第20話 約束する

 花梨かりんが自宅へ戻ったころには、すっかり日が落ちていた。


櫻子さくらこさんには、体調不良のきみを送ってきたと話している」

「そう、ですね……間違ってはいません」


 花梨はいま、私室で星夜せいやとふたりきりだ。

 心配した櫻子がお茶と茶菓子を差し入れた直後だから、しばらくひとは来ないだろう。


「あの……となりへ、来てくださいますか」


 ベッドに腰かけた花梨が、か細い声をしぼり出す。

 しばし思案するような沈黙の後、星夜が静かに花梨の左隣へ腰を下ろした。

 それからさらに沈黙をへて、花梨は重い口をひらいた。


「私、じつは……5年前に、強姦未遂に遭ったんです」

「……なんだって」

愛木ひめき家と養子縁組をする前のことですから、お父さまもお母さまも、そのことは知りません」


 はっと息をのむ星夜へ、花梨はぽつりぽつりと語った。


 13歳、中学に入ったばかりのことだ。花梨に好意を向けてくる男子がいた。

 彼はふたつ年上の先輩で、委員会ですこし会話をする程度だったが、その好感度の上がり方が異様だった。

 そして『あの日』──文化祭の時期だった。準備のためにクラスメイトの男子と遅くまで居残っていたのだが、それまでやさしかった彼が豹変した。


 ──なんで俺以外の男といっしょにいるわけ? うそつき……嘘つき嘘つき嘘つき!


 彼とは顔見知りでしかなく、告白をされた記憶もない。

 だが彼は花梨がひとりになった隙をねらい、空き教室へ引きずり込んだのだ。

 自分こそが花梨の恋人なのだと、叫びながら。


「そのとき、戸締まりをしていた先生に発見されましたので、事なきを得ましたが……それ以来、男性がその、怖くなったのです」


 さいわい、持病の影響で倒れた櫻子を介抱し、愛木家との養子縁組を提案されていた時期でもあったので、それを理由に転校することができた。

 芳彦よしひこも温厚な人柄で花梨を実の娘のように迎え入れてくれたため、男性不信までにはいたらなかった。


「きみの態度がどこか硬かったのは、そんな過去があったからなのか……」

「それだけではありません。私は……生まれながら、妙な力があるんです。ひとの心の動きが見える力です」

「心の動きが、見える……?」


 ここから先は櫻子たちにも明かしていない、花梨しか知り得ない事実だ。


(変な女だと思われるかもしれない……それでも、彼にもう隠しごとはしたくない)


 花梨はひざの上でぎゅっとこぶしをにぎりしめ、星夜を見上げた。


「私は……ひとの好感度が、色の変化で見えるんです」


 5年前の彼も、花梨に対する好感度がMAXだった。その赤い『好感度ゲージ』が、一瞬にして急降下し、赤から青へ、そして黒に変色したのだ。

 黒はマイナス。花梨にとっては、恐怖と絶望、死を意味する色だ。


「ですから、とくに男性が相手の場合は、『好感度ゲージ』が赤色にならないように細心の注意を払っていました……すぎた愛は時として、狂気となることを知っていましたので」


 それが、星夜をそっけなくあしらっていた理由。

 星夜に嫌われようとする理由であり、花梨が恋愛を怖がる原因そのものだった。


鷹月たかつきさまは、はじめてお会いした日にもう好感度がふりきれそうで……私、焦っていたんです。またあんなことになるんじゃないかって。あなたはまっすぐな想いをつたえてくれていたのに、私、信じられなかった……ごめん、なさい……!」

「もういい」


 嗚咽に言葉を詰まらせる花梨を、引き寄せる腕があった。


「怖かったな。つらかったな……きみの気持ちを理解してやれず、悪かった」

「こんな話を聞いても、信じて、くださるのですか……?」

「俺も猫を助けた夢云々を話題にしていたのだから、おあいこだろう」

「そのお話、どこまで引っ張るんですか……」


 星夜が大真面目に言うものだから、花梨は肩すかしを食らう。ふっと、肩の力が抜けた。


「信じるさ。きみはそんな嘘をつくような子じゃない」

「っ……!」


 そんなときに、断言されたら。

 反則としか、言いようがない。


「花梨さん、俺は変なことを言う変人だし、年下に嫉妬するほど心も狭い。でもきみを想う気持ちだけは、誰にも負けない」

「鷹月さま……」

「教えてくれ。きみの目にはいま、何色が見える?」


 思わず、花梨は笑ってしまった。

 なんだか可笑しくて、無性に涙があふれてしまう。


「……きれいな、真っ赤です」


 くすりと、花梨の頭上で笑いがこぼれた。

 見れば星夜がほほ笑んでいる。見たことのないくらい、やさしい笑みで。


「好きだ。この想いは、絶対に色あせない。どうか信じてほしい。きみのことは、俺が守る」


 花梨は、こみ上げる熱を我慢できない。

 気づけば、星夜の背に腕を回していた。


「鷹月さま……あなたに言わなければならないことが、もうひとつあります」

「なんだ、今度はどんな驚きを俺にくれるんだ?」


 冗談めかす星夜の耳もとへ、花梨は顔を寄せる。


「……私、白い猫ちゃんを助けたことがあります」


 星夜が瞳を極限まで見ひらくのも、無理はないだろう。


「話せば長くなるのですけど……私、前世の記憶があるんです」


『前』の花梨は、親もおらず、孤独な生活を送っていたこと。

 そんなとき、車道に飛び出した白猫をかばって、命を落としたこと。

 そして……気づけば、幼少期に時間がまき戻っていたこと。

 そのすべてを、星夜に話した。


 にわかには信じがたい話だ。

 だが星夜は、はじめこそ驚いていても、真剣なまなざしで花梨の話に耳をかたむけてくれた。


「つまり……俺が夢に見たのは、花梨さんに間違いなかったということか」

「そう、なりますね」


 星夜へうなずいてみせる一方で、花梨はふと疑問に思う。


(鷹月さまがそんな夢を見たのは、偶然……? 彼には、前世の記憶があるわけじゃないし……)


 花梨と同じように、過去へタイムリープしている様子はない。


(鷹月さまが、前世の記憶を忘れている可能性は?)


 そうだとするなら、転生する前、あの日あの瞬間に、花梨と星夜は同じ場所にいたということになる。


(でもそうしたら、どうして私には前世の記憶があって、鷹月さまにはないのかしら。そもそも、あの白猫は何者?)


 いくら考えをめぐらせても、答えは見つからない。


「わからないことだらけだが」


 うんうんとうなる花梨の肩に、ぽんと星夜が手を置く。


「ひとつだけ、わかることがある」

「なんですか……?」

「今も昔も、きみのすがたが脳裏に焼きついて離れないくらい、俺はきみに惹かれていたということだ」


 肩にふれた大きな手のひらが、ついで花梨のほほをそっとなでる。


「安心してくれ。過去も全部引っくるめて、きみのことは俺が幸せにする」

「それ、もうプロポーズですから……」


『前』の花梨さえ手に入れられなかった幸福を、星夜が、星夜こそが、与えてくれる。

 今なら、そう確信できる。 


「……私のそばに、いてくれますか?」


 わかりきったことだとは思いながらも、花梨は星夜へ問う。


「あぁ。きみのそばにいて、きみを守ると、約束する」


 まっすぐな星夜の言葉が、花梨の心にぬくもりをひろげる。

 痛いほどに抱きしめてくる腕の感触、そしてこのひとときのことを一生忘れないと、花梨は思った。