第39話 夢の世界③

 これで“私”の大切なモノは守られるはずだ。これで、これからはずっと“彼”と一緒にいられる。もう離れる必要はなくなるのだ。



 “私”は全てを“彼”に話そうと決めた。きっと“彼”なら受け入れてくれると信じていた。ふたりの理想は同じなのだからと……。





 それがなのに、まさかこんなことになるなんて。





 ある意味願いは叶った。だが、“私”は“彼”とひとつになり……大切なモノを奪われたのだ。“彼”は変わってしまった。そして、今やっと“私”は母の言っていた事を理解した。あの言葉はこの事を言っていたのだと。



 母は決して嫉妬深くなどなかった。ただひたすらに“私”を心配してくれていただけだったのだ……。



 今更遅いだろうが、心の中で母に謝罪する。でも、大切なモノに対してだけは後悔したくなかった。



 取り戻さなくては……奪われた大切なモノを。その為にはなのだ。



 あれから“私”は、ずっとずっと探している。を。“私”のその想いはとある本に魔法をかけた。いや、これは呪いか。



 そんなことはどちらでもいいことだ。問題は“彼”に気付かれていないかどうかなのだから。



 “彼”の大切なモノと“私”の大切なモノがとわかった時には遅かったのだ。



 それでもずっとずっと待ち続けているしかない。いつか現れるを────。




「あっ……」


 いつの間にか私は青空から弾き出されていた。そして、私の目の前にはさっきまで意識が流れてきていた“誰か”が立っていたのだ。


 その“誰か”は虚無のような大きな瞳を見開き、私を見てニタリと笑った。






『ミツケタ』






 それは確かにあの時の声で、どこからとも無く現れた無数の白い手が私を捕まえようとゆらゆらと動き出している。私は背すじが寒くなるのを感じて咄嗟にその場から逃げ出した。



 青空だったはずの場所はすでになく、辺りは真っ白な空間になっていた。だがその白さも追いかけるようにやってくる黒に染まっていく。


『ミツケタ……ツヨイタマシイ。ミツケタ、ミツケタ、ミツケタ……!!』



 手が、足が、次々と自由を奪われていく。無数の白い手はぐねぐねと伸びて私の体に巻きついてきた。すでに真っ黒になってしまった世界にこの白い手だけが異様に浮かんでいる。


「やめてぇっ!」


 私は逃れようと懸命にもがいたが締め付けは緩むどころかどんどんキツくなっていった。


『ツカマエタ』


 動けなくなった私の前に“誰か”は歪んだ口をさらに歪ませた。




 誰か助けて……!




 恐怖のあまり、思わずそう願ったその時。




『────────!』




 真っ黒な世界に一筋の光が差し込んだ。


 その眩い光の中からが姿を現して私に向かって手を差し伸べてくれたのだ。


『イヤァァァァァ……!』


 光に照らされ“誰か”は苦しみ出し、白い手は怯んだように緩くなり力無く足元へと落ちていった。


「あなたは……」


 逆光で顔はよく見えないが、それは黒髪の……ひとりの青年だった。何かを私に向かって必死に叫んでいるがその言葉は聞き取れない。でも……。


 なぜかはわからないが、私は無我夢中でその手を掴み────その腕の中に飛び込んでいた。そこが、何よりも安心出来る場所だと知っているかのように。





***





「────目が覚めたようですね?」



 重いまぶたをうっすらと開くと、眩しい光に目が眩む。その光に慣れてくると真っ先に視界に入って来た目の前にいるその人物の姿を私はぼんやりと見ていた。


 真っ黒な髪をしたひとりの青年がそこにいたのだ。


「あなた、は……」


 長い前髪で目元が隠れていて顔はよくわからないが、その青年の薄い唇が安心したように息を吐いた。


 なぜかはわからないが、視線を動かすことが出来ずに私はただその青年を見つめてしまっていた。


「階段から落ちたのを覚えていますか?目立った怪我はないようですが、ずっと気を失っていたんですよ」


「────あなたが……あそこから、助けてくれたの…………?」



 私が未だぼんやりする思考の中でそう呟くと、「図書館では、災難でしたね……」と笑みを見せてきたのだが、それに反応して私の心臓が大きく跳ねた気がした。


「……っ」


 なぜだろうか、この青年の笑みを見ていると妙に落ち着かない気分になる。私はこの笑みを知っているのだろうか?いや、小さなフィレンツェアの記憶にもこんな黒髪の青年などいなかった。だってこの世界では、黒髪はとても珍しいはずだからだ。前世の聖女時代なら当たり前のようにいた黒髪の人間がフィレンツェアの記憶にはいなかった事に驚いたのをよく覚えている。


 ……でも、夢の中で助けてくれたのも黒髪の青年だった。あれは普通の夢ではないはず。ならば、あの青年にも意味があったのではないだろうか……。



 ドキドキドキ……と、自分の心臓の音がやたら大きく聞こえた。



 これは私の気持ちなのか、それとも小さなフィレンツェアの気持ちなのか。嬉しいような、焦るような……。聖女時代にも感じたことのないような、そんなよくわからない気持ちが私の中を駆け巡っていったのだった。