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食堂に逆戻りして厨房へ入ると配膳をしていた熊獣人が休憩中だった。
「おっ、なんだリデル先生。今日も野菜料理にチャレンジするのかい?」
此方に気づいた彼が大柄な体をのそりと動かしニッカと笑う。それに対するリデルは戦いを挑むような目をしていた。
「当然です! 野菜は体の調子を整える効果があるはずなのです。大体、肉食系獣人だって昨今では野菜を食べるじゃないですか」
「そりゃ犬系で雑食寄りの奴等だって。まぁ、俺もそうだから野菜も食うけどよ、ここの奴等手強いぞ」
「ふっふっふっ、そんな私達の救世主が現れたのですよ」
勿体ぶった言い方をしたリデルが此方をバッと振り返る。その勢いにビクッとした俺に、熊獣人の視線も止まった。
「聖女様のお兄様は異世界の料理人なのです! しかも野菜の調理もできると。我らの悲願が成就する時がきたのです!」
「いや、俺はそこまでじゃないけどよ」
呆れ顔の熊獣人が腰に手を当て溜息をつき、ノソノソと俺の前に来て手を出した。
「俺は厨房を預かるグエンだ。マサ……だったな。捕まっちまって災難だな」
「いえ、家政夫としているので何か手伝えればと思います。宜しくお願いします、グエンさん」
握手を返すと大きな手で、俺の手なんて片手で覆い隠せてしまいそうだ。体つきもデレクくらい大きくて肩幅も逞しく筋肉質。短い焦茶色の髪に髭のある、豪快そうな人だった。
「あの、よかったら今ある野菜とか見せてもらえますか?」
「おう、こっちだ」
白いコック服の後を追っていくと厨房の奥にあるドアの前。氷みたいな魔石が取り付けられているそこを開けると中はひんやりとしていた。
棚や木箱が置かれたそこは冷蔵庫というよりは保冷室だ。中には肉の塊や魚なんかが置いてある。そして意外な事に野菜がそれなりの量あったのだ。
「食料は毎月決まった量がくるんだ。季節によって物も多少変わる。今ここにいる第二部隊は肉食系が多いが、第一部隊は雑食と草食もそれなりにいる。だから常に野菜は取りそろえているんだが、今は活躍の場がない」
木箱に入ったままのそれらを手にする。見た目にも俺が知っている野菜だろうと思う。ジャガイモに人参、玉ねぎ、キャベツなどの基本的なものが揃っている。これを使わないなんて勿体ない。
「草食系の人達は普段どのようにして食べるのですか?」
「サラダなんかを好むな」
「スープの具材にしたり、煮物にしたりは?」
「ニモノ? それは知らん調理方法だな。スープの具材はやっていない。共通で出すから野菜入れた途端に食わなくなる恐れがあってな」
そうなると不満が出るわけか。でもそれが一番野菜の栄養素を取り込める方法なのに。
ふと見ると瑞々しいトマトがある。それを見て、俺はグエンに向き直った。
「トマトは不人気ですか?」
「あぁ、人気がないな。酸味があるし、皮が残るだろ? あれを嫌がる奴等が多いんだ」
「なるほど……」
そう言いながら、俺はトマトを一つ、玉ねぎを一つ、鶏もも肉っぽい感じのを少し手にして部屋を出た。
さっき厨房を見た時に昼にも見た寸胴が目に入った。見ると中身は昼にも食べたスープのベースだ。丁寧に処理された骨から取られる丁寧な旨味の元だ。
「これ、少しもらってもいいですか?」
「おう、いいぜ。コンロの使い方分かるか?」
「あっ、お願いします」
そういえば分からないままだ。グエンに案内されてコンロに行くと見た目は知っている気がする。
「この摘まみの所の赤い石が魔石で、これに触れると火がつく」
「おぉ!」
実際やってみせるグエンが石に触れるとボッとコンロに火がつく。見慣れた感じだがこれも魔法だと思うとやっぱりドキドキした。
「んで、この摘まみを右に回すと火の調整ができる。一周させると最大火力だ」
「なるほど」
グエンに代わって摘まみを操作してみると確かに最初はとろ火、徐々に弱火、中火へと変化し、一周させたくらいには恐ろしい火力となった。中華や天ぷらならありだ。
「大体分かりました。これから試作を作るので、よかったら味見してください」
「おう、楽しみだ!」
「私も食べてみたいです!」
「はい、勿論」
リデルも楽しみにしているのが伝わる。目がキラキラしていた。
まずはトマトの湯むきだ。小さめの鍋に水を入れて沸騰させつつ、ヘタを取ってお尻の部分に十字に切り込みを浅く入れる。沸騰したら穴あきお玉にこれを乗せて静かに入れ、少しコロコロさせながら数十秒たてばよし。引き上げて冷水につければ切れ込みから綺麗にツルンと皮が剥ける。
「マジか! そいつ皮剥くと潰れて上手くいかなかったのに」
「湯むきっていいます。これなら素手でやれますよ」
綺麗に剥けると赤い宝石みたいだなって思うんだよね。
次に玉ねぎをみじん切りに、トマトも賽の目に切っておく。そして鶏肉っぽい肉を一口大に切るんだけれど……これ、本当に鶏肉だよね?
疑いの目でジッと見ていると、不意にその視界の端に小さなウインドウが出てきた。
「うわ!」
「どうした!」
「今、これなんの肉だろうって思いながら食材見てたら視界に何か出てきて……ロック鳥?」
ウインドウに出ている名前を読み上げると、ロック鳥の
『ロック鳥のもも
巨大な鳥の魔物。人食い蛇を主食とする獰猛な魔物だが、その肉質はブランド鳥のようにプリッとした食感と深みのある味わい。また巨大な鳥であるが故に一羽狩るとそれなりの肉が取れる為価格は安価。庶民の強い味方である。焼き物や煮込み料理に最適』
不可解現象が自分で視認できている事に戸惑う俺に、リデルが頷いて笑った。
「それはおそらく、鑑定眼というスキルですね」
「鑑定眼?」
「物の真価を知るスキルです。下、中、上と能力の差はありますが、持っていれば重宝しますよ。特に商人やギルドが欲しがりますが、時に犯罪者も欲するものですのであまり口外はしない方がいいでしょうね」
最後には心配顔をしたリデルの忠告を聞いて、俺はこの事は口外しないことを誓った。
何にしてもこの異世界で未知の物の正体が分かるのは有り難い。これはとてもいい鶏肉だって事が分かった。
そうとなれば料理だ。切り分けた肉に塩とコショウを軽くして鍋に油を入れて焼き色をつける。でも中までしっかり火を入れないのがコツだ。表面を焼く事で中の肉汁が出るのを防ぎたいが、完全に火を入れてしまうと硬くなってしまう。欲を言えば半日以上ブライン液に浸したい。臭みが抜けると同時に保水が出来る。
程よく肉に焼き色がついたら一度取り分けて次は玉ねぎを炒める。透明になったら肉を戻し入れてトマトを投入。これに白ワインを入れて弱火で煮る。アルコールが飛んでグツグツし始めたらスープを投入してかき混ぜながら馴染ませていく。トマトはヘラで潰すようにしていく。
「いい匂いですね」
「腹減るわ」
「もう少しですよ」
ここで一旦味見。弱火で加熱することでトマトの酸味もかなり抑えられる。元々のスープの味にロック鳥の旨味と脂も溶け出し、玉ねぎの甘みも加わった。
あとは塩とコショウで味を調えればトマトのスープが完成だ。