翌朝、木陰から漏れて揺れる太陽の眩しさで、わたしは目を覚ました。蓮さんはもうすでにベッドにはいない。彼が寝ていた部分に触れると、温もりだけがまだベッドに残っている気がした。
昨夜は蓮さんの腕に包まれ、胸の高鳴りを感じながら眠りについたはずなのに、わたしのメンタルはなかなか強靭だ。いつもより心地よく、ぐっすり眠れた気さえする。
キッチンのほうからボウルを菜箸でかき混ぜている音が聞こえる。この音は……いつもの薬味入り厚焼き玉子かな。
バスルームで顔を洗ってから、わたしはダイニングへ向かった。
「おはよう、蓮さん」
キッチンとダイニングを隔てるカウンター越しに朝の挨拶をした。昨夜、わたしを抱きしめた蓮さんの精悍な身体を思い出して、なんだか照れてしまった。
たしかに、恋人の雰囲気に近づくのには成功したかもしれない。恋人たちがベッドの中でするようなアレコレは、何ひとつしていないんだけど。
「おはよう。もうちょっとで朝食できるから」
蓮さんもわたしの方を見て、少しはにかんで微笑んだ。朝の光が、その笑顔を一層輝かせているようだった。
だけどよく見ると、目元が赤く、いつもより少し眠そうに見える。寝不足気味の蓮さんも、プライベート感たっぷりで絵になるけれど……。蓮さんはチームを束ねる係長だ。仕事に差し障りが出たら、それはそれで困る。
「わたし、昨夜蓮さんのこと蹴飛ばしたりしてないよね? やっぱり、寝室は別々にしたほうがいい?」
朝の光りに彩られながら、コーヒーを注ぐ蓮さんの横顔があまりにきれいで、思わず見とれながらわたしは言った。「そうだね」と返事されたらショックを受けるだろうなと思いながら。
「それは大丈夫。ちょっと仕事で計画通り進んでいない案件があって……。僕から対処を促すべきかどうか考えてたんだ」
コーヒーがなみなみと注がれたカップが手渡される。わたしはお礼を言って受け取った。これからも近くで寝ていいんだという気持ちが、心にじんわり広がった。
「それじゃ、しばらく忙しいかな?」
「忙しくなるのは年明けからで、今は比較的落ち着いてるかな。どうかした?」
この間、明日香ちゃんと通話したときから聞かなくちゃと思っていたことを、ついに聞けるときがきた。
「長野の友達とこの間話して、来週、地元で集まろうってことになったんだけど。蓮さんも一緒にどうかな?」
蓮さんから、厚焼き玉子とガーデントスサラダが載ったプレートを手渡された。なんだか至れり尽くせりだ。お礼を言ってテーブルにつく。
「そうだね。薫のご家族に挨拶できるいい機会でもあるし、薫の友達にも会ってみたい。一緒に行こう」
わたしは少しホッとした。気が重かった案件が、ひとつ片付くときのような気分だ。
そのとき、蓮さんは思い出したように言った。
「小道具を用意しなくちゃね」
「小道具?」
「婚約指輪」
蓮さんの指がわたしの薬指に触れた。カジュアルな感じではあったが突然の優しい感触に、わたしの心臓は思い切り跳ね上がり、サラダの上で傾けていたオリーブオイルが想定の倍以上かかってしまった。
この人は本当に……どうしてこんなに簡単にわたしの心を掴んでしまうんだろう。
「明日、会社の帰りに待ち合わせて、一緒に選ばないか?」
さっきから、心の中で蓮さんのことばかり考えているなんて絶対に悟られたくない。ちょっとぶっきらぼうを装って、なんでもないように「了解、ボス」と言った。
「ボスは君だよ。好きなのを選んでくれ」
蓮さんは、また目を細めて微笑む。この人は、笑うと少しだけ目じりが下がって、なんだか幼く見える。
わたしの中で、蓮さんという人間の輪郭が少しずつつくられて、特別な存在になっていくのを感じた。なんだかくすぐったくて、嬉しくて……そして切なかった。