第15話

「きゃあ!」

「おっと」


 気がつけば碧は宙に浮いていた。


 岩壁が囲い、大切な人がいる空間。


 碧は元いた世界に帰ってきた。


 仙人が、碧が地面に落ちないように浮かしてくれたらしい。ゆっくりと地面に下ろされ、おぼつかない足でなんとか立つ。


「成功したようじゃのう」


 久しぶりの声が聞こえる。


 さっきまで翠と一緒にいたのだが、急に戻ってくるとは。


 碧は仙人の方を向き、安堵の息を吐く。


「どうすればいいの?」


 喜の感情は、ずっと碧の周りを回っている。


「翠に近づけば戻る」


 言われた通りにいまだ目を開けない翠の下へ近づくと、碧の周りを回っていた光が、翠の胸に吸い込まれた。


 さっきまで話していた翠が、今は目を閉じている。色は違うが同じ翠だ。なんとも不思議な感覚を覚える。


「どうじゃった?」

「不思議な感じ。でも、翠と一緒にいられてよかった」

「そうかそうか。それは良かった」


 ホッホッホ、と笑いながら仙人は言う。


 この声を聞くのも久しぶりだ。別に聞きたくはないが、否が応でも元の世界に戻ってきたことを自覚させられる。


「次は『怒』だね」


 だが、悠長に構えている暇はない。またすぐに次の世界へと向かわねばならない。しかし、仙人は急ぐ碧を止める。


「まあ待つんじゃ」

「なんでよ!」

「感情は逃げはせん、少し落ち着くんじゃ」


 そう言われて思い出す。喜の世界に行った時、碧は翠に浮気を疑われたことを。世界に向かうタイミングが悪かったのか、それとも――。


「ねえ、私が翠の感情が創った世界に行く前って、どうなっているの?」


 碧の疑問に、仙人は困ったように髭を触る。


「どうと聞かれてもの……ワシにも分からん」

「私が喜の世界に行った時、その世界で過ごした私の記憶もあったんだけど。それって、今この場にいる私が行かなくても、向こうの世界は動いているってことにならない?」


 だとすると、喜の世界に行くタイミングが遅ければ、碧は翠に浮気を疑われ、喜の感情は失われていたのではないか?


「ワシはそこまで考えておらんかったのう。じゃが、仮にそうだとしても、感情の創った世界は無くならんじゃろう?」


 なぜ散った感情は世界を創るのかということは分からない、考えるだけ無駄なのだろうか。


「分からないよ」


 こんなことを話している暇があるのなら、碧は早く次の世界へ向かいたい。だがその前に、碧は一つの質問を仙人にぶつける。


「そうだ、感情の世界って全部同じ感じ? なんていうんだろう……どうやって生きているとか?」


 碧の漠然とした質問でも、仙人は分かったらしく答えてくれる。


「そうじゃのう、少なくともワシの時は違ったかのう」


 なにかに耐えるように眉を顰めた仙人は答える。


「そうなんだ。例えば?」


 その表情の変化に、翠を見ていた碧は気づかない。


「船に乗ったり、雲の上で生活していたり、まあそれぞれがバラバラじゃったのう」


 あまり思い出したくないのか、詳細までは語ってくれなかった。


 だがそれでも十分だ。違うと解っていれば慌てることは無いだろう。


「じゃあ行ってくる」

「おお、そうか。気を付けるんじゃよ」

「うん」


 碧は再び翠の唇に自分の唇をそっと重ねる。


 そうして、水瓶の中に飛び込むのであった。