スタンリーの依頼から数日後、クライヴとヘザーはアーヴィング村へと車で向かっていた。
丁度スタンリーも休暇で滞在するとのことで、それに合わせての調査である。
ヘザーのあざと過ぎるおねだりに屈したクライヴは、やはり内心では
ただあんな至近距離で、それも好きな女性に可愛く上目でお願いされて、
またこれでも、アメリカまで渡ってピンカートン探偵社で修行を積んだ身だ。それなりに己の仕事への
そんなわけで今も変わらず恐怖心はあるものの、ある程度は諦めていた。もちろん、「ある程度」でしかないが。
「あ、ビルも連れて来てやりゃよかったな」
助手席のヘザーが、地図を広げながらそんなことを言いだした。クライヴがプレゼントした、淡いラベンダー色のドレスをまとった姿は可憐そのものなのだが。
この子は正気だろうか、とつい疑惑の目でチラ見してしまう。
「何故、彼を連れて行かねばならないんだ」
低い不機嫌丸出しの声にも、ヘザーは一切怯む様子もなくあっけらかんと笑う。
「たまには外の空気吸った方が、楽しいじゃん。アイツいっつも、事務所の壁にいるしさ」
「幽霊で、しかも絵に憑依している輩が、呼吸をするのか?」
「あー、それもそうか」
ここで会話が途切れ、しばし車内に沈黙が漂う。なんとはなしに、居心地の悪い空気だ。
先に
「あのさ、クライヴ……オレがゴネたから、やっぱ怒ってる?」
「え?」
ちらりと隣を見ると、眉尻を下げた、珍しくもしょぼくれた顔があった。肩も縮こまっていた。
いつになく情けない風情に、クライヴの中にわだかまっていた不平不満も緩やかに溶けだす。彼の眉尻も、わずかに下がった。
「怒ってはいない。まあ、相手が幽霊かもしれないので、不安はあるが――一度依頼を引き受けた以上、全力は尽くすつもりだ」
ほっと、縮こまっていたヘザーの肩から力が抜ける。
「そっか……魔女の相手なら、オレも手伝うしさ」
肌身離さず持っているロザリオをかざし、ニッと歯を見せて笑った。
「調査半分、旅行半分で楽しもうぜ。なんかいいコトあるかもしれねぇし」
なんとも
「なるほど、良い事か。例えば?」
「んー、そうだな……あれだよ、ほら。なんか珍しい生き物見つけるとか。雪男とかミイラ男とか」
「ミイラは生きていないし、どちらとの遭遇も
むっすり陰気顔で一刀両断にすると、ヘザーも口を尖らせる。
「んだよ、ワガママだな」
「これは我が儘ではない。君が暴論過ぎるだけだ」
「けっ。じゃあ、えっと……あ、ウマい飯があるとか。腐ってないヤツな、もちろん」
「断っておくが、俺は腐った物を常食しては――」
信号に捕まったタイミングでぐるりと隣へ体を向けると、ヘザーが小さな手で口元を隠し、あくびをごまかしていた。
「ヘザー、寝不足か?」
あくびを見られたからか、彼女がぎくり、とぎこちなく身を強張らせる。
次いでほんのり頬を染め、恨みがましい目を向けた。
「……運転中にこっち見んなよ」
「赤信号だから問題ないだろう。それで、寝不足なのか?」
恋愛感情抜きにして、秘書の体調が万全でないなら、配慮すべきだ。
追及の手を緩めないクライヴに、ヘザーはしばし視線をさ迷わせたものの、やがて素直にうなずいた。
「あー……そう、かな。うん。昨日楽しみで、ちゃんと寝れなかったって、いうか」
死人の出ている村への調査が楽しみで寝不足――ある意味では
不眠でも患っているのか、と要らぬ心配をしたことにクライヴの肩が落ちる。
「君の感性は、一体どうなっているんだ」
「オレの感性はゴリッゴリの、夢見るピュア乙女ですが?」
「妄言はいいから。向こうに着くまで、寝ていなさい」
「いやいや、アンタに運転させてオレだけ寝るとかあり得ねぇよ。地図も見るしさ」
膝に載せている地図を掲げる彼女の律義さに、つい小さく笑った。
「地図なら俺も、先ほど目を通した。道も覚えているから、心配ない」
「うわー、さすが。やっぱお利口さんは違う、ねぇ」
と言い終わるが早いか。
大きな瞳を閉じてシートに全体重を預け、ヘザーの呼吸が緩やかなものにたちまち変わった。
「早っ」
秒の入眠に、車を再発進させつつクライヴも目を剥いた。
いつ
相変わらず、精巧な芸術品の如き美貌だ。
雪のように白い肌と、薔薇の花弁のように赤い唇の対比が、あまりにも
おまけにサラサラとした黒髪を有しているものだから、絵本の中の白雪姫が現実世界に飛び出て来たようだ。
再度信号に捕まった際、つい出来心が生じてしまい。
彼女の柔らかな頬を一つ撫でると、くすぐったかったのか、むにゃむにゃと気の抜けた笑みが浮かんだ。
可愛さの臨界点越えである。
「困った。早くも良い事に遭遇してしまった」
もう一度頬を撫でつつ、ハンドルにあごを置いてうめく。
これでは残りの全工程が、苦行一色になるのでは、という
「……いや、幸先良しと捉えよう」
キリリと前をにらみ、そう宣言。
限界突破の愛らしい寝顔に鼓舞され、珍しくも前向きになるクライヴであった。