第31話 魔女、使い魔に出会う

「わ、わぁ~! エリス様エリス様見てください!」

「は、はぁ?」

「お腹の真っ白なカラスです!」

 突然叫んだリリの言葉に、咄嗟に扇子に【強化】をかけかけたオレはガクッと膝の力が抜けていくのを感じていた。

 どうやら髭面男が抱えた膝の所にお腹の真っ白いカラスが居たらしく、リリは目をキラキラとさせながらそのカラスを見つめている。

 そういえばあの廃神殿の壁画に描かれていた使い魔もカラスだったっけ、なんて思いつつ、なんでこんな髭面男がカラスを抱えているのかも、なによりカラスがそんなに大人しく抱えられているのかも分からなくてちょっとだけ警戒してしまう。

 だって、もしもペットなんだとしたら普通そんな風に抱えてはいないんじゃないだろうかと思って。

「……血は俺のじゃない。コイツのだ」

「え! じゃ、じゃあ治療を……」

「いらん。もうコイツも……寿命だ」

「寿命?」

「俺が子供の頃にもらったカラスだ。ここまでもったのが不思議なくらいだろう」

 髭面男に近付いてみれば、男は優しげな手つきでカラスの頭を撫でてやっている。

 よく見ると確かにカラスの黒い羽根に赤いシミのようなものがついていて、この血がカラスのものであるというのがわかる。

 人間の血なのではと間違えてしまうくらいの出血量だ。

 傷を塞いだとしても助かりはしないだろう。

 もし助ける術があるのだとしたら……ひとつだけ、だ。

「ひとつお伺いしてよろしいかしら」

「なんだ……もうほっといてくれ」

「貴方でしたら、例え自分の側でなくてもそのカラスが生きている事を望みます? それとも、自分の腕の中で見送ります?」

「エ、エリス様……?」

「……どういう意味だ」

「その子を生かす方法はあります。けれど、それは貴方とはもう一緒に居られなくなる方法、という意味ですわ」

「エリス様! まさか」

 驚いた表情で顔を上げるリリを片手で制して棍棒にしかけた扇子をまたバサッと開いて告げれば、髭面男はひとつしかない目を見開いて、それからカラスを見た。

 カラスの胸はまだ上下しているけれどこれはもう先は長くないだろう。

 飼育環境下のカラスは20年から30年程度生きるというけれど、髭面男が子供の頃にもらったのならその平均寿命に到達しているだろうしこの大怪我。

 そんなカラスを助けようとするのなら、「カラス以外のもの」にするしかない。

「俺は……」

 髭面男は大事そうに、優しくカラスを抱きしめている。

 そんな男に酷い選択肢を突きつけているという自覚はあるけれど、ある種残酷な選択をさせなければ出来ない方法でもあるのだ。

 彼がこのままこのカラスを見送るというならそれでもいいだろう。

 それならそれで、ここでさようならをするだけだ。

 でも、もし彼が本当にこのカラスを愛しているのなら――


「近くに居れなくてもいい。生きててくれるならそれでいいから、キルシーを助けてくれ……!」


 キルシー。そう、君はさくらんぼキルシーって可愛い名前を貰っているんだな。

 こっちの世界ではまださくらんぼを見たことがないから名前の由来が本当にそれなのかは分からないけど、大事にされていたのはよくわかる名前だ。

 それに、ただ生きていてくれればいいだなんて、それこそ愛されていなければ出ない言葉。

 オレその名前と決断に彼の決意を受け取ると、オロオロとしながらオレたちを見守っていたリリを見る。

「リリさん、宿に参りましょう」

「や、宿ですかっ」

「えぇ。外で儀式は出来ませんから」

「儀式……っ」

 この寿命の尽きそうなカラスを助ける方法。

 それは、このキルシーをリリの使い魔にする事だ。

 使い魔は【魔女】と魂を繋ぐ存在を意味する。死んでいる動物の肉体を使い魔として蘇生させる【魔女】も居たというが一番いいのはちゃんと生きている魂と契約をして使い魔にする事だ。

 キルシー自身はきっとこの男と一緒に居たいと願うかもしれないけれど、男はキルシーに生きている事を願った。

 ならば、生かす方法を識っているオレは出来る事をやるだけだ。

 オレはマジックバッグの中からストールを取り出すとキルシーに巻いてやって、もう一度男にキルシーを抱かせた。

 近付いてみてわかったが、こんな場所に居る上にこんなにも汚いのに髭面男の身体からは悪臭がしない。

 風呂にはきちんと入っているとかか? と思うが、大衆浴場に行っているようにも見えないし宿を使っているようにも思えない。

 なんとも不思議な男だ。変、と言ってもいいのかもしれないが。

「わたくしはエリスと申しますの。貴方、お名前は?」

「えーあー……ジョン」

「ハッキリと仮名ですねぇ」

「うるせぇ」

「私はリリです! 本名ですよっ」

「うるせぇっつの」

 自分をジョンと名乗った男に「あ、この世界でも偽名ってこんな感じなのか」なーんて思ってしまう。

 ジョンとかボブとか、なんかその辺の名前は元の世界でも偽名の定番だった。

 しかもアメリカで身元不明遺体につけられる仮名も「ジョン・ドゥ」だ。

 彼の本名が何なのかは分からないし、名前を偽る理由も知らないが偽名なのは明らかだろう。

 子供の頃にカラスをもらうような環境に居て、今は偽名を使って色々隠しているホームレス男。

 怪しい……明らかに怪しすぎる。

 だがまぁ、今重要なのはキルシーの魂が肉体から離れる前にリリと契約をさせる事だ。

 オレは気付かなかったフリをしてアレンシールに教えて貰った宿屋へと急いだ。


 使い魔の儀式は、魂を呼び起こして【魔女】と対話させ契約させる儀式だ。

 そう、儀式。そんなもんを道っぱたでやるなんて出来るわけがない。

 オレは使い魔の儀式はした事はないし今後もする予定はないが、エリスの日記には魔法陣とか呪文とか書かれていたからちょっとした下準備が必要な事は知っている。

 ずっと座っていたのかちょっとヨロっとする自称ジョンの腕をリリが引っ張って、オレが先導して宿に向かう。

 宿は、多分ピースリッジの中では相当いい場所なんだろうと思われる市場にも近いちょっと小高い場所にあった。

 これはきっと湖が綺麗に見える事だろう、なんて思うけれどそんなもんを堪能している時間はないので宿に駆け込んでアレンシールの連れである事を告げる。

 明らかに怪しいジョンを連れているせいか怪訝そうな顔はされたものの、ピースリッジの商人の名前を出せば宿の人も心得ていたのかすぐに部屋番号を教えてくれて、オレたち用の追加の鍵まで出してくれたからきっと商人たちもそこそこの金を使ってくれていたのだろう。

 ありがたい。あぁ実にありがたいとも。

「あれ、エリスたちもう戻ったのかい?」

「お兄様! ちょっとこの方シャワーにぶち込んで身綺麗にさせてくださいな!」

「え!?」

「その間にわたくしたちで準備をしておきます。その格好でキルシーの旅立ちに立ち会うつもりですの?」

 オレたちの部屋は階段を上がって一番奥の眺めのいい部屋っぽかった。

 アレンシールが指定したのかは分からないが部屋は二部屋で、恐らくは部屋の中にドアがあって繋がっているタイプだろう。

 鍵についているキーホルダーみたいなものには何か硬質なもので刻まれたのだろう部屋番号がキザギザに書かれていて、その番号と合っている部屋のドアに鍵を突っ込む。

 ジョンをアレンシールに託した時に、すでにキルシーを包んだストールは預かっている。

 一瞬ジョンが何か言いたげに手を差し出したけれど、彼も自分の出で立ちがキルシーの「旅立ち」に相応しいものではないのは自覚していたんだろう。

 ジョンが一体どのくらいで身支度を整えるかはわからないが、キルシーの事を考えると準備早めにしたほうがいい。

「リリさん、あなた血は怖いかしら」

「血……」

「キルシーと使い魔契約をするためには、あなたの血液も必要なのです」

「……! だ、大丈夫ですっ!」

 リリの了承を得てから、オレはマジックバッグの中から短剣を取り出した。

 ジークレインに貰った、「ダミアンを殺せ」と言われたあの短剣で最初に斬るのがまさかリリの指先になるとは思わなかったが、短剣があって良かったとちょっと思う。

 普段のオレであれば、刃物なんか持ち歩く脳が無かったはずだ。

「血に魔力を巡らせているイメージをして。小さな火を出す時のようにゆっくりと」

「はいっ……」

 エリスの日記に書かれている使い魔の儀式。

 その儀式に必要な魔法陣は、オレが用意してやる。

 と言ってもエリスの日記に描かれている魔法陣をそのまま宿の床に刻むだけなのだが、ペンだとかそういうので手書きしないでいいのは楽でいい。

 木製の床なら後で【修復】でもかければどうとでもなるだろうから、刻むのにも躊躇はない。

 普通によく見るような円形の魔法陣。模様は複雑すぎてなんと表現していいのかも分からないが、とにかくその中央にキルシーを寝かせて、特徴的な一本線の先にリリの血を垂らす。

 円形から一本抜け出したような線がある魔法陣はそこから魔力を流し込むためのものなんだそうだが、使い魔の儀式においてはそこから【魔女】の血を流していくらしい。

 本来【魔女】だって動物と会話をするにはそういう呪文を使わなければいけないけれど、使い魔になれば直接会話が出来るようになる。

 だから、そのために【魔女】と【使い魔】の血を混ぜ合わせて魔法陣に触れさせて魔力を流し、使い魔の魂に問うのだ。

 幸い、ではないけれど、キルシーはすでに怪我をして血を流しているから傷つける必要はない。

 指先をナイフで斬られたリリは少し痛そうな表情をしているが、キルシーと魔法陣を見るリリの目は真剣そのものだ。

「指をそこに置いたまま、ゆっくりと魔力を流して」

「はいっ」

「そして、問いかけて……キルシーの魂に。貴方の使い魔になってくれるかどうかを」

 指先から流れる血では、当然魔法陣をひとつ満たすための量なんかには到底足りない。

 だが、キルシーの身体から流れている血と重なってリリの魔力が絡めば、量なんかは関係ないのだ。

 血を媒体にしてキルシーとつながり、その魂に直接問いかける。

 あの男と別れて尚生きたいか。

 あの男の腕の中で尽きたいか。

 今度は、キルシーが選ぶ番だった。