第2話「浦川辺あや」

2022年4月11日。

新1年生の浦川辺あやは、すっかり学校の話題の中心になっていた。教室でも廊下でも、「可愛い」「あれ昔テレビに出てた『浦川辺あや』だよな」と話題になった。


神楽りおは、あやとの出会いが心に引っかかっていた。あやが彼女をまっすぐ見つめてきた瞬間、心の中で何かが動いた気がした。


横山みずきと田原えみかも、あの一瞬の出来事が気になるようだった。


えみかは、

「先輩にさ~、ああいうこと言いに来る後輩は、同性愛の志向があるに違いないよね~」

と言う。


みずきは、

「あれは冗談抜きで始まると思う。この地味な委員長風『神楽りお』と元芸能人子役『浦川辺あや』の『禁断の交わり』なんだと思う」

と言う。


りおは、

「確かにスゴイ可愛い子が突然迫ってきたようなドキドキ感はあったな」

と言った。


あやと同じクラスの1年生達は、あやと親しくなろうと試みていた。あやは明るく陽気な性格で人当たりはよかった。元芸能人だが気位を感じさせない存在だった。


ただどうしても苦手な質問があり「芸能界はどんな世界なのか?」とか、そういった趣旨のことを聴かれると、


「あははは!もう戻らない世界だから!詳しいこと全部忘れちゃったな!」


と、見かけは明るく言うのだった。あやは芸能界にはもう戻りたくなかったし、詮索もされたくなかった。察したクラスメイト達も、芸能界の詮索は可哀そうかなという空気だった。


誰かが「部活は何部に入るの?」と話題を変えた。


「つくりたい!」


あやは即答すると、クラス中が「おぉっ!」と溜息をついたのだった。この日は午前から午後まで、一日通して新入生オリエンテーションが行われ、新1年生は皆入りたい部活を選ぶために真剣に参加した。進学校と言えど、部活動は青春だ。そして、放課後になると、なんとなく出来たそれぞれの友達と共に教室を後にした。


放課後の男子トイレは、ささやかな男子会のための貴重な空間だ。

「浦川辺あや、超可愛いよな。絶対告白したい」

放課後の男子トイレは、そんな話題で持ち切りだった。


1年生の教室は校舎の1階。

2年生の教室は校舎の2階。


放課後の教室棟は、生徒がほとんどいない空間になった。


あやは、同じくらい身長の高い女子生徒と、自然と親しくなった。


「中学の頃もこうだったな!同じくらい背高い子と何かとペアだった!ボッチにならんよう頼む!あたしもボッチは嫌だからな!」


あやは明るく言った。相方は、雛菊さやという子だった。


「人懐っこいよね、あやちゃん♡あやちゃんって呼んでいい?よろしくね♡」

さやは、心なしか目をうるうるさせて言った。


「ありがとう!さやちゃん!」


あやとさやは、教室から廊下に出た。そして1階の階段下から2階に続く階段の踊り場を、不意にジッと見た。そして数秒間、誰かを待っているのか、絵画を描くような真剣なまなざしで、時計の音が聴こえるような数秒間、階段の踊り場をじっと見たのだった。


さやが、

「どうしたの?」

と聞いた。

すると、あやは、「ハァ~」と息を吐いてから、


「あの場所で泣いて『神様を頼った』記憶が何故かあるんだが・・・?」


と言う。


「・・・え?」


一瞬、あやとさやの空気がシンとした。


あやは、

「よく分からないけど、私が大泣きしたせいで『時間が巻き戻った』体験だけ記憶が何故か微かにあるんだよ。まるでここで何回か高校生活を送ったことがあるみたいに。でも具体的には何も覚えていない、誰と話していたかとか」

と言う。


そして、さやは言った。


「え~!なにそれ!気のせいだよ!気のせいだよ、帰ろ♡」


さやは、

「ねぇ?仲良くなれたし、マックかミスド行かない?楽しいな♡あやちゃん♡冗談もハイセンスだね♡」

と続けた。


さやは心の中で思った。

「あやちゃん、きっと特定の人と親しくなるの大変なんだろうな、あんな冗談まで言ってくれて、嬉しいな。どうしようかな言っちゃおうかな?言っちゃおうかな?」


そして、さやは言った。

「『あや』と『さや』って名前近いね~♡運命だね♡」

これに、あやは息を吹き返したように笑った。


放課後、りおは所属する文芸部の新歓で正門前でビラ配りをしていた。

「おねがいしまーす。おねがいしまーす」

前田よしともバレー部の新歓のビラ配りに駆り出されていた。

「バレー部は陰キャばっかりだよ」

よしとは、歯切れが悪く、笑いを誘っているつもりかと思う態度だ。

りおは、よしとに、

「なんで『陰キャばっかり』って言うの?陰キャしか入部しなくていいの?」

と聞いた。

よしとは、

「背の高い陰キャは全員回収しないといけないんだ」

と言う。


「うん?バレー部の方針なら部外者が口を挟んではいけないけど」

「わかってくれ。とにかく背の高い陰キャは全員回収なんだ」


りおは、これ以上詮索するのをやめた。


正門に、あやと、さやがやってきた。二人は、これから一緒にマックに行く。新歓のビラ配りのビラを沢山受け取って、嬉しそうにお喋りをしていた。


「わぁ~♡あやちゃん、栽培部があるんだね♡生物部があるのに栽培部が別であるんだって♡北高生物部は微生物以外育てたくないんだって~」


「入りたい部活入っていいよ、さやちゃん」


「えーっ、あやちゃんと同じがいい♡」


そんな風に会話をしていた二人が、りおに気がついた。さやは面識が無かったが、あやは挨拶をした仲だったから「また挨拶をしないといけないな」と思った。


「神楽先輩じゃないですか!」

「浦川辺さん」


りおとあやは、また見つめ合ってしまった。りおの大きな丸眼鏡が、あやの像を二つ、左右のレンズに映し出す。「可愛いな」とりおは思った。そこで、りおは文芸部のビラを渡したのだった。


「文化祭ではたこ焼き屋をやります・・・!文芸部です・・・!」


ビラ配りの上級生の声が、雑踏のようなBGMになって聴こえてくる正門前で、りおの大きな丸眼鏡に映った二つのあやが、キョトーンとして、言った。


「文化祭のたこ焼き屋・・・?」


思わず質問した、あや。

りおは、説明した。


「そう!普段は小説書いたり、随筆を書いたりしているけれど、一から丁寧に教えるから心配いらないかな。文化祭のたこ焼き屋は文芸部の伝統だよ」


あやは霊感商法に洗脳された主婦のような佇まいで、何故か、微動だにせず「たこ焼き、たこ焼き」と小声で呟いた。


「・・・・たこ焼き」

「・・・・入部したいです」

「え?」

りおは驚いた。


「入部してくれるの?浦川辺さん?」


あやは、

「・・・はい。・・・浦川辺あや、文芸部に入部します」

と言う。

さやは慌てた。

「どうしたの?あやちゃん、たこ焼き好きなの?」

「じゃあ今日銀ダコにしよっか♡銀ダコも駅前にあるよね♡」


返事がなく、棒立ちしたまま、小声で「たこ焼き」と呟く、あや。


「おーい!あやちゃん!返事して~!」

さやの声が吹き荒れる正門前で、桜の花びらがまだ散りきっていない中、元子役・芸能人浦川辺あやが長空北高校文芸部に入部した。