第11話

 谷坂たにさか綾斗あやとは新学校生活二日目に行われた体力測定によって不覚にも有名になってしまった。そんな彼は新学校生活三日目にしてようやく部活動見学をすることになった。案内人は同じく体力測定で男女別総合では一位となった伏見姉妹三女の伏見ふしみ秋蘭あきらだ。以前からずっと誘ってきていたこともあり、綾斗は断る訳も無く、喜んで案内してもらっていた。


 しかし、綾斗はそのずば抜けた身体能力から登校直後や昼休みの間にいくつもの運動部に勧誘されていた。そのためどんな部があるのかはほとんど把握してしまっている。それでも秋蘭の「案内がしたい」という思いに答えるために案内されていた。


 その甲斐あって秋蘭は案内が始まってからと言うものずっと嬉々とした表情を浮べている。そうして綾斗の前を歩く秋蘭は嬉しそうに口を開ける。


「それでは! 最初に見学しにいくのは我らが長女――春菜はるなの剣道部です!」

「前はここで夏目なつめが来て、河川敷まで瞬間移動したよな」


 綾斗はふと思い出す。反撃の狼煙、という訳ではないが、あの日あの瞬間から綾斗の戦いが始まった。少年の手は自然と胸に当てられるがそこから伝わってくるはずの鼓動が感じられない。代わりに魔力の根源であるコアの存在と全身をまるで管のような何かで巡っていく魔力の流れを感じる。


 改めて自分は人間ではないことを自覚してしまった。


 だからと言って表情を暗くするでもなく、誰かを守る力を得たと考えればこんなにも頼もしいものはない。何せ今の綾斗の心臓は封印しなければならない強大で最高峰の魔法が込められたタロットなのだから。


「そうだったね。でも、今日は大丈夫そうだから見学しちゃおー!」


 一人盛り上がる秋蘭を他所に綾斗は辺りを見回す。


「どうしたんですか?」

冬香とうかは一緒についてこないのかなって」

「冬香は今日届くゲームを早くしたいそうなので先に帰りましたよ」


 夏目の転移魔法で、と付け加えてから秋蘭は満面の笑みで剣道部の活動場所である第一武道場に歩を進める。そこで何かに気付いたのか肩をびくつかせて振り返る。


「もしかして綾斗くん! 冬香のこと好きなんですか! そうなんですか! 確かに同じクラスで一緒にいる時間は多いかもしれませんけど……へー、少し暗めで静かな子がタイプなんですね」


 秋蘭は言い終えてから少し考える。


「ってことは私アウト・オブ・眼中じゃないですか!」

「一人のりつっこみお疲れ様」


 綾斗は呆れた調子で言う。


「好きとかじゃなくて、前は一緒にいたから今回も一緒かと思って」

「ぶーつまらないです」

「なんでだよ」


 二人はそれから他愛もない会話をしながら豪華に装飾された廊下を歩いていく。足音が全然しないのは廊下の床に高級な絨毯が敷かれているからだが、もうそんなことで少年は驚かなくなっていた。


 綾斗は超金持ち学校――常盤桜花学園ときわおうかがくえんの雰囲気に早くも慣れつつあるのだった。


 十分ほど歩いてようやく第一武道場に到着した。


 いざ、武道場の敷居を跨ぐと途端に空気が激しく弾ける音が耳に叩き込まれる。見事なまでの弾けっぷりに気持ち良さまで感じた。


 二人は入り口である襖を開き一礼してから入る。


「あ、秋蘭に谷坂くんじゃん! ヤッホー!」

「隙あり!」


 今まさに打ち合っていた二人の内の一人が綾斗と秋蘭を見るや大きく手を振る。そこへ相手の上段から何の躊躇もない全力の面打ちが振り下ろされる。


「隙なんてないよ」


 手を振っていた方は相手の振り下ろした竹刀を自分の竹刀で軽くいなし、流れるように相手の懐に入り込んで竹刀を横薙ぎする。


「胴!」


 爽快感すら覚える見事な乾いた音が道場の隅まで響いた。


 胴を受けた相手は悶絶しながらその場に膝をつき面を外す。角刈りのいかにも剣道部です、と言った感じの強面な男子生徒は立ち上がろうにも上手く力が入らず動けないでいた。


 その姿を見た胴当てをした剣道部員も面と籠手を外し、ライトグレーの短髪を軽く振って汗を拭う。そこから現れた美少女は男顔負けの爽やかさを醸し出しながら膝をついた相手の手を掴み立ち上がらせる。


「ね? 隙なんて無かったでしょ?」


 春菜は微笑みながら言うと手をひらひらさせて綾斗たちの下へ歩み寄る。その背後で男子生徒が悔しそうで羨ましそうな複雑な顔をしているとは知る由もなかった。


「流石、春菜! 相手は男子の主将さんだよね?」

「凄いな。あの切り替えし? いなし方とか打ち込み方とか、なんて言うか川みたいに綺麗な流れだった」


 綾斗と秋蘭が目を輝かせながら春菜の雄姿を称賛する。


 そんな二人をどこか似ているな、と思いながら春菜は子どものような笑みを浮かべて綾斗に竹刀を渡す。


 丁度その瞬間、すぐ後ろで剣道部の主将が休憩の号令を掛けたのだ。そのため武道場にいくつもある武舞台には誰もいなくなった。つまり、どこで試合をしようとも邪魔をされないということだ。


 試合が始まれば最後まで見守るのが常盤桜花学園高等部剣道部の掟であり絶対なのである。そのことを知らない綾斗は防具を着ず、制服のジャケットを脱ぎ捨て武舞台に上がる。


 春菜はケタケタと笑いながら自らの防具を脱ぎ捨て、綾斗と向き合うように武舞台に上がる。


 他の部員たちが気付き始めたところで二人とも竹刀を両手で持ち、基礎である正眼の構えを取る。


 絶対の掟があるため誰も止められない。それを良いことに春菜は正眼の構えから今まで誰にも見せたことのない構えを取る。身体の向きは相手から見て真横に、左手を突き出して竹刀の中結に添えて上体をやや落とし、両足を肩幅よりもやや広く開く。見た者なら誰でも分かる突きに特化した構え。


 綾斗は春菜の構えを見て表情を変えることなく冷静に身構える。竹刀を握った手を前に、空いた左手を後ろに、身体は相手から見て心臓が遠い位置に斜めになるように構える。


僭越せんえつながらこの秋蘭が開始の合図をさせて頂きます」


 秋蘭は珍しく真面目な表情を浮べて右腕を振り上げる。


「始め!」


 合図とともに竹刀同士が擦れ合う音、風を切る音が第一武道場に広がる。


 春菜の突進刺突攻撃を綾斗は前に出した竹刀で逸らさせたのだ。そのまま流れるように身体を回転させ、竹刀を横薙ぎして反撃する。


 しかし、その返しを予測していた春菜はまるで深く屈伸をするように限界まで上体を落とし、足に踏ん張りを利かせ躱した。さらに突進刺突攻撃の勢いを完全に消し、一瞬の内に向き直り、また同じ構えを取る。


「残念。――『刺突弁天しとつべんてん』――っ!」


 春菜は不敵な笑みを浮かべるや技名なるものを叫び、表情を一変させて鋭い目つきとなり空気が弾けるほどの気迫を放つ。


 それが確かな殺気、あるいは剣気だと気付く頃には技が発動していた。


 今度の攻撃は連続刺突攻撃に加えて縦横無尽に竹刀を振るう。真剣に置き換えると突きと斬撃を混合させた技だ。しかし、綾斗はその全てを前に構えた竹刀と上体逸らしだけで躱し、一定の距離を保とうとする。


 だが、それを許さない春菜は綾斗の懐まで一気に踏み込み、両手持ちに変えた竹刀を綾斗の右腰から左肩にかけて切り上げる。少年は表情一つ変えず後方に飛び退くようにして躱し、着地すると左手にも竹刀を持っているかのような構えを取る。


 その様子に春菜は小首を傾げながら攻める手を止め棒立ちになる。


 綾斗はどうしたんだ、と言いたげな表情を浮かべ構えを解く。


「本当は二刀流なんだね。それも短い……双剣かな? その竹刀じゃあ使うにしても、長すぎるんじゃないの?」

「そうだな。けど、俺には決まった武器は無いから。だから、これでも十分戦える」


 綾斗の周りの空気が冷たく鋭いものに変わる。その時、春菜は確かな殺気を感じた。


 次の瞬間、綾斗は春菜が構えるよりも速く、俊足を見せて間合いに入ると同時に竹刀を横薙ぎする。


 しかし、流石の春菜と言ったところか。寸でのところで受け止め鍔迫り合いに持ち込む。だが、単純な力比べでは綾斗の方が有利だ。その証拠にじりじりと春菜が後退していく。


 どうしてわざわざ自身の不利な状況を作り出したのか、誰もが春菜の行動に疑問を抱いた。


 春菜の額に汗がにじみ出る。表情に出さないようにしているが、奥歯を噛みしめる仕草が漏れ出てしまうほど押されている。この場のほとんどの者が「勝機あり」と思った。


 その時、少女が動いた。


 春菜は脱力し綾斗を自分側に引き寄せ、体勢を崩させると同時に後方に飛び退き竹刀を振れる距離を強引に作り出す。その瞬間、竹刀をまるで刀を鞘に納めるように左脇に構える。


 綾斗は咄嗟に利き足を前に出して何とか前に転げるという失態だけは避けた。さらに崩れかけた体勢を無理矢理整え、前に出した利き足に踏ん張りを利かせて跳躍する。それだけではない。竹刀の切っ先を前方に突き出した状態のため必然的に高速の刺突攻撃となる。


「あれ?」


 気付けば勝負はついていた。


 春菜の竹刀が完全に綾斗の右の脇腹を捉えていた。


「速過ぎだろ。抜刀術? か……初めて見たかも」

「いやあ、私も練習以外で初めて人に使ったから寸止めするの大変だったよ」

「俺の突きの方が速いと思ったんだけどなあ。いや、そう思った時にはもう終わってたってことか」


 綾斗は悔しそうに春菜に竹刀を返し、いつの間にか出ていた汗を拭いながら秋蘭の所へ戻る。


 秋蘭も残念でしたね、と言いながら脱ぎ捨てられた制服のジャケットを手渡す。


 二人は剣道部に一礼したのち、第一武道場を後にした。


 春菜は勝てたことに満足したのか、その背中に向かって大きく手を振り見送った。