第14話「修学旅行 前編」

ある日、長空北高校2年生は来週の修学旅行に向けた準備に取り組んでいた。男女別に5人組を作り、各自の希望でグループになって、2日目に大阪と奈良のどちらへ行きたいか話し合う。修学旅行は、朝の東京駅集合。新幹線で、初日が京都、2日目が大阪か奈良で好きな方を回れる。3日目は京都のバスツアーで、そのまま京都駅から新幹線で帰る。宿は京都だ。中学時代の修学旅行で京都・奈良・大阪方面へ行った者は大勢いる。高校生になった今どのような街並みに見えるか、過去に見た時を思い起こして比較させる狙いが、長空北高校の修学旅行にはある。そして自分の人間的成長の発見になれば良いということだ。


神楽りおは、横山みずき、田原えみかと3人組は作れたものの、そこから増えなかった。他のグループが女子の8人組と8人組で分かれていた。ここから5人組を3つ作ると1人あぶれる。


えみかが、


「神楽さ~ん、あの女子連からあぶれた人が仕方なくウチに混ざるんですよ~」


と言う。


みずきも、


「ウチらが嫌われているかのような錯視を覚えるよな」


と言う。


するとクラス担任が、一人で窓際に佇んでいた中嶋ゆずという生徒を連れて、りおのもとへ来た。中嶋は、所謂ボッチだった。帰宅部である。入学以来部活に入らずにいたら、成績も良くないため、友達が出来なかった。クラス担任は、中嶋をグループに入れて欲しいと言う。


中嶋は、無秩序に伸びた長い黒髪の隙間から、眼球を覗かせて、


「ごめんなさい。ごめんなさい」


と言いながら、りお達の輪に入ろうとする。


みずきが、


「何がごめんなんだ。中嶋さんだって生きているだろう」


と言う。


えみかが、親切そうに、


「中嶋さ~ん、ここなら大丈夫よ~」


と言う。


りおは、


「中嶋さんは、大阪と奈良だと、どっちに行きたいの?」


と聞いた。


中嶋は驚いて、しばし沈黙した後、ゆっくりと口を動かして答えた。


「ひゃっ!」


「うぅんと!」


「・・・お」


「・・さか」


みずきは


「大阪だよな!ハイハイハイハイ!決まりましたよ!」


と言った。




みずきは、


「大阪で~す!」


と言いながら、8人ずつに割れていた女子連16名の元へ歩み寄ると、要は、大阪に行きたい人しか受け入れられないというアピールをした。その甲斐があって、泉岳きらりという女子サッカー部の生徒が、りおのグループに入ることになった。


泉岳は、女子連からみずきに連れ出されて、ツカツカとりお達の所へ歩いて来た。


「奈良はない!よろしく!」


空いている席に座り、りおがまとめ役の話し合いに加わろうとする。焦げ茶色の髪と、異様にパッチリした目。髪は二つ縛りで、肩甲骨の辺りまである。胸が大きく、突き出ていいて、上半身はシッカリしていた。


泉岳は、家の都合で昔大阪にいたことがあって、また巡りたかった。話し合いで難波と梅田の両方に行くことが決まっていたが、どちらを先に見て歩くか、他にはどこへ行くかなど議題が残っていた。


「難波の方が断然楽しい!難波の方が気に入ると思う。案内してやる」


泉岳は、率直な言葉遣いが、少し勇ましい気質の女の子だった。女子サッカー部ではエースストライカーをしていてチームを牽引していて、そのせいもあり、人を恐れず話す。


りおは、


「新世界行きたいな」


と言う。


泉岳は、


「カルチャーショックって感じの旅にしたいなら新世界は絶対行ったほうが良い」


と言う。


泉岳は中嶋をジロッと見ると、


「よろしく」


と低い声で言う。


中嶋は、


「た、たくさん喋る人が来て、まぁ、良かった、うん。決めてくれるのが、すごく、う、うれしい、楽しみで仕方がない」


と言った。中嶋はボッチ生活が長くて、日本語が特殊だった。


修学旅行1日目の東京駅。団体集合場所に集まった学生服の集団は、皆、高鳴る胸を抑えきれずにいた。長空北高校は進学校だけあって、こんな時でも英単語帳を開いて勉強をする者もいた。泉岳は部活動の熱心さが高じて学業成績は悪く、勉強道具を持参したクラスメイトをからかった。そして、これから訪れる非日常への期待感を募らせていた。


「神楽は恋人と離れ離れだけど平気か?」


「平気だよ。やっぱり皆知っているんだね」


泉岳は、浦川辺あやとりおが交際していることを知っていた。いま学校で知らない者のほうが珍しいから仕方が無い。


泉岳は、


「浦川辺以外にも好きな女の子はいるのか?」


とりおに聞いた。


りおは、無言で首を振って「いない」とジェスチャーした。率直な質問だったが、声で、泉岳に敵意や悪意の無いことが直ぐに分かり、自分の同性愛をもしかしたら理解してくれる人かもしれないと期待もあって、嫌な顔をせず答えたのだった。


「それは遠慮?」


「遠慮しているわけではないよ」


新幹線でも、皆がカードゲームをしている最中に、泉岳が、


「元子役・浦川辺あや」


「委員長風・神楽りお」


「禁断の交わり」


と読み上げるように言い出した。


みずきは、頷いて、


「りお、悪気はないんだ、でも広まってしまって。修学旅行では風呂入ったり一緒に寝たりするから、りおがどういうつもりで浦川辺さんと付き合っているのか私達には打ち明けて欲しい」


と言う。


りおは、


「やめて、恥ずかしい」


と言い、嫌らしいことをするために付き合っているんじゃないという事と、同性愛者は同性愛者である事を受け入れてくれる人でもあるから嬉しいのだという事を打ち明けた。


泉岳は、


「次は、トランプにしよう。大貧民。負けた人は好きな男子を白状すること」


と言うと、りおが、


「大貧民、いいね。ダウトもやろうね。そういえば富士山見えるかな?」


と言う。


泉岳は、


「まだ早いよ。新横浜を出たばかり」


と言った。


カードゲームのカードが配られ、一同無言。真剣な面持ちで手札を確認して、誰しもが隣に見られないように胸にカードを押し付ける。新幹線は颯爽と、静岡、名古屋、滋賀を抜け、京都駅に到着した。


京都駅からは各班自由行動だ。古都としての顔と、現代日本の主要都市としての顔を持つ京都は、一概に語ることのできない風勢がある。有名だが、赤系統の色を建物の装飾で用いることは禁止されており、このルールは京都の街が持つ権威性を浮かび上がらせる。東京民には、京都にやって来たというだけで旅路の達成感がある。これは何百年経っても失われない京都の持つスピリチュアルな魅力だろう。


りおは、


「中学時代は鹿苑寺金閣が綺麗だなって思っていたけれど、今見ると東山慈照寺銀閣も瀟洒で素敵だね」


と言って、写真を何枚も撮った。


「神楽。そんなことより、昼飯の錦糸丼を忘れないでくれ」


と泉岳が言う。


「壁に向かって坐るのが曹洞宗、対面して坐るのが臨済宗。鹿苑寺金閣も東山慈照寺銀閣も臨済宗のお寺だね」


と、りおが言う。


「臨済宗のほうが幕府権力と結びついていたのかな?」


と、みずきが言う。


「京都五山だね。鎌倉五山も臨済宗のお寺だから、鎌倉時代からのものかな」


と、りおが返した。


「宗派覚えてんのがすごいな。浄土教と禅の違いしか分からん」


と、泉岳が言うと、中学から進歩のない泉岳をみずきがクスクスと笑った。


泉岳は、不覚にもみずきの残酷な笑いに怯んだ。確かに高校に入学して以来、女子サッカー部の活動に夢中で勉強を疎かにしてきた。成績は良いに越したことはないが、ポリシーで成績が悪い。それでも成績が上の下くらいのみずきに嘲笑されると、異様に現実的な実感を連れてきて、自分も少しは頑張って勉強したほうがいいのかと思えてくる。


長空北高校は進学校で、生徒達は中学自体であれば皆が成績優秀だった者だ。そのような集団でも成績上位層にいるりおは、泉岳にとって予てから意識する存在だった。


「神楽は文芸部だっけ。部活もちゃんとやってるのに偉いな」


泉岳は、内心、文化部の文芸部なんて大して辛くもない、自由な遊びだと思っている。女子サッカー部の方が辛いし拘束時間も長い、泉岳は特にエースストライカーだからチームを牽引する立場でもある。それでも、りおのことは尊敬していた。


「女の子が好きってどういう感覚なんだろうな」


と思った。好意的な興味関心を道中、りおに抱くのだった。りおが横断歩道の信号待ちで、見知らぬ街の車道の際に立っていたから、泉岳は、そっと、りおの学生服の端っこを握ってもっと奥で立つようにジェスチャーした。握り込んだ学生服の端っこから伝わってくる生命体の感触が、意識した者の形をイメージさせる。そういえば顔の白黒が異様にはっきりしているなと思った。


京都の街並みは、泉岳の感情を見守るような、独特な優しさの見知らぬ風景だった。りおは、東京に帰れば恋人がいる。泉岳は、りおの一挙手一投足で胸が熱くなる。


「神楽。この後は宿に行ったら、私達はすぐ入浴だから」




旅路は始まったばかりだ。


夜。夕食と入浴を済ませた一同が、中嶋の持って来た漫画読んでいた。りおは、5人部屋を出て、宿の廊下で携帯電話のアプリを開いて、あやに連絡を取っていた。息災なく旅をしていることを伝えた。そのような中で、りおは、風呂場で見た泉岳の大きな胸が気になっていた。修学旅行で仲良くなった友達に、自分にはない肉体の特長があって、思わず食い入るように見てしまった。部屋では、今頃どのような話題をしているのだろうかと思いながら、アプリで、あやと連絡を取っていた。




中嶋の持って来た漫画を読む一同の静寂を切り裂いて、みずきが、


「りおの肉体を真っすぐ見れなかった」


と言うと、一同ハッとした。刻一刻と就寝時刻が迫る中、りおが同性愛者である事は、考えてはいけない修業のようなテーマだった。


その閉じた蓋が開いた。


泉岳が、


「神楽は、風呂場で『俺の』パイオツを頻りに見ていた」


と言い、みずきに向かって、


「今宵は『俺の』肉体が身代わりだ」


と言う。


みずきが、


「今日はりおが寝るまで寝るな」


と言う。確かにりおは、まじまじと泉岳の大きな胸を見ていた。恐らく浴場に居た多くがその実態を目の当たりにしただろう。そう思えるほど大胆に恍惚と眺めていたのである。




泉岳なりに機転を利かせて、


「そろそろ話さないか?」


と嬉しそうに中嶋を問い詰めた。


「え?」


「新幹線の大貧民で負けただろ。『好きな男子』を言えよ」


「あ、ま、前田君、ちょっと好き」


その瞬間空気が変わった。


泉岳は、


「あぁ、前田か」


と言う。


えみかが


「私も~、前田君ちょっと好き~」


と言う。


中嶋は、


「前田君より大きな人もいるのに、前田君がバレー部を率いているのがいいな」


と言った。


えみかは、


「1年生のとき、私の目の前で歩行者用の信号機にジャンプしてぶら下がったの~」


と言う。


そして5人部屋で徐々に旅の想い出が語られていく。そこから発展して、今まで語らなかった自分の身の上話をするなどした。みずきは、どうやって彼氏園崎と仲良くなったのかとか、えみかはどうして吹奏楽部なのかとか、中嶋はボッチのままで平気なのかとか。雑談に花が咲いた。


すると、りおが部屋に戻ってきた。


みずきが、緊張した面持ちで、


「りお、どこで寝る?」


と言う。


泉岳は、無言でみずきの頭を軽く叩いた。


みずきの髪の毛が、ファサッっと逆立って、舞う。


「いいぞ。神楽。女の子同士」


そう言って、今度はりおに抱き着いた。


「仲良くなれてよかった」


と、りおが言うと、「うんうん」と泉岳は頷いた。泉岳とりおは、修学旅行で出来たほやほやの友情と、相手の肉体への関心を胸に、この日は早々と就寝した。明日は大阪だ。