それから、シルヴィと共に、30分ほど山道を歩いた時のことだろうか。緩やかではあるが、傾斜もあり、足に疲労が溜まっているのを感じる。
「シルヴィ、疲れないか?」
「アタシ? アタシはだいじょぶ! 獣人だからねっ!」
「そういうものなのか」
獣人というのは、色々とすごいらしい。
と、そんな会話をしていると……左右、どこもかしこも木々に囲われていた景色が変わる。前方から、光が差し込み……視界がスッキリとした。シルヴィは小走りで、木々のない、下が見える場所まで行き、俺はついていった。
「見て、あれがほうき星村。こう見るとちっちゃくない? まぁ、こう見なくてもちっちゃいんだけどさ……アハハ……」
そう言うシルヴィが見ている方向に視線をやる。俺の胸元くらいまである柵の先から──辺りを展望できた。すぐ斜め下には、シルヴィの言う通りほうき星村があった。教会が目印になって分かりやすい。
「ほうき星村のちょっと先にある──アレアレ、あの、ちょこちょこピカピカ光ってるとこあるでしょ?」
シルヴィの指差す方向に目をやると、発光する蛍が飛び回ってるような──神秘的な森が見えた。その中心に、大きく荘厳な建物があり、海──というより、泉か。泉に囲われている。
「あそこが、妖精──フェアリーが住んでるルング森と、エントヴィック神殿」
「あの光ってるのがフェアリーってことか」
「そそ」
「神殿ってのは?」
「うーんとね、神聖ですごいとこ」
「随分ざっくりしてるな」
「実はアタシもよく知らないんだ~。なんか、古来の幻想種?ってヤツが祀られていて、ラマレーン様がその力を借りて、なんか色々頑張ってるみたい」
「ラマレーンって確か──」
「……うん、行方不明になっている聖霊様。リコ様が来てくれたから、ひとまずは安心だけど……心配」
「リコが来て安心?」
「え、もちろん!」
「……あいつが?」
「え、うん」
「……」
リコには悪いが、なんとも信じ難い話だった。まだ異世界に来たばかりの俺の方が役に立っている気がする。
「下流域はこんなとこかな──って、なんか頼まれてないのに勝手にナビしてるね、アハハ……」
「いや、助かるぞ。なにぶん、右も左も分からないものでな」
「それならよかった。……ってか今更だけど、リョーってどこから湧いてきたの?」
「湧いたって虫みたいに言うな」
「アハハ……勇者のしょーかんって、正直馴染みないから」
「……まあ、どこでも気にする必要ないだろ」
俺は勇者ではないのだからな。
「それもそうかもね。じゃあ、ナビを続けると──」
シルヴィはそう言いながら、背伸びをして、柵に乗り上げる。そして、首を山奥の方へと回した。
「こっからだと流石にちっちゃいけど、奥に見えるかな──」
俺もシルヴィと同じように柵に乗り上げ、視線も彼女に合わせる。すると、小さくは見えるが……仰々しさを放つ建物が見えた。遠目だが、石造建築だということは分かる。なじみはないが、パッと見で表現するなら──。
「城……か?」
「そそ。王都アウストラにあるアウストラ城」
「中流域の──人間の王国、ということか」
「そーいうこと」
つまり、ハーレムを目指すなら、中流域か。だがしかし……ケモもいいのだ! ちらっとシルヴィの方を見る。顔は普通のショートヘアーの女の子。頭についたピョコピョコと揺れる獣耳もむしろアドバンテージ。やっぱりいい!
「シルヴィ、君が俺を好きになったそのときに、付き合おう」
「え、え、何、急に……」
ほのかに頬を赤く染め、もじもじと手を動かすシルヴィ。この反応、デートで好感度はあがっている! きっといつか、この子は俺の事を好きになる!
「これは──告白の予約だ」
だから、俺はそう言った。
「告白の予約……? あ、あーもう、リョーったらそーいうこと。アタシをからかったんだね! も、もう、そーいう経験、アタシないのにぃー!」
「いや、冗談じゃないぞ。告白の予約──だ」
俺はまさに真剣そのものの眼差しをシルヴィに向ける。
すると、シルヴィは。
「え、冗談じゃないならフツーに意味分かんないかも。なんなん告白の予約って」
照れたり嬉しそうにする様子などはなく、困惑していた。その態度に俺も困惑した。
なるほど。女心というのは、本当に難しい。
「……でも、リョーは、アタシをヘンな目で見ないんだね」
そう言ったシルヴィの顔が陰りを見せる。突然だ。理由が分からない。言葉からして、俺がなにか地雷を踏んでしまった訳ではなさそうだが……。
「ねぇ、リョー、聞いてくれる、さっき──お願いがあるって、言ったと思うんだけど」
シルヴィはその表情を変えず、王都アウストラとやらを遠く見つめたまま、そう問うてくる。悲しげな感情が乗った声音だった。
「内容によるな」
「あはは……そこはお世辞でも勇者の俺に任せておけ!って言って欲しいとこだけど。でも、そーいうキレイゴトを言われない方が安心するかも」
それはそもそも俺は勇者ではないから──そう思ったが、水を差すようなことはしなかった。勇者は関係なく、俺にもできる範囲なら、助けてやりたいしな。
(……そんな思想で前世を後悔した気もするが、まあいい)
それくらい、人として当然のことだろう。
「聞かせてくれるか? 俺にできそうなことなら、喜んで協力する」
「あんがと」
シルヴィは俺の方を見てそう言った。しかし、すぐに王都の方を見つめる。
「アタシの両親は、魔族に殺されたの」
「……そう、なのか」
なるほど。まだ詳しく話は聞いていないが、俺は力になれなそうだと思った。
「でも──それは、結果、そうなっただけで。アタシの両親を殺したのは──この世界、そのものだよ」
「どういう意味だ──あぁいや、思い出したくないこともあるなら、無理するなよ」
「うん。でもダイジョブ」
「そうか」
「……知っての通り、アタシは獣人。適切なヒョーゲンかは分かんないけど、人族と獣族のハーフ。つまり、この世界で──人でも獣でもない存在」
シルヴィの声に、まるでドスの利いたような。そんな、ここまで明朗快活な彼女とは思えない声に、背筋に寒気が走った。
「……獣人は、いい扱いを受けないのか?」
「……そう。よく、分かったね。勇者、だから?」
「偏差値が高いからだろう。それだけは取り柄だったからな」
「偏差値……?」
シルヴィが首を傾げる。通じない言葉だった。
「下流域が弱者のための受け皿という話を聞けば、想像はつく」
「なるほどね……獣族ってさ、結局人間からすれば、魔物で、魔物からすれば人間でしかないワケ。……愛し合ったママとパパが頭おかしいみたいにさ。だから、居場所なんてない。迫害されて、
「……るきょう?」
「あぁえっと、流境っていうのは、上流域と中流域の境目のコト。そこに集落があって……人にも魔族にも属せない存在が、暮らしているの」
「なるほどな」
「食べるモノもろくにない、貧困な場所だけど……でも、シアワセだった。本当に、シアワセだった」
今にも泣きそうな顔になりながらも、思い出を噛み締めるように、シルヴィは言った。
魔族に両親を殺された──その言葉から、結末は決していいものではないだろうが。彼女の中でその日々は、宝物なのだろう。
「今、ほうき星村での生活はどうだ?」
「楽しいよ、とっても」
「そうか。だが──幸せではないのだな」
「あはは……似て非なる言葉ってヤツだ……。でも、そーだね。この世界のシステムが変わらない限り、アタシは、もう一度シアワセを見いだせないのかも。種族の垣根を超えて、みんなが仲良くなれるヘイワな世界ってヤツがこない限り……」
シルヴィは俺を見つめる。
それが、彼女の頼み事であることは、もはや明々白々。それほどまでの、本懐が宿ったような、強い眼差しを向けられた。
「……世の常識を覆すのは、容易くないかもしれないぞ」
「それは……リョー──勇者でも?」
「あぁ……。悪いな……嘘でも、安心させてやりたいが」
それこそ生存競争というものだ。明確な支配者となる種族が誕生するまでは、様々な種族の衝突は避けられない。生きるために、殺し合う。そして……生きるため、あるいは殺すために、進化する。そうやって、本に書いてあった。そういった知識を常識に当てはめるのはよくないが──神様も似たようなことを言っていたからな。ソースはネットじゃなくて神だ、間違いない。
「み、ミッシングリンクを……食い止めても? ラ、ラマレーン様は、そうすれば世界平和が訪れるって……」
ミッシングリンク──あっちの世界の言葉の意味と同じではなさそうだが──。
いや、違う。そうじゃない。
そもそも俺には関係ないじゃないか。俺が自由に生きれればそれでいい。
しかし、何故だろう。胸がモヤモヤする。この世界で勝手な期待を背負わされる気など毛頭ないのに、どうして、胸がザワつくのだろう。
あぁ、俺は、どうして。
「いや、そうだな。俺、頑張るさ」
勝手にその言葉が、躍り出ていたのだろう──。