スピース ②

 面白い、黒の剣を鍛えた者をそう呼んだゼンは剣をアインへ手渡し、悔しさと歓喜が入り混じった複雑な表情を浮かべ、紫煙を吐く。


 「俺が産まれる前のずっと昔、失われた古の技術に人造神剣なんて狂った剣が存在していたが、兄ちゃんが持つ剣はなんて名称に分類するもんじゃねえ。その剣は何から何まで人智を越えた技術で鍛えられている」


 「……」


 「この世には聖剣や霊剣、名剣、王剣、装備者の能力を高める魔導鎧、魔導甲冑やらが多数鍛えられてきた。だがな、その黒い剣はそれらを一蹴出来ちまう程の存在だ。文字通り格が違う。触れてみて、叩いてみて、見て分かった。その剣は口は話さねえが意思を持っている。それも精霊とかそんなちゃちもんじゃねえ、剣自体が一つの生命を宿していやがる」


 受け取った剣をまじまじと見つめたアインは、ゼンの言っている事が戯言にしか聞こえない。剣は敵を斬る為の武器であり、サレナを守る為の刃であるのだ。剣に生命と意思が宿っているから何だという、己が振り回す剣は敵を倒す為の剣だろう。


 「剣ってのは使い手を映す鏡だ。剣に染みついた脂と、刻まれた傷を見ればそいつがどんな戦い方をして、どれだけの戦闘を積み重ねてきたか分かる。

 幾度の戦場を渡り歩き、無数の敵を斬った戦士が持つ剣は血と脂に汚れているし、貴族連中が持つ剣はよく手入れされているだけで綺麗なもんだ。

 けどな、兄ちゃんはどれだけの場数を踏んできた? 正直言ってその剣は兄ちゃんとの戦いを楽しんでいるようにも感じられるし、悲しんでいるようにも感じられる。さぞ、血みどろの戦いを演じてきたんだろうな」


 一人で納得したように頷くゼンを他所に、アインは黒の剣を眺める。


 「この剣の手入れは不可能なのか?」


 「可能だろうが、それは外側を調整するだけで内側は無理だ。まぁ」


 その剣を手入れ出来るのは俺一人だけだろうがね。と、ニヒルな笑みを浮かべたゼンは、鍛冶場に戻り槌を握る。


 「一日だ、一日だけ俺に寄越せ。その剣に染み込んだ血と脂を根刮ぎ取っ払ってやる。お前さん、マトモに剣の手入れなんぞしたことが無いだろう? 金は要らねえ、その剣に触り、槌を打ち、砥石で砥げればそれだけで十分だ。どうだ? 剣を俺に預けてみねえか?」


 「……ああ、頼む」


 「よっしゃ!! おい小僧!! 早速仕事だ!! 他の仕事なんざ放ってこの剣に集中するぞ!!」

 「へい!! 親方!!」


 アインから手渡された黒の剣を担ぎ、早速仕事に取り掛かったゼンと青年は、剣に火を入れる。轟々とした灼熱に、紅く燃ゆる石炭に焚べられた剣はたちまち熱を吸収し、刀身を真紅に染めた。


 「ゼン、代わりの剣はあるか?」


 「壁に掛かった得物なら何でも持っていけ!! どうせお前さんの剣と比べりゃ全部鈍らだ!!」

 「ならそうだな……この剣を貰って行く」


 鈍い光を反射する大剣を手に取り、柄を握る。その剣は鉄鋼をそのまま剣の形とした得物であり、正しく鉄塊と呼ぶに相応しい大振りの剣だった。アインは鉄塊を軽々と背負うとゼンと青年を一瞥する。


 一つの仕事に魂を掛けて取り組む者を美しいと思った。どれだけ老いようと、目が多少不自由になろうと、真剣な面持ちで槌を振るうゼンからは気高い意思が溢れているように思えた。


 故に、この老人は老いて尚鍛えられ続ける鋼のような人物なのだろう。アインは老人へ黒の剣を任せ、サレナの手を握る。


 「アイン、少し嬉しそうですね」


 「……そうか?」


 「私、初めてあなたが最初から相手を信用するところを見ました」


 「……気のせいだろう」


 「いいえ、初めてです」


 「なら、それはサレナの影響だろうな」


 「私の?」


 「お前に触れて、お前と話して、お前と共に歩いて来たから少しだけ、相手を見る事を覚えたのだろう。あの鍛冶師は良い腕を持つ者だ、奴になら黒の剣を任せられる」


 「アイン、少しだけ変わりましたね」


 「そうか」


 まぁ、ぶきっちょで無愛想なところは変わりませんけど。そう面白可笑しそうに笑ったサレナは、通りに出ると辺りを見回す。


 「アイン、少し貯まった薬を売っても構いませんか?」


 「ああ」


 薬や各種素材を買い取る店を探すサレナに手を引かれ、石畳を歩くアインの視界の端に帽子を被った少年の姿が映る。ハルの店に居た少年、ティオは建物の影に身を隠しながら二人を追っているように感じられる。


 サレナに知らせるべきだろうか。なんの力も感じられない小さな肉塊の存在に警戒すべきだろうか。逡巡する思考の中で、サレナと向かった魔法薬店の扉の前に立ったアインは小声で、彼女にだけ聞こえる声で呟く。


 「サレナ」


 「何でしょう?」


 「俺達を付けている肉塊が居る。丁度右方向の、薬棚を眺めている子供だ」


 「子供?」


 売却用の薬を取り出し、視線を薬棚へ向けたサレナは何気ない様子で此方を観察するティオに近づく。


 「あの、私達に何か御用でしょうか?」


 「……」


 「私の勘違いでしたら謝罪します。少しばかり視線を感じたものですから。あの、私の名はサレナと申します。此処で会ったのも何かの縁、あなたのお名前をお聞きしても宜しいですか?」


 「……ティオ。ボスの、銀春亭の店員で、アンタの先輩に当る者です」


 「ああ、ハルさんのお店の方なんですね。本日は暇を貰っていますが、明日からお世話になります。宜しくお願いしますティオさん」


 「……アンタは別にどうでもいい。それより、甲冑の剣士さん」


 「……」


 「貴方に頼みがあります」


 帽子を脱ぎ、白と黒が半々で入り混じったニ色の頭髪を見せたティオはアインへ頭を下げる。


 「僕に、剣の、強くなる方法を教えて下さい。お願いします」


 「去れ」


 「……嫌です」


 「貴様の面など見たくない。貴様のような子供に教示出来る剣など俺は持ち合わせていない。それに、俺の剣はサレナと己だけの剣だ。サレナを蔑ろにする肉塊、貴様に鉄塊を叩き込んでやろうか?」


 剣を抜こうと柄に手を掛けたアインに対し、ティオは尚も頭を下げ続け、己に対する殺意と憎悪に脂汗を流す。


 「アイン、少し落ち着いて下さい。ティオさんは私達に何も危害を加えていませんし、あなたに対して怯えています。剣から手を離して下さい」


 「……」


 剣から手を離し、少年へ向けていた感情を幾分か和らげた剣士は腕を組み、真紅の瞳を小さな頭へ向ける。


 「貴様、剣を握った経験はあるか?」


 「ありません」


 「誰かを殺した経験は?」


 「……ありません」


 「己を偽った経験は?」


 「……ありませ」


 「貴様は嘘ばかりだな、肉塊。嘘言を吐くならもう少しマシな口にしたらどうだ?」 


 大きく見開かれたティオの瞳がアインを見つめる。


 「俺を欺けると思うなよ? 騙せると思うなよ? 忌々しい、虚を吐く肉塊に何故俺が相手をせねばならん。理由は? 何故剣を持とうとする? 貴様は貴様の居場所を持っているのだろう? 真実を吐けよ、肉塊」


 「……僕は、ただ、強くなりたい。強くなって、剣を振れるようになって」


 「だからどうしたい」


 「……母を、守りたい」