歓楽区のネオンと喧騒から離れ、墓標のようにそびえ立つ廃ビル郡の中を歩くダナンとイブは、リルスの隠れ家が存在するビルに辿り着く。
「ねぇダナン、リルスって子はどんな人なの?」
「お前と同じくらいの子だ」
「そ、なら百歳を超えているワケね」
馬鹿げたことを言うイブを他所に、罅割れたガラス戸を押し開けたダナンは廊下から漂う血の匂いを嗅ぎ取り、アサルトライフルを抜くと壁に背を預けビル内の様子を窺う。
「なによ、どうしたの?」
「……罠が作動している」
「罠?」
「あぁ……一つや二つじゃない複数個の罠が一度に作動している。イブ、迂闊に足を踏み入れるなよ。此処にある罠は」
スッと……ダナンの警告を無視した少女は我が家に帰るかのように青年の横を通り過ぎ、周囲をぐるりと見渡し。
「何にも無いじゃない。ダナン、貴男は警戒しすぎよ? もっと気を楽に」
手を差し伸べた瞬間、自動的に展開された銀翼が少女へ放たれたガトリング弾を逸らし、弾き、撃ち落とす。
「……」
「言わんこっちゃない……。イブ、無事か?」
「当たり前じゃない。この程度の銃撃で私の翼が手折れる筈が無いでしょう? それより、ガトリングターレットなんて普通罠として使う? アレは中度防衛機構の筈よ」
「どんな連中が来るか分からないからな。少し退け、罠を解除する」
イブの生体反応が消えるまで弾丸を放ち続けるターレットは砲身が赤熱し、真っ赤に染まろうと空薬莢を宙に飛び散らせ、銃身を回す。廊下に充満する硝煙の香りと剥げたコンクリートから舞う粉塵。
ガスマスクを装着し、ゴーグルを被ったダナンは壁に隠された操作パネルを機械腕と繋ぎ、咽込みながら解除キーを入力するとターレットは何事も無かったと言わんばかりに沈黙した。
「随分な警備体制ね」
「これくらいしないとアイツは生きられない」
「……ふぅん」
「何だ」
「いいえ、何も? リルスって子の事は気にかけているのね」
「……行くぞ。入口は此処じゃない」
ニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべたイブを一瞥したダナンは複数人の死体が転がる階段を上り、廊下の真ん中に転がる腕を蹴り飛ばす。
自らの手で殺人を犯した者の数など下層街では手に余る……それこそ九割近くの人間が他人を殺しながら生きている。子供はその日を生きる為に、大人は明日を生きる為に罪を犯し、悪に染まりゆく。
誰も殺したくないと嘆き、みんなが生きられると望む者は誰一人として居ないのだ。当たり前のように他人を利用し、自分だけが生き延びようと藻掻き―――足掻く。不義と不徳、悪と死が入り乱れる罪悪の都。下層街はみんなが罪に喘ぎ、罰を否定し、死を普遍的な事柄として受け入れている。
死にたくない。生きていたい。その為に……この手で誰かを殺す事も躊躇わない。こうして通路に転がる死体だって、己とリルスの何方かの命を奪いにきた連中だ。だから、死んでいても何も困らない。死んでくれた方が清々する……。
「ねぇ」
「何だ」
「貴男って死体を見ても、何も驚かないのね」
「見慣れている」
「見慣れていても、普通は声を上げて驚いたり、息を飲むものよ? 機械みたいね、貴男は」
「……」
「気を悪くしたなら謝るわダナン。けど、もう少し感情を露わにした方がいいわよ? 話をしていてもちっとも面白くないもの」
「そうか」
「そういうところよ。一言で会話を終わらせようとしないで。必要以上の情報伝達は嫌い?」
「そうだな」
「……」
深い溜息を吐いたイブが額を指で押さえ、頭を振るう。
「ダナン、元々貴男はそうなの?」
「言う必要が無い」
「でもね、本当はどう思っているの? 下層街の現状と自分自身について。話してみなさいよ、ダナン」
「……」
少女の声に言葉を返さず、リルスの隠れ家へ続く扉の前に立ったダナンは決まった手順でドアノブを回し、奥へ押し込む。
「リルス、俺だ。仕事の報告に来た」
「俺? 俺なんて名前の仕事仲間は居ないのだけれど……何方?」
「……ダナンだ。例の依頼の件で来た」
「はいはい少し待っていて頂戴。あ、それと一つ聞いてもいいかしら?」
「何だ? あぁ、頼まれていた物資は買っていない。悪いな」
「そんなことじゃないわよ。……貴男の後ろに居る人は誰?」
「イブだ。遺跡で世話になった」
「性別は?」
「監視カメラが壊れているのか? 多分……女だ。齢はお前と同年代かそれくらい。どうした? 様子が変だぞ、お前」
重い沈黙が静寂を呼び、遠く離れた歓楽区の喧騒が嫌に響いた。
「ダナン、イブって子と変わって頂戴」
「理由を話せ」
「存在確認と認証設定の変更が必要なの。ダナン、貴男だけならいいのよ。だけど、不必要なリスクは極力排除したい。理解できた?」
「……あぁ」
小型マイクが内蔵されている扉の前にイブを立たせたダナンは壁に背を預け、腕を組む。
「はじめましてリルスさん、私の名前はイブ。遺跡でダナンと」
「単刀直入に聞くわ。貴女、何者?」
「それはどういう」
「下層街の顔認証システム、生体コード識別システム、ゲート管理システムにアクセスしても貴女の情報が一切見当たらないし、監視カメラに映る姿が霧がかったように隠されている。カウンターハックの形跡も見当たらない。下層民でもなければ、中層民でもない。ハッキリ言って信用できないの、貴女は」
ダナンの視線がイブに突き刺さり、アサルトライフルの銃口が静かに少女の蟀谷を捉え、引き金に掛けられた指が少しずつ引き絞られる。
「イブ……イブ、IVE……。何処かで聞いたことのある名前ね、何処だったかしら。その名前、本当に自分の名前なの? それにしては随分とまぁ……記号的な名前ね」
クスクスと……相手を誂うような笑い声をマイクの向こう側から漏らしたリルスに対し、イブもまた不敵な笑みを浮かべ、笑う。
「リルス、取引をしましょう」
「へぇ……どんな?」
「情報と技術を貴女へ」
「私が貴女に払う対価は?」
「情報操作技術、データ解析、私とダナンのバックアップサポート、それでどうでしょう?」
「多くを求めない方がいいわよ? 貴女に私の腕を買う価値はあるの? 物的資産と仮想資産も見受けられないんだけど」
「情報操作パネルがあるのなら、それを展開して下さい。私の価値の一端を提示しましょう」
この女、銃口を向けられているのに何故こんなにも冷静なんだ。己が対話の主導権を握っている筈なのに、何時の間にか試されている側に立っているような気が……。イブの言葉に対し警戒と疑いを抱くリルスは攻性防壁機構―――ICEを内蔵する操作パネルを展開する。
「下手な考えは止しなさい。脳が焼かれるわよ?」
「安心して下さい。これは双方が合意……納得する為の取引です。最初から牙を剥く獣は居ないでしょう? そう思わない? リルスさん」
「……それもそうね。貴女が理性的な人で助かったわ」
イブの銀翼が操作パネルに触れ、淡い電子の光を宿す。
情報データの操作、通信、伝達……。深い沈黙の後、リルスの部屋へ続くエレベーターが勢いよく飛び出し「どうぞ、入って頂戴」声が響いた。
「リルス、いいのか?」
「えぇ」
「理由を話せ」
「必要な人材だからよ」
「俺だけでは不服か?」
「戦闘と探索に関してはダナン……貴男を一番信用しているわ。けど、情報技術とサポーターの手は必要よね? えぇイブは私と貴男に必要な子。いいじゃない、頼りがいのある人が手を貸してくれるのよ?」
「……」
「ダナン、リルスの許可が取れたようだし行きましょうか。彼女の部屋へ」
納得がいかないと云った様子のダナンだったが、一つ溜息を吐くとイブと共にエレベーターに乗り込み。
「おかしな真似をするなよ」
「当たり前じゃない。私だって時と場所を考えるわ」
隠れ家へ降りるのだった。