「あちらに未練はないよ。
「……そうですか」
「わかってくれた? よかった」
「えぇほんとうに。危うく強硬手段に出るところでした」
「えっ、なんだって? 強硬手段?」
「もし帰ろうとなされても、全力で阻止するつもりでした。具体的には黒皇なしでは生きていけなくなるまで、これでもかというほどお嬢さまを甘やかして溺愛して」
「ちょっ、ちょっと待って黒皇! ストップ!」
真顔でなんてことを言うのだ、この烏は。
口早にまくし立てる黒皇をなんとか押しとどめ、
「落ち着いて。私はどこにも行かないと言っただろう? 君、こんなに押しが強かったかい?」
「もちろんお嬢さまを信じております。それでも不安になるのです。もう二度と、喪いたくないのです」
そうだった。じぶんのことばかりでいっぱいいっぱいだったが、黒皇も、早梅が殺された光景を目の当たりにしているのだ。トラウマになっていないわけがない。
そもそも、
なぜ黒皇に、凄惨な光景を見せたのか。
わからないことばかりではあるものの。
「
わけもわからず飛ばされたこの異世界でも、早梅の名を呼ぶ声がある。それは運命という
「瓏池をおとずれるたび、考えていました。この右眼に瑠璃をはめ込んだなら、あなたさまの兄になれるのでしょうか、と。兄のように接すれば、がまんできると思ったのです」
ほほにふれた手のひらは熱く、早梅を映した黄金の隻眼は、とろりと甘い。
「でも、むりでした。この想いは止められない。『兄』でも『友』でも、満足できない」
「黒皇、私は……」
「
「黒皇……」
「紫月さまは、ああ見えて、こころの広いお方なのですよ」
そういえば、紫月は言っていたか。
おまえが呼んでいい名は、第一に紫月、第二に黒皇、と。
(紫月が寛大になるのも、黒皇だけだと思うけどな。……そっか)
黒皇だから。黒皇ならば。
紫月も、ゆるしてくれるだろうか。
──ばかだな。
おまえのこころなんだから、おまえの好きにすればいいだろ。
すこし拗ねたような声が聞こえた気がして、笑ってしまう。
「早梅さま、ふれたいです」
「うん」
「ふれても、いいですか」
「……うん」
黒皇も笑みをもらし、熱をもった早梅のほほをするりとなでる。
片腕で華奢な肩をささえたなら、親指の腹を桃色の唇に添え。
「……んっ」
そっと落とされる口づけ。
「愛しています、早梅さま」
耳朶にふれたささやきがくすぐったくて、身をよじっても、たくましい腕にとじ込められるばかり。
「黒皇……えっと」
「ごめんなさい、待てません」
「ふぁ……んっ」
しっとりと濡れた早梅の唇が、やわく食まれる。
黒皇にほほをつつみ込まれ、ちゅ、ちゅ、とくり返しついばまれる。
(想いが伝わってくる……きもちいい)
こんなにやさしいふれあいを、早梅は知らない。
「私のことも、すこしずつ、好きになってくださいね」
いまさらなんだよなぁ、とは思いつつ。
夢のような心地に身をゆだね、かさねられる唇の感触に感じ入る。
「早梅さま……すきです」
「黒皇……んっ」
「早梅さま……私の、早梅さま、だいすきです……っん」
しだいに深くなる口づけの合間に、舌先がさし込まれ。
「へいふぁ……んん……」
くすぐるように、じゃれつくように。
やさしく絡められるそれは、肉欲というより、慈しみに満ちあふれていた。
深い慈愛と情愛につつまれ、ふわふわと、早梅はしあわせな心地になる。
あぁこれは、やめられない。
気の済むまで溶かしあった熱い吐息は、果実のように甘くて、癖になりそうだった。
* * *
ゆるやかに流れる日々のなかで、たしかに変わっていくものがある。
「早梅さま。私も、踏み出してみようと思います」
黒皇はもう、自身を『
「
黄金の隻眼は確固たる意志をたたえ、じっと早梅に向き合う。
こころが決まっているなら、早梅がああだこうだと口を出すまでもない。
「そうかい。私にできることがあったら、言ってね」
「ありがとうございます」
きっとこれからも、良いように変わっていくだろう。
そんな確信をいだき、ほほ笑み合った、朝のことだった。
室の扉越しに、呼び声がひびく。
「
「
「
──もしかして、怒ってる?
明朗な晴風らしからぬ異変を、早梅だけでなく、黒皇も感じとったらしい。
なんとも凄みのある発言の理由はわからないまま、顔を見合わせ、早梅は「わかりました」と伝えることしかできなかった。