第14話 天将学園入学試験

 ついにその日がやって来た。


 天将学園新学期前──クラス1入学試験、当日。


 窓の外に顔を向け、本学園の門をくぐる受験者たちの様子を見届ける一人の試験官が、机に置かれた資料を手に持つ。


 資料の中身を見ると、今年度の一般入学希望者とは別に分けられている『特待生枠』を希望する入学者のプロフィールが載っていた。


「ひでぇなこりゃ……」


 試験官の男は、今回試験を受ける受験者たちの中で、数名の生徒に赤丸がついているのを発見する。


 それらはすべて『合格させろ』という意味だ。


「いくら音羽派閥の意向とはいえ、今年は5枠も持ってくのかよ」


 3年ほど前から学園内で急激に力を増してきた『音羽派閥』。その親玉は試験の合否に介入できるほどの権力を持っており、今年もその一派の息が掛かっている。


 今年度の特待生枠は、前年度と比べて1枠増えて全部で7枠となった。しかし、そのうちの5枠は既に音羽派閥の推薦者で埋まっている。


 つまり、この試験の純粋な合格者は残り2枠で取り合うことになる。


 音羽派閥の力は、それほどまでに大きかった。


「まぁ、しかし、仕事は仕事だ。行くとするか」


 ちょうど時間を知らせるチャイムが鳴り、試験官の男は立ち上がって教室を後にした。


 ※


 天将学園の門をくぐった三月は、その学園の凄まじさに驚愕していた。


(凄いな、本当に昭和かここは)


 外からでは天将学園の全容が見えづらい。そのため、門をくぐるまで学園がどういう風に建っているのかすら未知数だった。


 三月の視界に広がっていたのは、まさに『学園』──いや、『楽園』である。


 老若男女、年齢を問わない者達が売店で飲み物や食べ物を買っており、それらは揃って映画館に向かっていた。


 映画館がある。という事実だけでも驚くようなものだが、実際はそこにとどまらず、デパートやコンビニ、ゲームセンターから遊園地まで、至れり尽くせりな施設が整っている。


 ついさっきまでは、確かにがらんどうな商店街が並んでいた。しかし、門をくぐった先にある世界はまるで別世界。同じ場所にいるとは思えないほどの光景が、三月の前には広がっていた。


(……こりゃ、完全に別世界と思った方が良さそうだな。なんで外はあんなにも技術が遅れているのに、ここだけこんなに発展しているのか……)


 そんなことを考えていると、奥にある校舎の中から外にまで響くチャイムが鳴った。


「……いくか」


 三月はそれらを見送るように、その足を本校舎に向けて歩き出す。


 学園内はあらゆる娯楽で埋め尽くされているが、その端々には将棋に関する確かな片鱗が現れている。ようは、生徒達のモチベーションを第一に考えた結果なのだろう。


 たかがひとつの学びの園に、一体どれだけの資金が費やされているのか。想像するだけでも感嘆してしまうほどのものだ。


 そして、そんな娯楽たちから少しだけ離れた位置に建てられた巨大な校舎、試験会場に三月はたどり着く。


(一般入学希望者、特待生入学希望者……)


 会場には『一般入学希望者』と『特待生入学希望者』の2つの看板が立て掛けられており、それぞれ別の道へと繋がっていた。


(確か彩香の話では、俺は一般枠の入学じゃなく特待生枠での入学になるんだったな)


 三月は今回、特待生で試験を受けることに決めていた。


 理由はたったひとつ。特待生枠で合格すると、在籍中の一切の授業料、及び一部の施設の利用が『無料』になる。


 彩香まだ若手の記者であり、三月を学園に入学させるだけの資金を持っているわけではない。そのため入学後の学費が浮いて、無一文の三月でも生活できるような『特待生』の枠を目指すべきなのは、今後の三月の将来を見込んでも正しい選択だった。


『正直三月くんなら、自分の学費くらい自分で稼いできちゃいそうな気もしますが、ここは大胆に手を打って"特待生"になっちゃいましょう!』


 三月は彩香に言われた言葉を思い出す。


(……なんてことを言われたが、本当は自分の中から特待生を出したいだけなんだろうな)


 今回、三月は彩香の身内として試験を受けることになっている。天将学園を受ける際に、個人情報を提出する義務はない。それは万人が平等に天将学園の門をくぐり、平等に合否を与えられるという思想の元、初代の設立者がそう決めたのだという。


 この世界に戸籍すら存在しない三月であっても、天将学園の入学試験を受けることはできる。


 しかし、彩香は心配を抱いていた。


『一応、今の私の力でも、三月くんの戸籍を偽造するくらいはできますが……』


『やめてくれ、そういうのはいい』


 最低限のフォローとして、もしも何かあった時にと考えていた彩香だったが、三月はそれを拒否した。


 無論、三月は戸籍を偽造することに対する善意が働いて拒否したわけではない。


『お前の苗字は『零落れいらく』だ。これから地獄に落ちていく人間には相応しい言葉だろう?』


 三月は、かつての記憶を背に染まり出す憂鬱な目の色を、一度瞼を閉じることで何とか押し留める。


 自分の名は、苗字は──戒めでもある。


『零落は……いや、"零楽"は俺にとって大切な姓だからな』


『……そうですか。では、私からできることはもうありませんね。ご検討を祈りますよ、三月くん』


 そうして、三月は今日この日、天将学園の入学試験に臨むことになった。


 会場に入って進むこと数分、校舎と繋がる3階の廊下を歩き、ひときわ大きな教室の扉へとたどり着いた。


「ここか」


 扉の前には『特待生試験会場』と書かれた看板が置かれており、中では既に数十名の受験生たちが厳しい表情で席についている。


 それを扉の窓から一瞥した三月は、特に緊張する様子もなく扉を開け、自分の席番が書かれた紙を手に指定の席へと向かっていく。


(一般の枠はかなり設けてるらしいが、特待生の枠は確か7枠だったか? だとしたら……随分な倍率だな)


 席に着いた三月は、ペンを取り出して辺りを見渡す。


 教室の広さも相まって、そこに座っている受験生の数は見ただけでも100人は超えていた。一般枠であればまだ納得できる数だが、ただでさえ枠が少ない特待生枠にこの数はあまりにも多い。


 しかし、それだけこの学園に入りたい者がいるという証左でもある。


(……席は全部で140席、今来ている数だけでも107人か)


 三月はさっと計算し、今この試験会場に来ている人数を把握する。


(倍率は大体15~20倍程度。……まぁ、恣意的な合格者が生まれる可能性を考慮すればもっと高いか。普通なら落ちて当然の試験だな)


 今回の入学試験、三月は本気で合格を狙いに行くつもりでいた。


 信託か、運命か、ここは将棋で全てが決まる世界だという。


 ならば、三月にとってこれ以上のご都合はない。前世では果たせなかったことを、この世界で少しずつ果たしていけばいい。


 ──まずは、学生生活というものをしてみようじゃないか。


 三月が静かに目を瞑る。そして、それと同時に勢いよく扉が開かれた。


 扉から入ってきたのは男の試験官で、教卓にファイルを置くと時計を確認して全員に告げる。


「時間だ。今この瞬間までに席についていなかった者は全員不合格とする。そこのお前、もう帰って結構」


 遅れて教室に入ろうとしていた生徒に向けて、試験官はすぐさま不合格を突きつける。


 それまで会話や駄弁りなどで、なんとか緊張を和らげようとしていた空気が一瞬で冷え切った。


 そして、三月がゆっくりと目を開けると同時に、試験官の声が広い教室に響き渡った。


「それでは、第6回・天将学園特別生入学試験を開始する!」