故郷 ①

 お父様、何故私の家には一切の武具が無いのですか?


 それは武具に頼らずとも我々には力があるからだ


 お父様、何故私には母が居ないのですか?


 お前の母は、私と些細な喧嘩をして出て行ってしまったからだ


 それは何故ですか?


 クオンよ


 はい、お父様


 光ある処に闇在り―――その言葉が示す通り、古来より善の力が強まれば、悪の強さも強くなる。それらは人間や魔族の戦いという形で、常に全ての生命を苦しめている。


 だが、生命の力は必ずそれらに打ち克つ事が出来るのだ。邪道は正道に勝てない故に。勇敢な戦士は各地を放浪する中で生命が危険に晒されているならば、これを助ける。我等が祖先を見れば幾人もの抜きん出た戦士と英雄が世を救っている。


 古来より英雄たちは公明正大な義の心を宿しているのだ。


 ……また話を逸らしておられる。お父様は何時になったらお母様のことを話してくれるのですか?


 それは―――。





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 早朝、快晴。


 人類領聖都ウルサ・マヨルより二つの都市を挟んだ第三の都市スピースの大広場寄りのとある大衆食堂。この都市で宿屋を営む大衆食堂は、少ないとは言い難いが多いとも言い難い。そんな数ある宿の中でもこの店は古風豊かな色を帯び、酒も飯も美味く、スピース随一の風情があった。


 入口の上に掲げられた、漆塗りの看板に銀の文字、名は銀春亭という。


 多くの人と人が行き交い、盆に料理と酒を乗せた数人の飯女が忙しなく駆け回る。注文を取り、厨房に駆け込んでは大声で注文された料理の名を叫ぶと、またホールに出ては客と客の間を駆け回る。

 その様子を二階から見下ろしていた黒髪で小太りの男は、羽織った上着よりメモ用紙を取り出すと厨房を通り抜け酒蔵へ向かい、カンテラの火を灯し酒の上りを数え始めた。


 「酒の数は、ワイン酒が二十、ウイスキーが三十、エールが五……ふむ……おい、この店の上がりだが、宿通りの方より大分少ないぞ?」


 男が酒の上りを管理している丁稚の少年を呼び出す。


 「そう言われても宿通りはどういうわけか、週初めに何度か宴会があったじゃないですか。それも大盛り上がりの大賑わいで。あっちの売り上げがあるのは当然かと」


 「その何度かの宴会があったとしても、こうも上がりに差がつくものか?」


 「それはボスが知らないから言えるんですよ。此処何日かスピースを離れていたでしょう? 宿通りの宴会がどれだけ盛況だったことか、四か月分の稼ぎがあっても僕は驚きませんよ。それに、ここ数か月はうちの売り上げの方が良かったでしょう? 数日振るわなかっただけですよ。ハル店長、向こうの肩ばかり持たないで下さい。」


 少年がハルと呼んだ男は、顎を撫で小さく息を吐く。


 「ここの宿は僕が産まれる前に開業した店舗の上に、最初に流行ったらしいじゃないですか。他の店なんて僕に言わせてみれば支店にしか過ぎません。ボス、僕の母が言っていました。初心忘るべからずって」


 「……何も無ければいいのだがな」


 カンテラの火を消そうとした矢先に、ホールから荒々しい怒鳴り声が聞こえてきた。


 また何か面倒事を起こそうとしている者が居るのかと、少年を連れて酒蔵から顔を覗かせたハルの目に映ったものは、酒に酔った肉体労働者が木製の丸テーブル殴りつけ、その様相を酒の肴にして笑う豪快な赤髪の美女と、腕を組んで膝に可憐な少女を乗せた黒甲冑の剣士だった。


 「うわぁ、またやってますよ。どうします? 止めますか?」


 「……構わんだろう」


 「え? いやいや、危ないですって。ほら、あの可愛い女の子怯えてるじゃないですか」


 「ティオ、お前はもう少し人を見る目を養う必要があるな。黙って見ていろ、問題は勝手に片付くさ」


 ゲラゲラと笑い、頬を紅潮させた女はこれ見よがしに酒を男の顔にぶっかける。男は酔いと怒りで赤かった顔を更にリンゴのような色に染め、女へ手を伸ばす。だが、彼女は軽業師のような身の熟しで男の手をすり抜けると、側頭部にそのしなやかな足を一撃叩き込み、意識を刈り取った。


 鮮やかな身の熟しと足捌き。洗練された体術は自分よりも大きな存在を相手にするよう想定されており、実際に幾度となく戦ってきた経験が成せる側面も大きい。


 「へぇー、あのお姉さんすっごいですね。一発で倒しちゃいましたよ」


 男は暫し女の顔を眺めると、鼻で笑った。


 「確かに倒したが、曲芸の粋を出ない稚拙な武だ。もし相手が洗練された兵士ならばあの女の技量を鑑みるに、あと四手程掛かっただろうな」


 「ボス、何時から解説が趣味になったんですか? 僕、ボスが戦っているところなんて一度も見た事が無いんですが。それと、ボスは何時も頭を下げたり謝ってばかりじゃないですか」


 「それで済むなら力を振るう必要の無い状況という事だ、お前も私の下で働くなら必要な場面場面での態度に注意しろ」


 「はぁ」


 女が剣士の向かい側に座り直し、酒を呷る。剣士は一向に周りの状況に興味を示す様子が見られず、女との会話は相槌だけで済ませているようで、膝に乗る少女が主に会話を進ませているようだった。


 少年は帽子を深く被り、素振りで三人に近づく。少しだけ興味を持った為だ。


 「でさぁ、サレナちゃん? 宿が決まってないなら此処が一番良いって。ほら、君は可愛いし、路銀を稼ぐ為なら此処で働いたりさ。そだ! 店の主人に頼んであげよっか? どうせ私も暫くは此処に居るから宿代は出すよー?」


 「あの、それは悪いです。確かに路銀を稼がねばならないですし、宿も確保しなければならないのですが、全てクオンさんにやって貰うというのは些か抵抗が」


 「別に私は良いんだけどねー? あ、アインご飯とお酒に全然手付けて無いじゃん! ほらほら、私の奢りなんだから食べなさいって!」


 剣士、アインは真紅の眼光を赤髪の女クオンへ向けると、肉料理を切り分けその一片をフォークで突き刺し少女、サレナの口元にやった。


 「いやあ、その、お二人さんって途中でも聞いたけど、どういう関係?」


 恥ずかしがりながら料理を食べたサレナは、頬を真っ赤に染めながら口ごもる。


 「えっと、ただの、いえ、アインは大切な人ですけど、なんと言えばいいのでしょう。その、誓約を結んだ関係ですかね」


 「誓約? え? サレナちゃんってもしかして良いとこのお嬢様? まぁ、君くらい可愛けりゃそりゃそっか。じゃあアインは……もしかして」


 「え?」


 クオンがサレナの耳元で「身分差による駆け落ちって奴?」と呟き、更に真っ赤に染まったサレナの反応を見て大声で笑った。


 「そ、そそ、そんな事ありません!! 第一私はただの子供で、アインは記憶を失っていて、それに、私はお嬢様でも何でもありません!!」


 「ま、そうだよねー。貴族連中の子供が金が無いだの言って、野営してたりするわけ無いもんね。じゃあ尚更此処で働きなよ、私が話通しとくからさ」


 「で、ですが」


 「良い人ばかりだよ、この店は。私が保証する。ま、アインには違う仕事紹介するけど」


 「違う仕事?」


 「用心棒ってやつだね。彼ってばもう強いのなんの、初めて負けたなお父様以外になんて。あ、お父様ってのは此処の主人の事ね。皆からはボスって呼ばれてるよ」


 「あの、クオンさん」


 「ん? なに?」


 「どうして私達にこんなに良くしてくれるのですか?」


 「そりゃあ君、私は可愛い女の子と強い男が好きだからだよ。それ以外に理由はいるかい?」


 あっけからんと、何を当然な事をと。そんな風に答えたクオンは、最後にサレナとアインに両手を合わせ、片目を閉じると小さな声で話す。


 「お願いがあるんだけど、いい?」


 「何でしょう?」


 「その、サレナちゃんには悪いんだけど、アインを一日、いや、二日だけ貸してくれない?」


 と、話した。