「花琳ちゃーん。
もう、私も出るけど。
ちゃんと起きてごはん食べてよ?
また帰ってくるまで寝てたとかやめてよ。
じゃあ、いってきます」
「……はーい」
ドアの向こうから聞こえた母の声におざなりな返事をし、起き上がる。
「……眠い」
それでも頭はぐらぐらし、そのまま布団に突っ伏しそうだ。
「顔洗ってこよ……」
ふらふらとベッドを出て洗面所へと向かう。
ここのところ、とにかく眠い。
眠くて眠くて堪らない。
寝ていていいと言われたら、延々寝ていられそうだ。
「ごはん……食べたら……目も覚める……かも……」
顔を洗ったものの頭ははっきりしない。
キッチンでとりあえず、母の用意してくれていた朝食を食べた。
「……はっ!」
頭がかくん!と落ちた衝撃で、目が覚めた。
「ヤバい、寝てた……」
ごはんを食べている途中だというのに寝てしまっていたのには笑えない。
おかしい、絶対におかしい。
いったい、私の身体になにが起こっているんだ?
来週からは店でのバイトも始まるのにこれでは困る。
ごはんを食べたら幾分目も覚めたので、リビングのソファーに座って携帯で検索をかける。
「【過眠】、と」
原因は様々だが、ストレス以外に心当たりはない。
だとしたら病気なんだろうか。
「うーっ」
なんとなく思うところがあって【妊娠 眠い】で検索をかけてみる。
「可能性、大だな……」
そこには妊娠初期の症状として眠気が書いてあった。
月のものが遅れている。
あのたった一回で、とは思うが、可能性はゼロではない。
「……ドラッグストア、行ってくるか」
重い腰を上げ、自分の部屋に戻って出掛ける準備をする。
検査キットを買ってこよう。
あれこれ考えるのはそれからだ。
結局。
検査キットを買ってきてやってみた結果は陽性だった。
「どうする?
どうするよ?」
最初から宣利さんに知らせるという選択肢はなかった。
別れてしまった今、迷惑をかけるわけにはいかない。
それに慰謝料としてもらったお金で十二分に子供を養える。
「とりあえずお父さんとお母さんに相談だよね……」
そっと自分のお腹を撫でてみる。
困った事態にはなったが、不思議と後悔はなかった。
今日、父は接待で帰りが遅い。
母とふたりなのはラッキーだ。
「花琳ちゃん、眠いのはどう?」
心配そうに母が聞いてくる。
今日も夕食を母が作ってくれて、大変申し訳ない。
「……眠い」
今だって気を抜くと眠りそうになる。
しかしこれが赤ちゃんがもたらすものだと思えば、仕方ないと割り切れた。
「ほんと、どうしちゃったのかしら?
一度、病院行く?」
「あー……。
赤ちゃん、できた、……かも」
曖昧に笑って母の顔を見る。
「……は?」
なにを言われたのか理解できないのか、一音発したまま母は固まった。
「え?
今、赤ちゃんができたって言った?」
一瞬のち、おそるおそるといった感じで母が聞いてくる。
「うん。
言った」
「それって、宣利さんの、子供?」
「そうだね。
てか、それしかないね」
当たり前のことを聞いてくる母に苦笑いしてしまうが、そうするしかできないのだろう。
「まあ!
花琳ちゃん、どうするの!」
いきなり母がテーブルを叩いて立ち上がり、食器がガシャンと派手な音を立てた。
「まあお母さん。
落ち着いて」
「落ち着いてって!
花琳ちゃんこそなんで、そんなに落ち着いてるのよ!?」
「あー……」
母が興奮気味に詰問してくるが、それはもう私の気持ちは決まっているからだろうな。
「なんか、ね。
この子がお腹にいるってわかったとき、凄く嬉しかったんだ」
宣利さんと私の子供。
これが宣利さんが私に伝えたかった気持ちなんじゃないかと思えた。
それであのとき、避妊しなかったんじゃないかな、って。
だから産む以外の選択肢なんてなかった。
「宣利さんが私に与えてくれた、数少ないものだから。
絶対に産みたい。
お母さん、お願いします。
この子を産ませてください」
精一杯の気持ちで頭を下げる。
ダメって言われたら……家を出るか。
なんといっても私にはあの三億があるから、どうとでもなる。
「花琳ちゃん、頭を上げてよ」
こわごわ、頭を上げて母の顔を見る。
「花琳ちゃんが気持ちを決めてるなら、もうなにも言わない。
安心して子供が産めるようにサポートするわ」
私と目をあわせ、母がにっこりと笑う。
反対される心配はそれほどしていなかったが、それでもほっとした。
「でもね」
産んでもいいがやはりなにかひと言、もの申したいのかと背筋を伸ばす。
「宣利さんには知らせたほうがいいと思うわ」
「うっ」
しれっと母はお茶を飲んでいる。
さすが母親というか。
私の考えはお見通しなんだな。
父には母から伝えてもらえることになった。
自分の部屋に戻り、携帯片手に唸る。
「うー、あー」
伝えたら、宣利さんがどう思うのかさっぱり想像できない。
わかるのは追加で今度は養育費が振り込まれそうだっていうのくらいだ。
「……とりあえず、病院行って確定してからにしよ」
そうだそうだ、まだそうだろうという段階なのだ。
……高確率で確定だけれど。
はっきりわかってから知らせたほうがいいに決まっている。
こうやって私は、先延ばしにしたんだけれど……。
病院へ行ったら妊娠が確定された。
父も私が宣利さんの子供を産むのに反対はないらしい。
ただ、今の状態では働くのは無理だとバイトを断ってくれて本当に申し訳なかった。
また時間ができてしまったので、資格取得の勉強時間に充てる。
「はっ」
とはいえ眠気との戦いなので、しょっちゅう寝落ちているが。
今日は携帯の通知音で起こされた。
「誰……?」
父か、母か、それとも出戻ってきていると知っている友人かと携帯を見る。
「うっ」
しかしそこに表示されている名前を見て、まるで責められているかのように息が詰まった。
「なんで宣利さんから……」
おそるおそるメッセージを開く。
あれからまだ、彼には妊娠を教えていなかった。
共通の知り合いがいるわけでもないので、誰かから彼に伝わるはずがない。
じゃあ、なんでメッセージなんか……。
【君のものが出てきたので渡したい。
都合がいいのはいつか】
「へ?」
想像したものとは違っていて、変な声が出た。
のはいいが、渡したいって?
【わざわざ持ってきていただかなくても、送っていただければいいですが?】
そうだ、別にそんな手を煩わせる必要はない。
それこそ合理主義の宣利さんは嫌がりそうなのに、なんで?
【直接会って渡したい。
いつ、都合がいい?】
なんで彼がそこまで拘るのかわからないが、若干苛ついている空気を感じ取ったので、都合のいい日を送る。
そのまま会う場所を決めてメッセージは終わった。
「ほんと、なんなんだろう?」
あの人の考えることはわからない。
離婚前も、した今も。