昼食のサンドイッチを二人で平らげ、紅茶のおかわりにミルクを注いでいると。
ジジーッとこもった音で、呼び鈴が鳴った。
ついクライヴを仰ぎ見るが、彼も来客の覚えはないらしい。どこか
「なんだよ、飛び込みの客か?」
首をひねりつつ、ヘザーがソファから立ち上がる。
以前は来客対応もクライヴが担当していたが、
「こういう仕事こそ、秘書の仕事じゃねぇの?」
「しかし女性だけを立たせては――」
「出会い頭にアンタの暗い顔は、気が重いって」
というヘザーの暴言によって、彼女が初動対応を行うようになった。
いつ世界遺産に指定されてもおかしくない美貌の秘書 (しかし事務作業より肉体労働が得意だ)のおかげもあってか、徐々に依頼人は増えつつある。
とはいえ、こんなお昼時には珍しい。
「はいはい、お待たせし――なんだよ、オッチャンか」
重厚な扉を開けると、立っていたのは顔見知りの郵便局員だった。
彼も気安い態度で、縦長の大きな荷物を抱え直しながら笑う。
「なんだはご挨拶だな」
「だって客だと思ったし」
「ぬか喜びさせて悪かったね。代わりにこれ、君んとこの所長さん宛だ」
「おう、ありがと」
郵便局員から縦に大きな荷物を受け取り、彼を見送ってから扉を閉める。
見た目に違わず重量感のある箱だ。花柄の包装紙が、ぴっしりと外側を覆い隠している。
クライヴも一応はお金持ちの子なので、金のかかる芸術品の類だろうか、などと考えつつ。
彼に、両手で抱え持った荷物を差し出せば
「それは君の物だ」
と、ヘザーの代わりにティーセットや皿の後片付けをしていたクライヴに、あっさり突き返された。
全く身に覚えがないため、ヘザーの藤色の瞳はキョトンと丸くなる。
「オレの? どういうこと? 開けていい?」
「ああ」
宛先人から許可を得たので、空っぽのローテーブルに荷物を置き、自身もソファに座りなおす。そして包みを、ガサツかつ豪快に開けた。
クリスマスの朝の子どものような、愛らしい包装紙への配慮ゼロっぷりを、クライヴは標準装備のジト目でじぃっと観察する。
「やはり君は、躊躇なく破り捨てるんだな」
「んだよ、悪ぃかよ」
「いや、予想通りだと思っただけだ」
「あぁ?」
だが続く反論は、箱から出てきた品物によって
荷物の中身は、女性物のドレスや小物類だった。
レモン色や水色といった、淡い色合いのドレスはどれも薄手の布地で作られている。それらに合わせるように、レース素材のショールや手袋、あるいは日傘まで入っているのだ。
「その――春物の服だ」
呆け面でドレスをつまみ上げるヘザーに、クライヴが強張った顔で告げる。緊張しているらしい。
その言葉で、ヘザーは跳ねるように顔を持ち上げてクライヴを見上げる。
「春物? オレの?」
分かりきった問いに、クライヴはげんなりと口角を下げる。
「俺が着たら狂気の沙汰だろう」
「それはまあ、うん。着たらちょっと……うわぁ」
露骨に顔をしかめてソファの上で後ずさったヘザーへ、慌ててクライヴが距離を詰める。
「想像するな、距離を取ろうとするな! 俺は着るつもりなど、一切ない!」
「やだなぁ、冗談じゃねぇか」
「君の冗談は、度々
けらけらと屈託なく笑われ、クライヴは首の後ろに手を当てつつため息。
「……最近暖かくなって来たので、新しい物が必要かと思い注文した。兄上も、冬服しか用意出来ていなかっただろう?」
「あ、うん」
己の着ている、ベビーピンクのドレスをちろりと見る。色合いは爽やかだが、たしかに生地は少し分厚い。
新陳代謝のいいヘザーとしては、たしかに最近暑さを感じがちであった。
「兄上がドレスを注文した店で頼んだから、サイズは合っているはずだ」
「あー……それって、アレじゃねぇの? めちゃくちゃ高ぇんじゃ……」
「今回は既製品のサイズを直しただけだ。この程度なら問題ない」
ぎこちなく笑ったクライヴだったが、次いで伺うようにヘザーを見つめる。
「君の好きそうな、動きやすいデザインを選んだつもりなのだが……問題はない、だろうか?」
心細そうな表情に、ヘザーの乙女心ががっしりと羽交い絞めにされた。頬も色づく。
「あっ、えぅ……」
照れ隠しもあり、手元のドレスを不必要なまでに凝視した。
さすがは高級店仕込みと評すべきか。ドレスはいずれも、細部にレースや刺繍やビーズの飾り付けが施された、大変手の込んだ代物だ。
素人目にも「この程度」と受け流せる服ではないことぐらい、分かる。
一方でドレスの全体に視野を広げれば、華美過ぎない、ほどほどに簡素なデザインで統一されていることに気付く。
彼の兄――に取り憑いていた悪魔が用意した冬物ドレスは、どれもこれも豪華かつ動きづらいブツばかりだった。
最低限度の装飾に留めてくれた春物は、ヘザーの希望 (つまり上下ジャージ、あるいは作業着である)通りではないにしても、ずっと希望に歩み寄ってくれていると言えよう。
その配慮が嬉しく、ヘザーの表情もほころぶ。
「うん、ありがと。オレもこっちの方が好き」
「そうか。日頃の礼も兼ねて、今回は一人で選んだのだが……」
言葉を切ったクライヴが、ヘザーの隣に腰を下ろす。
「その、夏服は……よければ、二人で見に行かないか?」
これはひょっとしなくても。
デート、のお誘いなのでは。
察した途端、みるみるうちに全身が熱を帯びた。乙女スイッチの全力点灯である。
両手で持ったままのドレスで顔を隠して
「……別に、いいけど」
ぶっきらぼうに応じつつ、ドレス越しにちろりと彼を盗み見れば。
事務所の依頼人にも
しかも目が合っていると気付くと、深緑の瞳がますます嬉しそうに細められた。
(ふっざけんな! どんだけギャップ萌え狙って来やがんだよ!)
その笑みを直視した瞬間、ときめきと
そんなあからさまな照れ隠しをする彼女を、クライヴはしげしげと眺めていた。暗い顔が、なんとはなしに楽しそうでもある。
「ヘザー。耳と――首まで赤いようだが」
「見てんじゃねぇぞ、このどエロ野郎」
頭上からの含み笑いが混じった声に、つい喧嘩腰で返してしまった。
出家すべきなのは、クライヴでなく自分なのかもしれない――そんな危惧が、彼女の中に芽生えた。
だがヘザーは、一度修道院をおさらばした身の上であり。
出戻り出家が許されるのか、しばし真剣に悩むのであった。