#037


 さっき飛び越してきた、あの要塞。

 アルカポーネ領に接する関所であることは間違いないのだけど、それだけなら、あんな大仰な設備も兵力も必要ないはず。

 ガルベス領の兵隊さんたちは、ずっと、領内で何かと戦っているんだな。あの要塞を拠点のひとつとして。

 いま、わたしが立ってるゼレキナの森の街道は、滑らかな石畳がびっしり敷かれている。

 たぶん、兵隊を乗せた戦車や輸送車といった大型馬車のために、きちんと整備されてるんだろう。

 ただ、これを整備、維持するには、莫大な費用と労力が掛かるはず。

 ガルベス子爵家がよほどおカネ持ちなのか、あるいは領民に負担をかけて、無理に費用を捻出してるのか、わたしにはわからないけど。

 ゲームの「ロマ星」で、大規模な盗賊団や、その被害にまつわるエピソードがあるのは、このガルベス領だけだ。とすれば、後者である可能性が高い。

 盗賊というのは、必ずしも悪党の集まりではなく、何かしら政治、経済的問題から、やむなく流民となった人々の成れの果て、というケースが多い。いや、なかには生粋の極悪人もいるかもしれないし、他国、他領の謀略による場合もあるけど。

 もとは普通の市民や農民だった人々が、苛烈な徴税や賦役に耐え切れず逃散して、賊となる。こういう話は、前世から、歴史のお勉強なんかで学んでいたことだ。この世界でも、実情はそう変わらないだろう。

 領内に跋扈する盗賊。その害を防ぐべく、道路を整備し、雄大な砦を築き、軍隊を揃える。これらを維持するために、民間に負担が掛かれば、それに耐え切れない民が逃げ出し、また盗賊が増える。

 ……という悪循環に、ガルベス子爵領は陥っている可能性がある。

 だからといって、わたしが干渉することではないし、あくまでスルーを決め込むつもり……。

 だったのだけど。

 わたしが街道に降り立ち、はるか南へ向かって駆け出してから、しばらく。

 二十分ぐらい、のんびり走り続けると、やがて街道は、ゆるやかなカーブにさしかかった。

 そのカーブの彼方の、道の端っこ。

 ある異常が、わたしの視界に入ってきた。

 そう。

 止まってるんですよねえ。

 大きな馬車が、二輌。

 で、その周りに、十人ばかりが寄ってたかって、手前の客車をがんがん叩いて、壊して。

 その中から、無理やり、誰かを引きずり出そうとしてるんですねえ。

「いや! いやですっ! 離してっ!」

「うるせえ、殺されてえのか! おとなしくしやがれ!」

「おい、そっち抑えとけ! ほれっ、さっさと引っ張り出すんだよ!」

「やめてぇー!」

 などという会話とか悲鳴とかが、森の木々にこだましつつ、きこえてきちゃったわけですよ。

 ……いやー、なんたる物騒な。

 さすがにこれ、スルーしちゃうのは、後味悪すぎますよね?






 わたしの身には『身体強化』『暗視』『気配察知』『認識阻害』という、おなじみのフルセットを、いまもしっかり掛けている。

 たったったっと、修羅場へ駆け寄っても、誰も気付きもしない。

 二輌の大型馬車の周りには、負傷者やら死骸やらが、ごろごろ転がっている。たぶん護衛の人たちと、返り討ちにあった盗賊と、その両方だな。

 馬は合計四頭。みんな、太い矢が背中や足に何本も刺さってて、瀕死ではあるけど、まだかろうじて息はあるみたい。

 あたりには、物凄い血の匂いが漂っている。

 ……ううむ、思えば、死人が出ている現場を直接、目のあたりにするのは、前世も含めて初めてのことだ。

 ただ、少々不快な感じはあるけど、それほど恐怖や嫌悪は感じなかった。すぐ目の前で、人が死んでるのに。

 わたしって、いつから、こんなに肝が太くなったのか。自分でもよくわからない。

 さて……いま、馬車を囲んで暴れているのは、全部合わせて八人。

 貧相なレザーベストを着こんだ男たちで、錆が浮いてそうなナイフを振り回しながら、野卑な声をあげている。

 年齢はまちまち。いかにも粗暴な若者っぽいのと、いかにも悪そうなおじさんたちと、半々くらい。

 そのうち三人ほどが、客車の戸に取り付き、いままさに、中から誰かを無理やり引きずり出そうと躍起になっていた。

 しょーがない。ちょっとだけ、人助けをしておきますか。

 誰のためというわけでもなく、おもに、わたし自身の寝覚めを悪くしないためにね。

 まず、周りにいる連中を、どけてしまわないと。

『烈風』

 対象をまっすぐ吹っ飛ばす、そこそこ威力の高い風系攻撃魔法を連発して、五人の盗賊たちを、次々と空の彼方へ弾き飛ばしてゆく。

 ……よほど運が悪くない限り、あれで即死ということはないだろう。落下の際に、打ちどころが悪いと死ぬかもしれないけど、それはそういう運命だったと諦めていただきたい。

 これで周囲はクリア。

 お次に。

 わたしは、すたすたと馬車のそばへ歩み寄った。

 馬車に取り付いて騒いでる三人の盗賊は、まだ周囲の異変に気付いていない。

 ここで攻撃魔法を使うと、中の救助対象まで巻き込んでしまう可能性がある。

 ならば。

 まず、三人のうち、後ろで声を張り上げてるおじさんの腰の革ベルトを、無造作に掴んで――。

 ぽいっ、と、片手で放り投げた。

「ほぁっ」

 奇声を残して、おっさんは宙に舞い、森のほうへと放物線を描いて消えていく。

 これは『身体強化』の賜物。いまのわたしには、盗賊全員を軽く投げ飛ばせるだけの腕力がある。

 続けて、馬車の中に足を踏み入れていた若い盗賊の腕を、がしっと掴み取り、これまた彼方へ、ぽーんと放り投げた。

 残るは一人。

 いままさに、馬車から誰かを引っ張り出そうと夢中になってる、若い悪人面のお兄さん。

 わたしは、お兄さんの側面へ素早く回り込み、その右腕へ、上から軽くチョップを食らわした。

「この、おとなしくしやが……あがああ?」

 ごぎゅっ、と鈍い音が車内に響く。

 ちょっと軽く撫でただけなのに、お兄さんの右腕は、あっさりへし折れてしまった。

「ななななっ、なんだ、おれの、うでがっ?」

 大慌てで、周囲をきょときょと見回す、悪人面のお兄さん。

 わたしは、問答無用で相手の腰ベルトを掴むと――。

 ぽいっ、と、車の外へ放り捨てた。

「ぴょえっ」

 甲高い奇声とともに、お兄さんは、暗い夜空の彼方へと、すっ飛んでいった。

 よし。これで三人とも片付いたかな。

 あらためて、客車内を見渡すと、若い女と子供が、座席にぎゅっと身を寄せ、面をそむけて、まだ震えていた。

 これは母娘、かな? 無事なようでなによりだ。