都市の深くにある下水道。暗く、どこまでも音が反響するこの場所で俺たちは二人、全身から血と力を振り絞って戦っている。限界を超えた筋肉と骨からは熱と蒸気が溢れ、もう目の前のそれを倒すことしか考えられなかった。
四本腕の
「あとどのくらいだ
「あと四手か五手だ!回転上げるぞ!」
目の前の概怪は俺の拳を全て受け流し、手が塞がっている俺にチョップを振り下ろす。しかし、それが俺に直撃することはない。
『停止!』
俺の精神操作によってその概怪は動きを止め、生まれた隙に回し蹴りを叩き込む。宙を回転しながら飛んでいく概怪、仮面の男はその背を思い切り踏みつけて下水に叩き落す。水の中で正気に戻り暴れる概怪。それを彼は光の鎖で拘束すると、水中から飛び上がりながら奴に向けて手をかざした。
「
瞬間、
谷口が着地する。お互い、既に『司祭』としての力の百パーセントを飛び越えていた。
「藍川!相手を自害させるのはあと何回使える!?」
「はあはあ……ラス1だ!」
「上等!」
氷を割って動き出した概怪は四本腕で印を結ぶ。途端に地面から生えた植物状のツルが暴れ、俺たちを殺そうと襲いかかる。俺はそれら全てを回避しながら接近し、谷口の方は法術の雷でそれらを全て撃ち落とす。間合いに入ると、こちらを待ち構える四本腕の概怪は再び手で印を結ぶ。鱗粉のような粉が目の前で瞬いた瞬間、強烈な光を発しながらそれは盛大に爆発する。
しかし、それは既に心を読んで分かっていた。
「引導だ馬鹿野郎!」
直前で姿勢を落として爆撃を殆ど回避すると、概怪に全力の拳を叩き込む。三本腕を使って防ごうとするも威力を殺しきれず、その概怪は腹への衝撃に悶絶していた。だがしかし、奴にはまだ印を結ぶ手が一つ残っていた。それが動き出す。
「
谷口がすんでのところで光の鎖を概怪の腕に巻き付け、奴が印を結ぶのを阻止したのだ。これでもう奴には文字通り打つ手がない。概怪に飛びかかる谷口と俺、彼のかかと落としと俺の膝蹴りが直撃し大きな隙を生む。衝撃で骨にいくらかヒビが入ったがもうそんなことに構っている場合ではない。
苦しみながらなおも抵抗しようとする四本腕の概怪。世界に古来から存在する概念の怪物。
『自害』
司祭の権能は概怪の使う力と殆ど同じ、概念の力。心の司祭である俺の精神操作は、心ある全ての生き物の尊厳を踏みにじる。命令を受けた目の前の概怪は悶え苦しみながら自分の腹に腕を突き刺し、中身をまさぐると遂に力尽きてその場に倒れた。二時間以上かかり、ようやく倒せたようだ。
安堵しその場に崩れ落ちる俺。
「やっとか……長いんだよ」
「ダメージが蓄積されたおかげで、今のがとどめになったようだな」
「加減しないと死ぬのは俺だからな……おえっ!」
猛烈な吐き気の幻覚に襲われて意識が朦朧とする。最悪の気分だ。この権能はただでさえ気分が悪いというのに、使った後に反動が来るというのだからやっていられない。相手の心を操るなんて、俺にはあまりにも向いていない。
苦しむ俺の側に谷口がやってくる。
「大丈夫か藍川……かなり精神に来てるな」
「も、問題ないさ……でも……当分はごめんだな」
「今回は過去最悪の概怪だぞ?こんなことが当分来てたまるものか」
その時、彼が大きく何度も咳き込む。よく見ると仮面の下から血がこぼれ出していた。どう見ても肺をやられてしまっている。
「さ、流石に……司祭の頑丈な体でもキツイな」
「……早く救援と回収部隊を呼んで帰ろう……谷口も限界だろ」
「なに、お前程ではない」
お互い、内臓も骨もボロボロだ。ただの人間であれば何百回は死んでいただろう攻撃を、この身で受け続けたのだから無理はない。
彼の手を借りて起き上がる。戦闘の音は既に消えており、辺りは静寂に包まれていた。もうここには俺たちと瀕死の概怪しか居ない。さっさとこれを回収し、事態を隠蔽してなかったことにするのが俺たちの仕事。今日はこれで店じまいだ。これ以上の仕事は命に関わる。
「二週間後に引っ越しするんだよ……俺」
「やめておけ……その体ではキツイだろう」
「戦闘と比べたら遥かにマシさ」
二週間もあればそこそこ治る。不便もあるが便利な体、それが司祭。とは言え、もうこんなことはしたくないというのが本音だ。肉体的にも精神的にも、俺は特に精神的にキツイ最悪の仕事。しかし、代役をやれる人間が居ない以上まだ隠居することはできない。まだ、止まるわけにはいかない。
「……引っ越したら、
長い夏が始まろうとしている。世界で一番長い夏が、すぐそこまで迫っている。