第13話 王城の呪い対策-1

 エリカの前世の社会では、午前中で仕事を終えることを、半ドンといった時代があったらしい。エリカの生まれた平成中ごろには失われかけていた言葉だ。エリカ自身、インターネット上の文字でしか見たことがない。

 晴れた空に太陽がわずかに傾き、少しだけ日陰が恋しくなる。ルカ=コスマ魔法薬局の仕事の一環で、首元から膝までを包むサマードレスに夏用のレース帽子と少しめかしこんだエリカは鍵のかかった木製トランクを手に、キリルの待つノクタニア王城西門へと向かっていた。

 エリカの身分でそんなところに用事といえば、ドミニクス王子への魔法薬配達だ。木製トランクの中身はもちろん、厳重に保管した魔法薬だ。以前、アレサンドロから仕入れたシーサーペントを材料にして改良を重ねたもので、すでにドミニクスの体は快方へ向かっているものの、万一ということもある悪化の可能性を下げるために滋養強壮効果の高い素材を追加している。

 エリカの前世の薬学知識がなければ、ミニゲームの法則を利用しても、ただ単に病気に対して効果の高い薬しか作れなかったことだろう。さすがに前世の現代社会とこの世界では、医学的知識の質量ともにレベルは雲泥の差である。ある種のチートと言えなくもないが、地味すぎて見栄えが悪いし、そもそも役に立たなければそれはそれでいいのだ。大抵、医学知識が役立つときというのは、病気や怪我といった誰かの不幸が発生したときなのだから。

 ノクタニア王都の中心部にある王城、その城壁西側にある馬車が通れるくらいの大きさの通用門そばに、暇そうなキリルが突っ立っていた。ちゃんと正装しており、どこからどう見ても立派な騎士様だ。ただ、エリカを見つけるなり、傍目も気にせずぶんぶんと手を振っている。

「おーい、こっちだ! 待っていたぞ!」

 通用門の赤い肩章をつけた衛兵たちが苦笑いしている。はしゃぐ騎士に、注目を浴びつつあるエリカは早足で歩み寄り、頭にチョップをかました。

「大声出さない! 見れば分かるから!」

「ははは!」

 キリルは嬉しそうに笑っている。ひょいとエリカが手に下げていた木製トランクを取り、城内へと歩を進めた。

 おおらかと評すべきか、それとも不用心と注意するべきか、エリカはそのままキリルとともに王城へあっさりと進入した。もう何度も来ているからでもあるが、厳重警備されてしかるべきはずの王城に入る前に、一応持ち物検査くらいはしたほうがいいのではないだろうか。部外者である自身がちゃんと部外者扱いされないことに不満を持つ現代人のエリカは、この世界ではその感覚が誰にも理解されないと分かっているため、あえて口にしない。

(うー……何度来ても、この適当さには慣れないわ。このザル警備、戦争がない時代特有の平和ボケのせいなのかしら。それとも《《本当に警戒すべき》》『|呪《のろ》い』相手には何したって無駄と思ってるのかも……)

 モヤモヤを胸に抱え、それでも城内広場から続く巨大な螺旋階段を上り、三階ほどの高さのツタが絡まる空中回廊をしばし通って、王城内でもっとも奥深くにある王族の居住スペースである王宮へ。いわゆる後宮ハレムや大奥を持つ国々と違って、ノクタニア王国の王族は一夫一妻制だ。なので側妃や妾はおらず、王宮とは本当に国王とその家族が暮らすための場所となっている。

 そこでは、白磁のように美しい壁の、円筒形の建物である円塔トゥール——陶器製のタイルが隙間なくびっしりと貼り付けられ、装飾が一切必要ないほどに艶やかで洗練されている——が互い違いの空中回廊で別の円塔トゥールといくつもくっつき、まるで星座のように配置されている。さほど高さはないが建物の面積は普通の屋敷一、二個分はあり、その一つ一つが王族一人ずつそれぞれに割り当てられていると思えば、広々快適かつほぼ完璧に個々人のプライバシーを確保できるよう設計されているのだろうと窺えた。

 一見、円塔トゥールはどれが王族の誰に割り当てられているか分からないが、入り口を見れば個人の紋章の旗が掲げられており、エリカの場合はドミニクス王子の旗を探せばいい……というわけだが、当然その人物の持つ紋章を知らなければ判別できない。ドミニクスの場合は〈斜めにクロスする王冠と天使の輪〉だ。古くからのしきたりだとか何とか、なんと面倒な。

 しかし、この世界には電子ロックや生体認証もなく、また扉の素材の多くは木材だ。大きなハンマーで叩けば壊れるようなものにわざわざ何重もの鍵をつける意味は薄く、そもそも王宮内で非常事態が発生する時点で鍵をかけて籠ってもしょうがない。例えば王都が陥落して王宮まで敵兵がやってきた、というときに部屋に籠っていてもどうしようもないし、王城内には多くの衛兵がいるのだから警戒なら頻繁に見回ればそれでいい、と考えているのだ。

 エリカはちょっとむすっとして、石細工の見事な柱に囲まれる地上廊下で前を歩くキリルへ八つ当たりする。

「相変わらず扉も窓も開けっぱなしで、鍵なんて見当たらない王宮ね……」

「うむ、風通しがいいぞ。先日など王妃殿下が談話室の窓を大きくしたいと仰せで、俺が木槌を持って古い壁を吹き飛ばしたほどだ!」

「……もうちょっと、ほら、暗殺を警戒するとか、そういう発想はないの?」

 すると、突拍子もないことを言われた、とばかりにキリルは驚いていた。

「誰が暗殺など企むのだ?」

「いや、王族って普通は生きているだけで狙われる理由があるようなものじゃない?」

「そうかもしれんが、ここには騎士や兵士が数多くいるぞ」

 やはり、騎士であるキリルは王城の警備についてそういう認識らしい。人が多くいれば何とかなるだろう、という真っ当な考えで、怪盗が出てくる推理小説や冒険小説では真っ先に出し抜かれるパターンだ、とエリカは心の中でツッコむ。

 しかし指摘はしない、先ほど口にしないと決めたばかりなのだ。そう、ここは八つ当たりにしておこう。エリカは抗弁する。

「じゃあ、『のろい』はどう対処するの?」

「毎日王城各地の護符アミュレットは交換されているし、解呪薬リカース作成専門の魔法薬調剤師も詰めている。医師団ももちろんいるぞ! まあ、エリカほど対処能力に優れているわけでもなかったが、うむ」

「そっか……やっぱり、『のろい』を防ぐためには、新しい魔法道具が必要ね」

 それは先日、ベルナデッタから相談を受けていた新薬の開発に関係する話だった。そのときはエリカも自分の得意分野である薬学方面から『解呪薬リカースのワクチン化』というアプローチを思いついたが、それ以外にも当然アプローチを増やすべきだ。三つ星ホテル『ノクテュルヌ』でも次世代の魔法道具『複合型魔法装置マルチツール』が使用されていたように、対『のろい』専門の魔法道具を作ることを検討しなくてはならない。もちろん、『解呪薬リカースのワクチン化』と同時並行で、『のろい』を到達する前に防ぐ魔法道具、『のろい』にかかったあと抵抗するための解呪薬リカースワクチン、そして『のろい』を解呪するための解呪薬リカースをあらゆる『のろい』に対応させる魔法薬。

 これだけ揃えば、『のろい』も怖くはない。そのはずなのだが——考えこむエリカの表情は浮かない。

 キリルが足を止めて、エリカを気遣う。

「エリカ、どうした? そこまで心配するとは、何かあったのか?」

「違うわよ。ドミニクス王子が病気から回復しつつある、ってことは、それを快く思わない人もいるかもしれないわ。そうだとしたら、『のろい』に手を出す可能性もなきにしもあらず、でしょう? ここまで来たんだから、警戒するに越したことはないと思うの」

「ははあ、なるほど。だが、どうやってだ? まさか、『のろい』を跳ね返すというわけでもあるまい?」

「そうなのよ、そこがね……今のところ護符アミュレット以外で『のろい』は防げない上に、効果は安定しないから一度受けてから解呪することが主な『のろい』への対処法になっているわけで」

 エリカさえも頭を悩ませる、対『のろい』専門魔法道具を作るための最大の障害は、『のろい』の専門家である魔法使い以外『のろい』のだ。

 『のろい』はただの学問としてのではなく、『のろい』を行使する本人である魔法使いが文字どおりものだ。『のろい』自体は同じでも、行使する魔法使いによってその中身はまるで異なり、対処する側は時間制限もあって見極めさえも難しい。果たして『のろい』とは魔法使いそれぞれが違うメカニズムで行使しているのではないか、という説もあるが、実際のところ魔法使いたちの協力が得られていないため、何も分かっていない。

 それもそのはずで、彼らにとっては先祖代々の稼業なのだから、家の没落に繋がる廃業に手を貸すような真似はしない。それどころか、対処しようとする動きがバレれば、より巧妙に隠蔽工作を行われるだけだ。

(『|複合型魔法装置《マルチツール》』でもさすがに『|呪《のろ》い』への対処は難しいのよね。まず『|呪《のろ》い』の原理自体が『|呪《のろ》い』を扱わない人々には理解不能、これが最大のネックで、せめて大元の原理が分からないと対処法なんて思いつかない。多分、そこさえクリアできれば|護符《アミュレット》を参考に地道に開発できそうなんだけど、うーん……)

 エリカさえも、『のろい』についてはまるで分からないのだ。ベルナデッタのノルベルタ財閥が抱える魔法道具開発者たち、魔法の研究者たちも同じく、『のろい』を前にして雁首揃えてうなだれる有様なだった。

 もう何度も何度も、あちこちで見つけられない突破口に閉口する。エリカのそんな様子を見て取ったキリルは、エリカの横に回り、その背中を軽く押した。

「ほら、エリカ、もうすぐ殿下の御前だ。しゃんとしろ」