共に在る者 ③

 何時までも過去に囚われるべきではない。己が我が子の胎児が浸かっている瓶を叩き割る行為はケジメであり、老い先短いながらも進む為の意思表明だ。


 終わらせなければ始まらない。始まらなければ終わらない。己の罪と過ちは許されるべきではない。だが、その許されざる罪と過ちを赦すはダリア本人では無く、他人であるサレナだ。出会って二日程度の付き合いしかない少女に何故これ程までに心を赦したのかダリアには分かる。


 破界儀。その言葉を聞いた瞬間この煌めく白銀の髪を持つ美しい少女こそが、黄金の瞳に星々の輝きを秘めた少女こそが、超越者と呼ばれる希少な存在だと理解する。


 「……サレナ、その指輪の事を聞きたいと話していたね」


 「はい」


 「正直、私もその指輪についてはよく分からないんだ。けど、アンタは指輪という魔道具を起動した。その効果が未知数故に元の持ち主である私に答えを求めに来た。そうだね?」


 「はい、この指輪は何なんでしょう? 外そうとしても外せず、色も変わっています。それに、指輪の力だけかどうか分かりませんが、アイン―――私の騎士が持つ剣に指輪から発せられた光の線が当たると同時に、彼の剣に変化がありました。あれはまるで剣が二つの状態を持っているように感じました」


 「……剣が二つの状態を持っている、ねえ」


 ダリアはサレナと共に居た黒甲冑の剣士を思い出す。異形の甲冑に身を包んだフルフェイスの剣士の特徴は、滾る業火と鮮血を思わせる真紅の瞳、そして背負った黒い剣。鮮烈なまでの激情を纏う剣士、アインの姿を脳裏に浮かべたダリアは彼の剣士の異様さに思わず身震いした。


 「サレナ、その剣の状態と指輪が光を発した状況を教えてくれるかい?」


 「えっと、指輪が光を発したのはイエレザの破界儀の中でした。あ、イエレザというのは上級魔族の方でして、私よりも凄く強い人でした」


 「上級魔族だって? アンタ、上級魔族と戦ったのかい?」


 「戦ったというよりも、アインが私の声を聞いて飛び込んで来てから戦闘になりました。イエレザの世界は彼女の力が存分に振るえるようになっていて、アインは秘儀を使う事が出来なかった。ですが、私が己の力、破界儀を展開した事によって秘儀を使えるようになり、その時に指輪が光を発し細い線を剣へ伸ばすと彼の剣がのです」


 そうだ、変わったのだ。アインの黒の剣が黄金の焔を纏い、漆黒の刃が白銀を宿したのだ。そして、その後彼は慟哭しながらイエレザへ斬り掛かった。


 「そこから先は魔力切れを起こし、夢を見たのは覚えているのですが、その間の出来事は霧がかかったように曖昧なんです」


 「……夢、ねぇ」


 夢という単語に死生者の呪法を連想したが、あの術は死体にしか効果が無い。目の前のサレナは雪のように白い肌ではあったが、唇は可愛らしい桜色で血が通っている。


 それに、死生者の呪法は既にダリアとサレナしか知り得ない術だ。彼女が死生者である可能性は限りなく低いだろう。ならば、少女が見た夢は単なる疲労から来るものなのだろうか?


 「サレナ、その夢の内容は覚えているかい?」


 「はい、ハッキリと覚えています。白い、私と同じ髪の色をした少女が花畑で花冠を編んでいる夢でした。その子はすごく悲しそうで、泣きそうな声で言っていたのです。彼の名を―――アインの名を」


 「アイン……」


 故郷に居た頃に聞いた遠い御伽噺で出てくる英雄の名を語るサレナと共に居た剣士の名もアイン。奇妙な縁と運命を感じたダリアは顎を指で撫でる。


 「サレナや、アインという名を聞いたことがあるかね? アンタの騎士じゃない、御伽噺の中で登場する剣の英雄の名だ」


 「いいえ、聞いたことがありません。あの、ダリアさんが言う御伽噺の中にはアインという名を持つ英雄が登場するのですか?」


 「ああ、その英雄は誰よりも嘆き、誰よりも泣き、誰よりも怒った人物でね。どんな魔族にも屈せず、必ず勝利を捥ぎ取る絶対的な強者の象徴として描かれていたよ。それでアインには想い人が居てね、名前こそは明かされていないがと呼ばれていたそうだよ」


 「……その、アインという人は、まさか」


 「アンタの騎士だと思ったかい? 違うね残念ながら。アインは勇者じゃないにも関わらず、魔王に戦いを挑んで致命傷を負った。彼の最期は人類領に満身創痍で戻って来て死に、彼の意思を汲んだ勇者が魔王を倒すといったところで終わりさ。

 まぁ、大昔から口伝で伝わってきた御伽噺だけど、剣の英雄が死ぬってとこは変わらない」


 御伽噺の最期は決まって剣の英雄が勇者に意思を託し、息を引き取るところで終わる。それ以降の話はありきたりな勇者の英雄譚であり、魔王との戦いを描くだけだ。だが、こうして考えてみると不可思議な点に気が付く。


 勇者の旅路や戦いの描写は常に同じ展開の繰り返しであるのに、剣の英雄だけは個別の話として描かれているのだ。彼がどのような人物で、どんな戦いを演じてきたか事細かく記録されていた。まるでアインという存在が、後世に必ず残されるよう伝わった御伽噺にダリアは言い得ない違和感を感じる。


 いや、そんな筈はない。人類が千年以上の時を生きられる筈が無い。現に剣の英雄の墓は存在しているし、墓が暴かれた事件も存在しない。だが、なんなのだ、この言い得ない違和感は。考えてはいけない事を考えてしまったような、悍ましい事実に触れようとしている自分が居る事に、恐怖する。


 「ダリアさん? どうしました? 顔が真っ青ですよ?」


 「い、いや、少し疲れているのかね。多分その指輪はアンタに関係がある代物さね。持っておいて損は無いよ。魔導具や薬、魔法に付いて知りたいならエルファンの国に行ってみるといい。アンタなら、気難しい女王も気に入ってくれる筈さ」


 「そうですか、分かりました。ありがとうございます。あなたの意思と思いが綴られた手帳、有効に使って見せます。その、御身体に気を付けて下さいね?」


 「ああ、ありがとうよ」


 椅子から立ち上がり、礼をして部屋を去ったサレナの後ろ姿を見送りながらダリアは思考を巡らせる。


 何故剣の英雄という存在を詳細に伝えておきながら、勇者の名や出自を簡単に済ませてしまう御伽噺が千年以上途切れずに存在するのだろう。剣の英雄、アインの一生を伝えるならば、彼の想い人である白の君の名も伝わる筈だ。だが、何故白の君の情報が巧妙に隠されている。


 気付いてはいけないと脳が叫ぶ。これ以上思考を巡らせるなと意思が悲鳴をあげる。だが、ダリアという老女は考えてしまうのだ。白銀の髪を靡かせ、黒い異形の剣士と共に在ろうとする少女の破界儀に触れた事で、世界の矛盾に気が付いてしまう。




 制約とは、世界とは、もしかしたら―――。




 其処で、ダリアの視界は黒色に染められ意識が落ちた。