・キラ!」
ア・イリスは弟をたしなめながらも、冷や汗を流しながら考えた。
「果たして私たちが普段口にしている食べ物を、この人たちに食べさせて大丈夫なのかし
ら」
しかし他にこれといって良い方法も思いつかなかったので、思いきって料理の腕をふるま
うことにした。
村のもとの家にはほとんど食糧が残っていなかったが、ア・キラがどこからか大量に調達
してきた。ア・イリスはよっぽど弟を問い詰めようかと思ったが、じっと我慢した。
ア・イリスは料理を作り、恩人である異星人たちをもてなした。
「こりゃいける」
「ああ、うまいな」
固形の携帯食に飽きていたアルフレッドたちは、嬉しそうに出された料理を全部たいらげ
た。
ア・キラとア・イリスは顔を見合わせ、笑った。
「ア・キラ。やっぱり考え直して歌姫館に戻ってくれないかしら?…父さんも心配してるし、いろんな人に迷惑をかけるわ」
ア・イリスがそう言うと、しばらくの沈黙の後、ア・キラはしぶしぶうなずいた。
「でも条件が一つ!あの二人を案内して一緒に連れて行っていいんなら考える」
「ア・キラ!」
ア・イリスは悲鳴めいた声をあげた。
「やってみないとわからないじゃない?うまくいくかどうかなんて。姉さんは頭が固すぎ
るよ」
「あなたは柔らかすぎるわよっ!」
あきれかえって、ア・イリスは頭を抱え込んだ。
☆
アルフレッドとヒロキはア姉弟が持ってきて広げた地図に目を落とした。
点と線で描かれた地形にア・キラが鳥の絵と家の絵を書きこんだ。
「俺たちの小型探索船が鳥の絵だとすると、今いる場所が家の絵だろうな」
二人が納得したらしいのを見てから、ア・キラは歌姫館のある地点に印をつけて何か言っ
た。
歩く様子を身振りで示されて、アルフレッドたちは移動するらしいと知った。
「どうする?」
「行ってみようや」
うなずくアルフレッドたちを見て、ア・キラは小躍りして喜んだ。
こうしてアルフレッドとヒロキはア姉弟と一緒に歌姫館へ行くことになった。
歌姫館に着いてみると、人々の反応は様々だった。
ヒロキの瞳や髪の色、アルフレッドのかけているサングラスがその要因のようだった。
たいていの者が避けていく中で、館長のオ・ルゴールが、
「遠くから来た客だって?ぜひ舞台を見てもらって宣伝してもらおうじゃないか」
と言ったため、他の者は誰も口出しできなくなった。
その日の夕方になると、アルフレッドとヒロキは薄暗くした客席に通された。
やがてスポットライトをあびて唄う歌姫たちを見た。なかなかの見物だった。
「イッツ、ショータイムって感じかな」
ヒロキが耳打ちをしたので、アルフレッドは思わず笑った。
「中でもあの人は良いね」
「ああ」
二人はオ・ランジュを見て絶賛した。
「歌の内容があんまりよくわからないのがちょっと残念だね」
「自動翻訳機もだいぶ使えるようにはなってきているんだけどな…」
二人はため息まじりに音楽に聞き入った。
☆
「どうです?あの娘なら先方も喜ぶと思うんですがね」
歌姫館の舞台裏の隅で、こそこそと話す者がいた。
ア・イロニーと大陸間行商人のム・スカだ。
他大陸で、最近になってとある大商人が台頭してきていた。ム・スカはその大商人に覚え
を良くしてもらうために、わざわざこの地へ貢物の物色に来ていた。
ム・スカがふらりと立ち寄った歌姫館で、事情を知ったア・イロニーが歌姫のオ・ランジ
ュを推した。
「うーむ。確かにあの娘の容色ならどこへ出しても文句は出ないだろうな…」
ム・スカは品定めをするように、何も知らずに唄っているオ・ランジュを眺めた。
「オ・ランジュが金持ちに嫁げば、館長もよろこぶだろう。それに、うまくいけばオ・ランジュの付き人としてついている俺の娘にも何かおこぼれがあるかもしれない」