第15話 公爵家のお家騒動②−1


「お、お母様……?!」


 勢いよく抱き締められ、お母様の体にピタリとくっつけられてしまった私の頬の上に涙の雫がボタボタと落ちてきては顎を伝って床に流れ落ちていっていく。このわずかな衝撃だけで激しく動揺してしまう自分がいた。未だ締め付けてくるお母様の腕を振り払う事も、涙でびしょ濡れになってしまった頬を拭うことも出来ずにただ困惑するしかなかった。


 こんなお母様の姿なんてフィレンツェアの記憶には無いし、もちろんゲームの設定でも聞いたことなどない。全てが想定外過ぎているのだ。


「よかった……!本当によかったわ……っ!!」


 だが、大粒の涙を溢れさせ〈氷の令嬢〉とは真逆の表情をさせたお母様が私に……フィレンツェアに頬擦りをしている。心の底から娘の無事を喜び安堵したと涙を流しているのだ。これが嘘だとはとても思えない。


 この事態には、私も小さなフィレンツェアもまさか過ぎてどうしていいのか分からないでいた。


「お、お母様……は、私の事なんて、嫌いだったんじゃ……?だって、今まではあんな……」


 気が付くと、混乱し過ぎてそんなことをぽつりと呟いてしまっていた。たぶんこれは小さなフィレンツェアの真意なのだろう。


 すると、私の呟きを聞いた途端にお母様の瞳からはさらに涙が洪水のように溢れ出した。それを同じく泣きながら見ていた使用人達も、ハッと我に返ったかと思うとまたもや重なり合うように口を開いてきたのである。


「違うのよ!!嫌いだった事なんて一度もないわ!ただ、これまではフィレンツェアちゃんに近寄ろうとすると急に顔の筋肉が動かなくなったり言葉が出なくなって体も動きにくくなってしまっていたの!しかもわたくしの守護精霊がなぜか怯えるせいで気分が悪くなって……!」


「「「わ、我々使用人も同じでございます!!お嬢様のお近くに行こうとすると体が強張り、動かなくなってしまっていたんです!まるで金縛りにあったかのようになり、瞬きも出来ず息をするのがやっとで……!さらに我々の守護精霊達が邪魔をしてくるし何を言ってるのかはわからないのに、なぜか怯えているしで余計に体が動かなくなっていたんです!!」」」


 それからは溜まっていた物を全て吐き出すかのようにお母様と使用人達は今までの事を教えてくれたのだった。






***








「まさか、呪いにかかっていたなんて……。しかもそんな事態に全然気付かなかったなんて、ブリュード公爵家としてとんだ失態だわ」


 お母様が自分の両手を見つめながら、ため息混じりにそう呟いた。


 実はアオの言う『変な感じ』というのと、お母様達の行動についての事を意見を交えつつ詳しく調べて見たのだ。その結果、それは“呪い”ではないかと言う結論に至った。詳しくはまだわからないが、その可能性が一番濃いのだろう。


「不思議だわ。実はフィレンツェアちゃんが産まれてからだんだん自分の守護精霊と話が出来なくなっていて、姿はわかるのに意思の疎通が出来なくなっていたの。あんなに必死な様子で何かを訴えようとしているのを見ていたはずなのに、なぜかその状況を当然のように受け入れていて……てっきり気分が悪くなるのも精霊達の気まぐれくらいにしか思っていなかったわ。わたくしの可愛いフィレンツェアちゃんを見て精霊がやたら騒ぐのも、それが加護無しの人間に対するあの子達の態度なんだろうと……。今ならそれが異常な事なのだってはっきりとわかるのに、あの頃は感覚が麻痺していたみたいだわ」


 それから、お母様は「やっとあなたの声が聞けたわ」と自分の守護精霊と手を取り合っていた。私としては〈氷の令嬢〉と呼ばれていたお母様の守護精霊の姿がペンギンだった事に密かに驚いていたが。


「つまり、誰かがブリュード公爵家に関わる人間に“フィレンツェアに近寄ったり優しくしたりしてはいけない”みたいな呪いをかけていたってことなの?」


『うん、たぶんだけどね。もう消えちゃったし、封印されてた頃は嫌な気配を感じ取る事しか出来なかったから詳しくはわからないんだけど……こんなにたくさんの人間にいっぺんに同じ呪いをかけるならあんまり強い呪いはかけられないはずだよ。でも、こんな簡単に消えちゃう呪いなら本当はおまじない程度の威力しかなかったのかもしれない。それなのに僕のせいで……。ただ、執念っていうかその呪いにかける“想い”が強かったから僕ってば反応しちゃったみたいで……』


 ドラゴンの姿のままのアオがしょんぼりと肩を落として説明をしてくれた。


 ちなみにみんなの守護精霊が怯えていたのはアオの威嚇のせいだったようだ。アオは“呪い”の気配をさせた人間を警戒していて、守護精霊達は自分が契約している人間がドラゴンに警戒されている事に怯えて人間を守るために私に近寄らせないようにしていたらしい。それでも人間の方が私に近寄ろうとするものだからそれを止めるために気分を悪くしたり体の動きを鈍くしたりとあの手この手で阻止しようとしていたのだとか。