第三十話

流星の如く降り注ぐ魔法の光弾。それは王国が誇る精鋭魔導士部隊の全力攻撃だ。

しかし彼の表情には恐怖の色はない。その瞳には美しいものを見る者特有の輝きが宿っていた。


「魔法って本当に綺麗だね。例えそれが破壊を目的にしたものでも、その煌めきはいつか見た星空を思い起こさせる……。あぁ、本当に」


魔法が彼に着弾するまでの一瞬の間、アドリアンの瞳に、懐かしさと覚悟が混ざった光が宿る。


「綺麗だ」


そう呟き、アドリアンは両手を広げた。


「でも、もっと綺麗に着飾ってあげよう。破壊の力も無くしてただの装飾品にしてあげないとね」


アドリアンの身体に青白い光が纏わりつく。その瞬間、彼の周囲の空気が凍りつくように冷え込んだ。


「おいでフロスティール!」


アドリアンの声が響き渡ると、青白い霧が一点に凝縮し、美しい女性の姿を形作る。

透き通るような青い肌、長く流れる銀髪、そして氷の結晶のような瞳を持つ人型の存在が現れた。

氷の精霊フロスティール。氷という概念を司る大精霊であり、常人には決して呼び出せない最上位精霊だ。


「やぁ、久しぶりだね。あれ?世界が違うから初めましてなのかな?」


アドリアンはまるで古い友人に会ったかのように気さくに話しかける。彼女は微笑んで、静かに頷き返した。


「どっちでもいいか。キミは呼びかけに応えてくれたんだから。さぁ、キミの美的センスを無骨な兵士の方々に見せつけてあげよう」


フロスティールはバレリーナのように優雅に両手を広げ、アドリアンに向かって降り注ぐ魔法の光弾に向かって指を指す。

その仕草にはどこか退屈そうな雰囲気さえ漂っていた。


「ほら、始まるよ。諸君、心の準備はいいかな?まあ、どんな準備しても無駄だと思うけど」


──瞬間、驚くべき光景が広がった。


降り注ぐ光の粒子が、まるで時間が止まったかのようにゆっくりと動きを止める。そして、一つ一つが美しい氷の結晶へと変貌を遂げていく。光弾は次々と凍結し、空中で輝く氷の彫刻となっていった。

やがて、戦場全体が幻想的な氷の庭園へと姿を変える。無数の氷の結晶が宙に浮かび、太陽の光を受けて七色に輝いている。地面には、繊細な氷の花々が咲き誇り、冬の妖精の国のような光景が広がった。


「な……に……?」

「砲撃魔法を凍らせた……?」


魔導士たちは呆然とした表情で、フロスティールの作り出した氷の庭園に視線を奪われる。

いや、魔導士だけではない。王国軍全体がその奇妙で、美しい光景に心を奪われていた。


「さぁ、仕上げだ」


アドリアンがパチンッと指を鳴らすと、氷の花々が一斉に輝き始めた。

その光はまるで星屑のように煌めき、戦場を幻想的に照らす。次の瞬間、氷の花々がガラス細工のように粉々に砕け散った。

しかしそれは破壊ではなく新たな美の誕生だった。砕けた氷の破片は、光の粉雪となって戦場全体にゆっくりと降り注ぐ。

戦場全体が静寂に包まれる。武器を構えていた手が、いつの間にか下がっている。敵味方の区別なく、全ての兵士たちが光の粉雪に魅入られていた。


静寂を切り裂くように、アドリアンの声が天からの啓示のように戦場全体に響き渡る。

拡声魔法によって増幅された彼の声は、王国軍と帝国軍の全ての兵士の耳に届いた。


「やぁみんな。楽しんで貰えたかい?特に王国軍の魔導士兵団の諸君!君たちの致死率100%の魔法が、致死率0%の芸術作品に変身する様子を楽しめたかな?」


アドリアンの言葉に、戦場がざわつき始める。

そしてそれは遠くから見ているガラフィドたち高級将校とメーラたちにも衝撃を与えていた。


「なんだあれは……」


完璧な人型を成した精霊。それは、伝説の中でしか語られることのなかった存在だった。

ガラフィドの長い戦塗れの人生の中で、このような精霊を目にしたことはない。彼の脳裏にこれまで見てきた精霊術師たちの召喚が浮かぶ。せいぜい球体の光の塊程度のものだった。

しかし、フロスティールは違った。

彼女の姿はまさに冬の女神そのもの。透き通るような白い肌は、最上質の大理石を削り出したかのようで、長く流れる銀髪は月光を閉じ込めたかのように輝いている。

そして、その瞳。氷の結晶のように澄み切った青い瞳は、見る者の魂を凍らせそうなほどの美しさを湛えていた。

そんな存在がアドリアンの隣に侍り、彼を守るように浮かんでいた。


「アドリアンめも粋な計らいをいたしますな。これでこの戦場がドラゴンの炎に包まれることはなくなった。のぅ、メーラ姫」


そんなザラコスの言葉にメーラは、明らかに上手く演じきれていない様子で答えた。


「そ、そうね。ドラゴンさんが炎を吐いてきてもフロス……なんたら?うん、彼女がいれば安心ね。氷の女王様に凍らされるかもしれないけど」


ザラコスは年の功で表面的な冷静さを保っているものの、内心では驚きを隠せずにいた。一方メーラは、アドリアンがこんな魔法を使えるとは知らず、内心で大きく動揺していた。そもそも精霊という存在すらよく知らないので、フロスティールの正体など皆目見当もつかない。


そんな二人の会話を聞いて、ガラフィドたち王国の将兵は戦々恐々としていた。


まるで日常の些細な出来事でも語るかのように、アドリアンの驚異的な魔法を評するメーラ。話では彼女はアドリアン以上の魔力を持つというではないか。

最初は半信半疑だった魔族の姫という存在。しかし今、彼女の平然とした様子を目の当たりにして、その真実味を痛感していた。


丘の上にいるアドリアンがパチン、と指を鳴らした。

フロスティールの表情が変わる。その美しい顔に不満げな色が浮かぶが、彼女は優雅に身体を捻り、アドリアンに抱きついた。

そして華やかな氷の結晶が砕けるような音と共に、フロスティールの姿が消えていく。その光景は幻想的な舞台の幕切れのようだった。


「彼女はとても独占欲が強い女性でね、ずっと顕現させているとキスをされて氷漬けにされて精霊界に連れ去られちゃうんだ。精霊に好かれすぎるデメリットって、こういうところだよね」


その軽口に戦場全体が再び静まり返る。誰もがこの非現実的な状況に言葉を失っていた。


「さて、王国軍の魔導士さんたちのか弱い魔法砲撃を、軽くいなしたところで……帝国の皆さんはどうして何もしてこないので?」


その言葉に、帝国軍の陣営がざわつき始める。最前線でその様子を伺っていた魔導機械兵たちは互いに顔を見合わせ、困惑の色を隠せない。


「もしかして、魔導機械の起動に時間がかかったりしてる?それともゼンマイを巻くのに忙しいのかな?」


それは明らかな挑発であった。帝国軍のドワーフたちはみな一様に怒りを露わにし、魔導機械兵たちが起動を始めた。

『この野郎!』『ぶっ殺してやる!』と、ガラの悪い言葉が次々と帝国軍から聞こえてくる。


「そうそう、その調子だ!ドワーフの怒りってのは、ビールの泡みたいなもんだよね。すぐに沸き立つけど、あっという間に消えちゃう。もっと頑張らないと!」


アドリアンは小馬鹿にしたように笑い、拡声魔法を帝国側に向かって飛ばした。


「──さぁ、黙ってないで、撃ってこい!それともその要塞についている魔導砲台はハリボテか!?予算が足りなくて、それも用意できなかったのか!?」


帝国軍の怒りは頂点に達した。そして、その言葉を皮切りにドワーフたちの怒声が響き渡る。


『人間風情が調子に乗りやがって!』

『馬鹿にするんじゃねぇ!舐めやがって!』

『あのクソガキをハチの巣にしてやれ!』


兵士たちの顔は怒りで真っ赤になり、短い腕を振り上げながら罵声を浴びせている。

しかしその激しい怒りの中にあっても、彼らは実際の行動に出ることはない。それはドワーフという種族の誇りと規律を示していた。

ドワーフたちは、命令を忠実に守り、規律を重んじる種族として知られている。アドリアンの挑発に乗らず、命令が来るまで待機を徹底している姿は、まさに戦場の職人そのものだ。


……しかしその規律も限界に近づいていた。

前線の指揮官のもとに、焦りの混じった報告が入る。


「指揮官どの!前線の兵士たちの抑えが効きません!このままでは魔導機械兵団が暴走します!」

「なんとか抑えろ!あんな安っぽい挑発に乗るな!」


前線の指揮官は、なんとか部下を抑えようと叫ぶが、兵士たちは怒りに我を忘れている。

確かにドワーフという種族は、命令に忠実に動く。しかし、それにも限度がある。

人間……それもあんな青二才の若造にあそこまで馬鹿にされて、黙っていられるほどドワーフという種族はお上品ではないのだ。


「伝令!伝令!」


そんな時であった。指揮官の元へ騎馬兵が駆け込んできた。


「『皇姫』様より全軍へ命令!」

「おぉ!姫様から指示が下ったか!」


伝令兵の叫びに指揮官はホッと胸を撫で下ろす。

流石に皇族の命令ともなれば血の気が多い兵士たちも大人しく従うだろう。

これで事態を収拾できる……そう思った矢先、伝令兵の口から予想外の言葉が飛び出した。


「『撃て!王国軍の魔法砲撃より派手なものをお見舞いしてやれ!』とのことです!」

「……えっ?」


思わず間抜けな声がでる。何を言われたのか全く理解できなかったのだ。

正気か?王国軍が何故あの男に砲撃を浴びせたのかは分からないが、あんな挑発に乗って何の意味があるんだ。

しかし前線の指揮官のそんな思いとは裏腹に、陣地に築かれた要塞の砲台がゆっくりと動き始めた。

シャヘライトの魔力が砲台に流れ込み、帝国の最新技術の結晶が息を吹き返す。

砲身に魔方陣が浮かび上がり、眩い輝きを放つ。複雑な幾何学模様が青白い光を放ち、周囲の空気が振動し始めた。


そして、砲台が稼働したのを見て帝国兵士達は沸きに沸いた。


『流石は皇姫様だ!頭の固い指揮官共とは大違いだぜ!』

『帝国の砲台が王国軍の魔法砲撃より勝ってるところを見せてやれ!』


敬愛する主を称えながら、帝国兵たちは歓声を上げる。

青白い光はさらに強まり、魔方陣が回転を始める。そして、砲台から巨大な魔導弾が発射された。

弧を描いて飛翔した魔導弾がアドリアンに迫る。着弾した瞬間に辺り一面を更地に変える死の光弾。

魔導弾が迫る中、アドリアンはゆっくりと息を吸った。その青い瞳に死の光弾が映る……だが彼は怯えるどころか口角をつり上げた。


「また精霊を呼んでもいいけど……それじゃあ精霊が強いだけって思われちゃうし、何より芸がないな。ドワーフたちをビックリさせるには……うん、やっぱり俺自身の、単純な力を見せるのがいいか」


アドリアンはそう呟くと脚に魔力を纏わせ、構える。

周囲が歪むような膨大な魔力が彼の右足に収束し、眩い輝きを放った。


「シャヘライトのお守りばかり持ち歩いている帝国軍の諸君、本物の力の使い方を教えてあげよう!」


そう叫び、右足で地面を踏み抜いた。アドリアンの体が、信じられない速度で宙に舞う。彼は魔力を纏った脚で空中へ跳躍し、魔導弾に向かって突進していく。

空中で回転しながら、アドリアンは右足を振り上げた。魔力に包まれた足が、魔導弾と衝突する瞬間──。


「はぁぁぁぁっ!!」


轟音と共に青白い光が爆発的に広がる。魔導弾はアドリアンの蹴りによって弾き返され、空高く舞い上がっていき……そして閃光と共に空に大輪の花を咲かせた。

空気が震え、爆音が響き渡り……戦場にいる全ての人間たちの視線が上空に集まる。


「……え?」


アドリアンの信じがたい力に戦場は一瞬にして静寂に包まれた。

王国軍も帝国軍も、兵士たちの動きが止まる。彼らの目は大きく見開かれ、口は半開きのまま。


王国軍の魔導士たちは、自分たちの魔法を軽々と防いだ青年が、今度は帝国の最新兵器をも無効化する姿を目の当たりにして、言葉を失っていた。彼らの手から杖が落ち、音もなく地面に転がる。

帝国軍の最前線にいたドワーフたちは自慢の魔導砲台の一撃が、人間の足一本で跳ね返される光景に呆然としていた。彼らの怒りは消え失せ、代わりに戸惑いが浮かんでいる。


「な……なん……だと……」


ガラフィドは遠見の魔法で全てを見届けていた。

彼の顔は蒼白で、震える手で髭を撫でている。側近たちも同様に、言葉を失っていた。


静寂が辺りを包む中、アドリアンは優雅に着地し勝ち誇った表情で周囲を見回す。

そして、言った。


「まさか今ので全力じゃないよな?……あぁ分かった!今のは玩具だろ?早く倉庫にある本物の武器を持ってこいよ!」


アドリアンの声が、戦場に響き渡った。