第31話「よるにねがう」

 颯真がクラスメイトと遊んだ結果、訓練に遅刻したという日から数日が経過した深夜。

 VR訓練で対峙するダミーの【あのものたち】も以前よりは強化されたものが出るようになり、新人チームも本格的に任務を受けるようになるのはもうすぐだろう、とチーム内でも囁かれるこの頃。


 正式に【ナイトウォッチ】の各隊に編入されるようになれば、このチームで活動することもなくなる。勿論、複数チームで一つの任務に当たることもあるから永遠の別れになることはないが、それでもあのにぎやかな訓練の日々を送ることが終わってしまうのか、とチームの面々が思い始めたこの日、颯真と冬希は再びデルタチームに組み込まれ、任務に赴いていた。


 アルテミスの予測では今日の【あのものたち】は比較的緩やかな侵攻と言われていたため、颯真たちも苦戦することはなかったが、それは同時にどうして今日は緩やかなんだろう、と考える余裕にもつながっていた。

 【夜禁法】が施行されてから三十年弱。その頃既に未来予測装置であるアポロが改札されていたことを考えると、【あのものたち】の侵攻についてはかなりのデータが蓄積されていることになる。

 出現した【あのものたち】のタイプ、侵攻数、侵攻規模のデータを集めればそれくらいの計算は可能だろう、と考えた颯真は、手が空いたタイミングでその疑問を冬希にぶつけていた。


「ねえ冬樹さん、アルテミスの予測では今日は比較的楽だってことになってたけど、【あのものたち】にも動きのパターンがあるってことなの?」


 颯真がそう尋ねると、冬希は一瞬「えっ」という顔をして、それから颯真を見た。


「聞いていないのか? 満月が近づくにつれ、【あのものたち】は少しだけ弱体化する。逆に新月が近づくと強化されるけど?」

「えっ」


 そんなこと、聞いた記憶がなかった。しかし、冬希の反応を考えると、これは【あのものたち】を知る基本中の基本なのかもしれない。

 颯真が「知らなかった」という反応をしたことで、顔には出さなかったが驚きを見せた冬希だったが、すぐにああそうか、と納得する。


 基本的に【ナイトウォッチ】には年に二回の入隊時期がある。冬希も四月前期に入隊、訓練を受けてきたが、颯真が入隊したのは入隊時期でもない七月。訓練こそは誠一が「見込みがある」と言って冬希たちと同じメニューで行っていたが、それ以前の【あのものたち】に関する詳細な座学や様々な武器の使い方といったものはかなり端折られている。


 それなら十月後期入隊にすればよかったのでは、という話ではあるが、他の隊員と違って生まれた時からチップを埋め込まれており、さらにろくな訓練も受けずに魂技を使った、という実績を考慮され、即戦力とみなされていたのだ。

 仕方ないな、と冬希が軽く説明する。


「一応これだけは知っておくと今後の戦いが楽になるかもしれないから。さっきも言った通り、【あのものたち】は月の満ち欠けに応じて強さが変わる。原理は解明されていないけど、アルテミスの計算では裏の世界とこの世界をつなぐ『通路』が月の満ち欠けに影響されるんじゃないか、ということらしい」

「へぇ」


 遅れて入隊したから聞きそびれた話とはいえ、かなり興味深い。

 【あのものたち】の生態に関しては【ナイトウォッチ】の研究部門が目下研究中であるとは聞かされていたが、【夜禁法】の施行から三十年近く経った今でも不明な点は多いらしい。

 冬希が空を見上げて月を確認する。

 満月は数日前だったため、ほんの少し欠けた月が天頂で輝いている。


 そういえば、つい最近、この月を見たことがあるような、と颯真も夜空を見上げて考える。


「まだ満月の数日後、ということで【あのものたち】も比較的調子が悪いんだろう。あと数日もしたら強くなってくるだろうから、今のうちに慣らしておいた方がいいかも」


 そう、冬希がアドバイスしたところで、デルタチームの一人が二人に歩み寄ってきた。


「ああ、南、鏑木隊長が呼んでるぞ」

「鏑木隊長が?」


 まさか呼ばれるとは思っていなかった颯真が、ちら、と冬希を見る。

 冬希はというと話は終わったとばかりに刀の状態を確認している。

 「満月の夜は比較的楽だ」という情報はあっても、今は満月が過ぎた時期。【あのものたち】も少しずつ力を取り戻す時期であるため、警戒は怠らない方がいいということだろう。

 それなら、と颯真が頷き、少し離れたところでこちらを見る淳史を見る。


「ありがとうございます」


 軽く会釈して、颯真は淳史の前に歩みを進めた。


「急に僕を呼ぶとは、どうされたのですか」


 開口一番、颯真が淳史にそう尋ねる。

 ああ、と淳史が頷いて夜空を見上げた。


「いいものを見せてやろう。空を見上げてみろ」

「え?」


 夜空なら、さっき見ましたけど、と颯真が首をかしげるが、淳史ははは、と笑い颯真の肩を叩く。


「お前が見たのは月だろう。月だけでなく、星も見てみろ」


 星? と颯真が繰り返す。

 確かに、夜空を彩るのは月だけではない。様々な恒星が夜空に煌めき、昔の人々はそれを繋げて星座を作り、物語を考えたという。


 淳史に言われ、颯真が再び空を見上げる。

 深夜二時を過ぎた頃、やや欠け始めた月は天頂で輝き、その周りを星々が控えめに瞬いている。

 その夜空を、すっと光が線を引いて通り過ぎていった。


「あ――」


 夜空を横切る光の線。

 流れ星だ、と颯真は気が付いた。

 夜空を見ることができない現代で、資料でだけ見ることのできる流れ星。

 それが、今、自分の頭上で流れている。

 颯真がそう思っているうちに、夜空はいくつもの光の筋で彩られていく。


「ペルセウス座流星群……」


 思わず、颯真はそう呟いた。

 颯真の隣で、淳史が「知っていたのか」と驚きを見せる。

 ええ、と颯真が頷く。

 ちょうど数日前、クラスメイトとプラネタリウムで見た演目がペルセウス座流星群だった。

 プラネタリアンが見せてくれた「ピークの日の夜空」が、今頭上でリアルに再現されている。

 いや、「再現されている」という言い方はおかしいだろう。実際の流星群は今見ているもので、あの時見た夜空こそが「再現されたもの」なのだ。


 天高く輝く月と、その周りを描く光の線。

 【ナイトウォッチ】に入隊しなければ、決して見ることのできなかった光景に、言葉が出ない。


「……綺麗だ」


 ぽつりと呟いた颯真に、淳史は「そうだな」と頷いた。


「俺たちは【あのものたち】からこの夜空を取り戻すために戦っている。本物の夜空を知らない人間が、夜出歩いて、この空を見上げて、楽しめるようにしたい、と思っている」


 お前はどうだ? と淳史は颯真に訊ねた。


「……取り戻したい、ですね」


 夜空を見上げたまま、颯真が呟く。

 ふと、思い出すクラスメイトとのやり取り。

 「死ぬまでにもう一度流星群を見たいしお前にも見せたい」と言った大和の祖父。

 見せたい、と颯真は漠然とだがそう思った。


 同時に、満月の夜に感じた得体のしれない恐怖を思い出す。

 一人だと、吸い込まれてしまいそうな夜の空。一人ではいたくない、と漠然と思う颯真の心。

 そうか、と颯真はここで気づいた。


――僕は、「誰か」と見たいんだ。


 この夜空を。

 その「誰か」は【ナイトウォッチ】の仲間ではない、と認識する。【ナイトウォッチ】の仲間ではなく、今現在、夜を知らないクラスメイトと見たい、と颯真は思った。


――友達に、なりたい。


 今まで一人だった颯真が初めて思った感情。

 他愛のない話をして、皆で傍から見ればくだらないことをして、そして助け合う、そんな友達が欲しい、と。


――いつか、夜を取り戻して皆でこの空を眺めるんだ。


 再現された空ではなく、本物の夜空を。

 自然と、颯真の手が握られる。

 まだ漠然としていると言われるかもしれない。それでも、少なくとも、颯真は一つの目標が見えた気がした。


「……鏑木隊長」


 空から視線を外し、颯真が淳史を見る。


「まだ、よく分かりませんけど、それでも――僕は、この夜空をいろんな人と見たい、と思いました」

「そうか」


 颯真の言葉に、淳史も颯真の目を見て頷く。


――いい目をしやがって。


 初めて隊に受け入れた日はただがむしゃらで、夜空を見上げる余裕もなかったような颯真の顔から、ほんの少しだけ余裕が見えた。

 あれからまだほんの数日なのに、と思いつつ、淳史は颯真の肩を叩いた。


「何かあったのか? いい顔になってるぞ」

「そうですか?」


 颯真がそう言いながら自分の頬に手を当て、ペタペタと触り出す。

 今はこれでいい、これから成長していけばいい、そう、淳史は顔を触る颯真を見守る。

 それから、以前から思っていたことを今ここで言ってしまおう、と口を開いた。


「だが――。お前、戦闘中も含めていつも瀬名ばかり見ているな」

「っ」


 淳史に指摘され、颯真が息を呑む。

 意識してみていたわけではないが、気が付けば冬希の姿を目で追っている、という自覚は颯真にあった。

 冬希さんを危険な目に遭わせたくない、颯爽と助けたい、そんな思いは確かに颯真のどこかにあった。


「ったく、好きな女の前ではカッコよくありたい、かよ。ガキが」

「すっ……」


 颯真の顔が見る見るうちに赤く染まっていく。

 いや、そんなはずはない。確かに冬希さんは強くて魅力的な人だけど僕なんかが釣り合う人間じゃない、と颯真の頭の中でそんな言葉がぐるぐると回る。

 表面上は冷静を取り繕っていても、明らかに動揺している颯真に、淳史はははは、と笑った。


「まぁ、そういう不純な動機も立派な動機だからな。だがそれで空回るなよ」

「鏑木隊長!」


 思わず颯真が抗議する。それを意に介さず、淳史が再び笑い声を上げる。

 ひとしきり笑ってから、淳史は再び空を見上げた。


「いつか平和になって、瀬名とお前が二人で空を見上げられるようになるといいな」

「それは――」


 一緒に夜空を見たい、という「友達」の中に、冬希はいる。

 いや、【ナイトウォッチ】としてではなく、ごく普通の一般人として、冬希と夜空を見たい、と思う。

 その願いを叶えるためには、強くならなければいけない。

 強くなりたい、と颯真は思った。

 その決意に拳を固める颯真に、淳史は笑ってもう一度夜空を見上げる。


「南、いいことを教えてやろう」

「いいこと?」


 ああ、と淳史が頷く。


「流れ星が消える前に三回願い事をすると、願いが叶うそうだ」


 夜空を見られない今では完全に忘れ去られた世迷言。

 そんなことをしても願いなど叶うわけがない、と誰もが思う戯言ではあったが。

 颯真が空を見上げ、流れ星を見る。

 その唇がかすかに動く。

 ただの迷信ではあるとは分かっていても。

 颯真はそっと、流れ星に願いを託したのだった。